夢日記2018.11.19.
徳村慎
徳村慎
起きなきゃいけない、という夢。
合宿で着替える夢。ホテルの一室みたいなところ。
**解釈
合宿かぁ。
学校関連の夢ってよく見るもんだよなぁ。
これに関連してか、『でびるち』という学生の中に天使とか悪魔とかが混じって生活している恋愛漫画があって。学生への憧れがあるなぁ。読んでて気持ち良い。
いつまでも学生気分なのかなぁ?
学校は、基本的に良い場所として記憶されている。そりゃ嫌な記憶もあるけど、ほとんどが、薄れてしまった。
自分にとって学校=図書館、学びの場なんだよねぇ。何歳になっても学ぶ姿勢があるのは、良いことだと思う。けれども、いつまでも独立心が無いという気持ちなら、もっと頑張らないといけないなぁ。
学校の夢は大抵良い夢で。学校が図書館や本屋に繋がっていたりする。人間として学び終えるということは無いのだと思う。しかし、それは、一生学問に対して素人だということになる。
何かを極めることのない一生で終わるかも知れない。考えてみれば那智黒石でさえ、極められないかも知れない。昔よりは良くなってきてるけど。それでも、少しずつ進んでるだけで、大きく進むことは無い。
結局、僕は何をしているのだろうか?
夢日記を書いてる意味は?
なぜ、学びの場が夢に出て来るのか?
うーん。難しい。
図書館からいろんな本を借りてるけど、僕は、ちゃんと学べているのだろうか?
図書館という大海に漕ぎだした1枚の葉っぱ。冒険だ。いろんな出会いもあるだろう。けれども、良く考えてみれば、熊野市の図書館は、そんなに大きな図書館ではないんだろうなぁ。市立の図書館ということは、県立とか国立の図書館があるのかなぁ。
熊野市立図書館だけでも、大海に思える僕は、小さい人間なのかも知れない。
夢日記を書き始めたのは、未来を占うためなんだよねぇ。でも、僕の見る夢って、未来予知とは違うなぁ、と思えてきた。300日もの蓄積でそう思える。予知夢は、果たしてあるのか?……という問いも、おそらく予知夢は、未来を普段から考えている人が見るのだろう、と思う。だから、未来を脳内で正確にシミュレーション出来る人なら、正確な未来予知が可能なのだと思う。これからの世界情勢に興味の無い人は未来予知は不可能なのだろう。
だが、夢を見ている本人の占いなら可能だ。
なぜなら未来のことも少しは考えているからだ。
でも、それなら、夢じゃなくても、本人の考えをまとめたら未来予知は可能だ。
最近、知り合った人が、胃の腫瘍のステージ4らしい。やたらと僕の音楽を褒めまくると思ったら、死を前にしての言葉だったらしい。
空是空(くうぜくう)か。
何も無いものは、何も無いのだよ。
僕(40歳)とたしか4つしか変わらない人で。僕には何かがつかめるだろうか?……という考えが浮かんだ時期に重なって、とても考えさせられるのだ。
なぜ僕らは生きているのか?
それは遺伝子や文化的な遺伝子を残すためだと思う。しかし、文明が滅んだとしたら、文化的な遺伝子に意味は無い気もする。やがて人類は、文明を発達させて宇宙へと出て行くのだろうか?……それとも地球と共に衰退してしまう運命なのか?
人間は未来、機械化した身体で寿命がもっと伸びるのだろうか?……そしてやがて不死になるのか?
僕らは遠い未来を夢想しても良いのだろうか?
仏教の禅では、夢想するのは、いけないことではないのか?
こんなブログでも、文化的な遺伝子として誰かに伝わることがあるのだろうか?
伝わらないのなら、僕のやっていることは全て無駄になる。ブログが部分的にでも、誰かの心に伝われば良いのだけれど。
最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございます。
(≧з≦)