夢日記〜絵を描く
徳村慎
1.
絵を描く夢。
最初はタッチパネル(iPadの大きいもののような感じ)に絵を描いている。
次に3DSの絵心教室のようなソフトで絵を描いている。
わら半紙のような紙に下絵を描いている。
さらに、キャンバスか板に油画を描いている。マチエールもある。水辺に生える植物。巨大なカタバミなど、山野草。
カタバミは葉と実を描いている。
2.
絵を描くような。それでいて、野菜や肉をテフロン加工の上で焼いているような。それが絵になっているような感じの夢。
**解釈
まともに眠っていない。浅い眠りがずっと続いたのが自分でも分かる。(現在2:37)
もうカラーの絵を描くことは無くなったのだが、カラーの絵に憧れている感じだ。
思えば夢の中の油画はモネの睡蓮のようでもある。ああいう偉大な画家になりたかったということなのか。モネの睡蓮は、素晴らしい絵画だ。その絵画のような感じでカタバミを描いているのだ。そして、ぼんやりと巨大なカタバミの背後に山が見えるような絵だった。山というより、霧に包まれた山のようなもの、というべきか。
2番目に見た夢は、焼肉を兄が食べさせてくれたから見た夢か。色とりどりの野菜が絵のようだった。
そういえば最近はライブ(音楽)の夢を見なくなったなぁ。自分の音楽の限界とかが見えたからかなぁ?
それとも、本物の音楽とは、何かというのが、模索の中にあるからかなぁ?
それとも、逆にライブに対する憧れが消えたのかも知れない。
山の夢も見なくなったなぁ。神仏の祀られている山で、那智黒石の山でもあり、寺や墓があったり、川が流れていて小屋があって泊まったり。
あとは、都会の夢も見ないなぁ。大阪のような東京のような都会。なんでも売っている店に本屋とか。
ライブも山も都会も、何度も出て来る夢だ。けれども、最近は絵を描く夢が多い。高校時代の絵は今見ると下手だ。だから夢の中の絵は描いてて感動するのだ。モネのようなカタバミかぁ。しかも種がはじける前の実だ。カタバミの花ではなく実なのだ。なんだか、今の自分を表しているのか?……とも思うし、未来の自分のようでもある。花の時代は終わり、実りの時代に入ったということか。季節で言えば秋。人生の秋か。果物ではなく、カタバミであるところが自分らしい。
しかし、巨大なカタバミだ。国破れて山河あり。山河と同じ大きさのカタバミがドカンとあるのだ。
確かに僕はカタバミが似合う。しかし、カタバミの美しさを表現できるのは僕だけなのだ。というような壮大な夢だった。
マチエールが大きく盛り上がっているのは、絵を横から見た時だ。カタバミにマチエールは必要なのだろうか?
夢から覚めると、現実的に絵のことを考える。あの絵は可能か?……あの絵は美しいか?……と。
最後まで、読んでいただきまして、
徳村慎
1.
絵を描く夢。
最初はタッチパネル(iPadの大きいもののような感じ)に絵を描いている。
次に3DSの絵心教室のようなソフトで絵を描いている。
わら半紙のような紙に下絵を描いている。
さらに、キャンバスか板に油画を描いている。マチエールもある。水辺に生える植物。巨大なカタバミなど、山野草。
カタバミは葉と実を描いている。
2.
絵を描くような。それでいて、野菜や肉をテフロン加工の上で焼いているような。それが絵になっているような感じの夢。
**解釈
まともに眠っていない。浅い眠りがずっと続いたのが自分でも分かる。(現在2:37)
もうカラーの絵を描くことは無くなったのだが、カラーの絵に憧れている感じだ。
思えば夢の中の油画はモネの睡蓮のようでもある。ああいう偉大な画家になりたかったということなのか。モネの睡蓮は、素晴らしい絵画だ。その絵画のような感じでカタバミを描いているのだ。そして、ぼんやりと巨大なカタバミの背後に山が見えるような絵だった。山というより、霧に包まれた山のようなもの、というべきか。
2番目に見た夢は、焼肉を兄が食べさせてくれたから見た夢か。色とりどりの野菜が絵のようだった。
そういえば最近はライブ(音楽)の夢を見なくなったなぁ。自分の音楽の限界とかが見えたからかなぁ?
それとも、本物の音楽とは、何かというのが、模索の中にあるからかなぁ?
それとも、逆にライブに対する憧れが消えたのかも知れない。
山の夢も見なくなったなぁ。神仏の祀られている山で、那智黒石の山でもあり、寺や墓があったり、川が流れていて小屋があって泊まったり。
あとは、都会の夢も見ないなぁ。大阪のような東京のような都会。なんでも売っている店に本屋とか。
ライブも山も都会も、何度も出て来る夢だ。けれども、最近は絵を描く夢が多い。高校時代の絵は今見ると下手だ。だから夢の中の絵は描いてて感動するのだ。モネのようなカタバミかぁ。しかも種がはじける前の実だ。カタバミの花ではなく実なのだ。なんだか、今の自分を表しているのか?……とも思うし、未来の自分のようでもある。花の時代は終わり、実りの時代に入ったということか。季節で言えば秋。人生の秋か。果物ではなく、カタバミであるところが自分らしい。
しかし、巨大なカタバミだ。国破れて山河あり。山河と同じ大きさのカタバミがドカンとあるのだ。
確かに僕はカタバミが似合う。しかし、カタバミの美しさを表現できるのは僕だけなのだ。というような壮大な夢だった。
マチエールが大きく盛り上がっているのは、絵を横から見た時だ。カタバミにマチエールは必要なのだろうか?
夢から覚めると、現実的に絵のことを考える。あの絵は可能か?……あの絵は美しいか?……と。
最後まで、読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ