夢日記〜教室、H | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

夢日記〜教室、H
徳村慎


教室で元カノとHする。


**解釈

なんで、こんな夢を見るのだろう?
教室はオレンジ色で。夕方なのだろうか?
元カノなんだけど、付き合ってた当時に戻ってるような感覚もあって。夢はタイムマシンでもあるのだ。
不思議だ。

やはり制服のままが良いのか。まあ、制服を脱いじゃうと、女子高生がただの女になっちゃうからなぁ。
どうして女子高生が好きなのか。たぶん制服が年齢を限定しているからだろう。出来ればロリータが良いのかも知れないが、あまりロリータの夢を見ないのだ。それは情報量が少ないからかなぁ?
それとも、なんだろうか?
田舎では大学生は居ない。近くに大学が無いから、都会に行ってしまうのだ。その年齢の中で女子高生は、若い女性を表すのか。
だから元カノは、女子高生の姿で出て来るのか。

最近、性の夢が多いように思う。フロイト的な世界に生きているのか。
しかし、夢の検閲の意味では、性欲を隠そうともしないのだから、やはり僕の夢は21世紀ということなのか。
しかし、性の夢が増えたことと、日常生活での性欲の減退とが、マッチしていないのだ。

夢占いでは、エロスは生きること、生命力、などと表現されていて、そっちの方がしっくりくる年齢になってきた。

過去に戻れるのなら、高校生になりたい。そう思わないでもないが、現実問題過去には戻れないし、過去に戻りたくないとも思っている。矛盾。

夢日記を書いていて、不思議なのは、矛盾がそのまま夢で出てしまうことがあると思えることだ。我々の知覚の限界が夢なのではないか。
人間は過去現在未来を生きられる。また、あらゆる人生の可能性を生きられる。ああすれば、こうなったんじゃないか。ああすれば、こうなるんじゃないか。いろんな可能性を見ている。エロスの解釈も、もっと考えれば、何かが掴めるかも知れない。

タナトス(死)を遠ざけるためにエロス(生)を近づけるのか。
いずれ親は死んでしまう。そんな当たり前のことから目を背けているのがエロスなのか?
いろんな楽器を買った。しかし、楽器には終わりが来るものだ。いつかは壊れる。世代が交代していくTV。新たな本を読める図書館。新たな音楽が聴けるYouTube。いつかは移り変わってしまうものを感じることが、やっと出来るようになった。無常観というやつか。

無常観は、結局、タナトスを知ってから身につくものなのだろう。この夢に出て来たのとは別の元カノは、タナトスを常に感じて生きてきたのか。身内が亡くなったのは幼少期だったらしい。しかし、タナトスは、全てを覆うことがあるのだろうか?
いや、僕だってこの夏(2018年の夏)鬱になったのだ。そして克服した。あれは、確かにタナトスだなぁ。そして克服しても、タナトスの影のようなものが片隅で暗い色を放つのだ。

タナトスを遠ざけるのは散財だ。死のニュースは消費したい欲求を高める。これは『スタンフォードの自分を変える教室』という本に書いてあった話だ。

だとすれば、本も楽器もお酒も、あるいは仕事もタナトスを忘れるためのものではないのか?

夢に戻れば、タナトスへの抵抗がエロスの形になって現れているのじゃないか?
虚しい抵抗だ。ユングによればエロスのアニマは、初期段階ではなかったか?

散財で死を忘れようとするなんて。僕はそんなに死を感じているのか。最近付き合って友達に戻った女の子も、死を忘れたいがために散財を繰り返しているのではないか?

では、セロトニンによる幸せこそが、本当の幸せなのだろうか?
つまりドーパミンの快楽は、刹那的な快楽に過ぎないというのか?

タナトスと向き合って快楽を得るのは並大抵のことではないが、そこに希望を感じたりもする。


最後まで、読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ