写真2018.7.14.-1
徳村慎
夏の葉。
最近は夏が長いよねぇ。
熱中症にだけは気をつけたい。
夏の高い気温の中で、写真を撮ると、その気温まで撮れている気がする。
まあ、気の問題なんだけど。
那智黒石の工房へ遊びに行った時の写真なんだよね。熱中症になりそうな気温だったけど、暇だったから外に出て写真を撮ってみた。
何が自分にとって向いているのか向いていないのかの根本的な所から考えることになった今日この頃。
暑い夏が続く温暖化とか。温暖化のせいで両極の氷が溶けて冬は思いっきり寒いとか。そんなふうに環境は変化していく。
僕の人生も変化していく。
変化かぁ。強風に押されて曲がる竹のように変化というか変形というべきか。もしも、芸術が仕事ではなく趣味になったなら、どうなるのか?……という自分自身への問いが今の行動に繋がっているのかも知れない。
今、自作音楽を録音しながら書いていると、妙に不思議な気分になる。夜に録音した音楽だから。
音楽もそうだし、水墨画もそうだし、俳句モドキもそうなんだけど、那智黒石という縛りから抜け出るとどうなるのか?……という実験でもあるように思う。
那智黒石は芸術か?
という問題もある。
仕事としてやっているものは、芸術ではない部分が大きく、趣味に走ると芸術になる可能性高い、と兄は言っていた。那智黒石の中でも芸術の部分と芸術ではない部分が混在しているというのだ。
商売として芸術をやるという商業芸術は、一段と低いものに見られがちだが、ジャンルが違うと思えばいい。どちらが高いということはない。
趣味が商売を超える部分にも日本人は気付いてきたし、商売だからこそのクォリティの高さにも日本人は気付いている。と思うのだ。
そして、そんなことを考えていると、なぜ、僕は、そんなに絵を描かなくなったのか、を考えることになる。
高校の美術部での探究心は、直線的なデッサン力を求める旅だったと思う。
大学での1年半は、美術の概念を広げ、美の概念を美術以外のジャンルにも広げることが出来た。音楽や文芸にも興味を持ったものだった。
大学を中退してからは、精神病(統合失調症)との戦いだった。今考えると中退したのも、精神病のせいだと思える。もうすでに発症していたのだと。価値観がガラリと変わった時だった。教師というのは僕の理想だったが、到底僕の頭では出来ないものだと知った。
結局、あの頃からの芸術の疑問がまだ解けてないのかも知れない。
仕事は那智黒石をやることになったが、リハビリのような状態が何年も続いた。
体験講師は、夢の教師的な仕事だったが、父や兄にバトンタッチして、僕は外に出て来てしまった。
趣味から仕事へ、そして、また趣味へ。
体験講師になった頃にガラケーやスマホに出会い、Amebaブログをやることで、写真や、小説や詩なども書くようになる。Twitterで俳句モドキというのも発表していたが、Amebaブログに移行する。
また趣味になってしまったのだから、気取ることはない。
夏の日差しのように、僕の中の芸術が照らし続けますように。誰かに理解されたいけど、誰にも理解されなくてもいい。
……そういえば、夢日記は、無意識の生み出すストーリーがすごい。僕を超えた僕。夢を単に記録しているだけなのだが、これも芸術なのだろうか?
うーーん?
最後まで
読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ
