写真2018.5.11.
徳村慎
公園の樹。
増4度が悪魔の音程などと呼ばれた、とたまたまつけてるTVでやってる。
へえー。それを聴いてから、この写真の黒い部分を見ると悪魔(の音程)のように見えてくるから不思議だ。
夕陽に近い明るい太陽を浴びているから、物凄く暗い部分が出来ている。光あるところ影がある。当たり前だけど、当たり前じゃないような。
生があふれている人には死が近づくんだろうか?
うーむ。どうだろう?
悪魔は何故、悪魔であるのか?
カミユ(カミュ)は悪魔的な哲学を繰り広げている。『シジフォスの神話』は悪魔的な哲学だと思うのだ。悪魔は全てを知っているし、冷たい。
解説の最後には、
「大切なことは、論理を排斥する生命の立場を主張することによって自己自身を論理化することではなく、論理的な矛盾を含んだ生命の立場に踏みとどまることである」
と書いてある。
うむうむ。なかなか素晴らしい解説だ。
同じ樹を写真に撮ってる。中間部分と上の部分。ジャズがTVから流れる。どう考えてもジャズってのは、悪魔へ導かれるような旋律なんだなぁ。もっと悪魔になろう、もっと悪魔へ、と進む。音楽が生まれた時は高い音と低い音の2音だけで構成されていたと思う。それがだんだんメロディになっていく。そして、歌から器楽的な、難しいフレーズへと移行していく。そして、シーケンスでしか出来ないぐらいの複雑なものへと変化していき……。まあ、樹ってのはジャズだな。予想外の枝を伸ばす。でも、シーケンスでしか出来ないフレーズにまでは行かない。繋がっている。
シーケンスというのは、ちぎれたうろこ雲のようなものだ。樹とは違う。
樹は言っている気がする。
もっと悪魔になれ、と。
最後まで
読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ

