水墨画(ドローイング)2018.5.11. | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。







水墨画(ドローイング)2018.5.11.
徳村慎

ぐるぐると雲。
フクロウ。
船と海。
森の岩と水辺。

楽しいね。表現アートセラピーになってるんだと思う。散歩して、写真を撮って、エレキギターを弾いて、書と絵を描く。

ぐるぐるは、抽象画。そして雲は具象だなぁ、なんて思う。まあ、全体は抽象画だけどね。

フクロウは福ろう、不苦労なんて呼ばれて縁起物だ。那智黒石でも売っている。

船は水平線と縦の線を描いてたら思い浮かんだ。

森の岩と水辺は、YouTubeで臨死体験を見たから描いたもの。臨死体験を森の岩と水辺で表現しているのだ。僕は死に興味がある。生と死。

最近、『シジフォスの神話』カミユを読んでいる。この文庫本。リサイクルブックフェアで貰ってきたけど。旧字体で書かれていて読みにくいことこの上ない。だから、滑るように読むと、意味が見えて来そうなんだけど、カミユの言いたいことって、要するに落ち込んだ時の僕でしょ?……と思う。(笑)
「本当に重大な哲学の問題は一つしかない。それは自殺である」
という書き出し。
確かに。
うーむ。確かに。そこから、この世は不条理である、ということを書いてるらしい。僕は思う。不条理に出会えば出会うほど自殺しないんじゃないのか?……と。戦争が起きたら自殺者は減ると思う。しかし、ここで不条理というのが、人生そのものだとすれば、自殺するかも知れないなぁ。僕は、時々精神的に参ってしまうので、自殺=哲学というのは、分かる。

僕自身は、ワンネスとか半信半疑ながら、考えていて。死ねば全てが分かるんだとも思う。死ねば、ワンネスか、違うのか、何も無いのか、が分かる。幽霊を見る人というのが居て。そういう人は魂の存在を信じているのだろうと思う。僕も幽霊を見たことがあるが、あれは体調が悪かったのだ、と考えている。

死ぬまでは、何も分からない。
だから死より生について考えなければならない。それは分かってはいるが、死について考えてる時が楽しい。死んだらどうなるのか?……とか。考えてることを考えるのが哲学の究極かも知れない。けれども、死を考えるのも究極な気がする。

宇宙の外に何があるのか?
つまり宇宙のはじまりは、何なのか?
遠くを見ればみるほど、昔の姿が見える。もしも、ものすごく見える望遠鏡があれば宇宙のはじまりまで見えるのではないか?
死ぬと夢の宇宙旅行が出来るのかも知れない。量子のゆらぎ。有るのか無いのか分からないようなゆらぎ。量子のゆらぎが宇宙のはじまりだという。
宇宙は死の世界だ。生の世界は、ほとんど無い。いや、星だって生きているのだ。それに星間飛行する生命体が居てもおかしくはないか。

だって映画『エイリアン』で見たもん。宇宙のどこかへ飛んでいくエイリアン。あれは、生きてる気がするもん。

宇宙って神秘だよなぁ。
死と宇宙は似ている。似ているぞお。
じゃあ、もう少し、本を借りていようかな。読んでみよう。

同時に読みたいものがあれば、同時にゆっくり進めば良いだけじゃないか。


最後まで
読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ