夢日記〜慎吾ママ | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

夢日記~慎吾ママ
徳村慎


寝ると起きられないから一度起きると寝ないようにする、という夢。遊ぶのだが、柳沢慎吾と香取慎吾が出て来る。どちらも僕は慎吾ママと呼んでいる。


**解釈

実際に今日は5:00に起きた。早く起きて音楽をやりたいな、と考えていたからだろう。昨日は00:00ぐらいに寝たから、5:00に起きるということは、いつもよりも睡眠時間が短い。
KORG Gadgetで4つ打ちのループを作ってフレームドラムで合わせて小音量で軽く叩いていた。これはこれで面白い。3連8分5連6連7連16分。色んなリズムを叩いた。ポリリズムってやつだ。

寝ると起きられないのは、昨日は雨だったせいもあると思う。過去を改ざんするような妄想が出て。ああ、妄想だな、と気づいて。ゴールデンウィークだったし、眠ってた。
「お前はNになりたいか?」
「はい」
「お前はNに勝てるんか?」
「絵なら勝てると思います」
「もっと上手いやつがおるぞ」
という会話をする先生と、生徒(僕)。中学生の頃の話になっている。そのあとで僕は「僕は本当に世界で1人だけなのだろうか?」と考え込んでしまう。中学生の時に考えたことのようでもあるし、今考えてることでもあるような。
ドッペルゲンガーというものがある。もう1人の自分だ。ポーが小説に書いている。それに、もう1人の私というのは都市伝説的な話としてある。もう1人の自分に出会うと死んでしまう。
モブキャラという言い方もある。自分はモブキャラだ、と認めると、その他大勢というのは何人でも居る自分なのだ。
でも、僕は思うのだ。自分がモブキャラだと認めるところから始める方が良いこともあるのだと。それは劣等感かも知れない。バネにして伸びるための感じ方。

ポリリズムを叩いてる時の自分は、負けない自分であるが、逆に言ってしまえばポリリズムごとき、誰でも叩けるのだ。その先へ進みたい。最近は録音しなくなった。自作音楽『バラバラ』の先へ進むには、どうすれば良いのかを考えて試行錯誤している状態だからだ。一世一代の大仕事みたいなのが出来れば一番良いと思う。しかし、それには才能が必要だ。自分の頭の中にある芸術を外に出して作り上げることほど、難しいものは無い。いや、しかし、思いもしなかったものが出来ることもあって面白いものなのだ。

慎吾ママが出て来るのは、自分自身「慎」という名前。あるいは、両性具有とか。2つのものを合わせもつ、という意味ならワンネスを表しているようにも思える。モブキャラと主人公キャラの合わさり。これも夢の世界でならば可能だ。

ここ最近の夢は、オルガン、サソリの粉、慎吾ママという流れだ。
全ては僕自身を表現した夢のように思える。オルガンのようなオーケストラを1人で演奏するような楽器。鍵盤楽器への信頼。サソリの粉のような変性意識への興味。慎吾ママのような母性のある仏。全ては神に繋がっている気もする。


最後まで
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ヽ(≧▽≦)ノ