写真2018.4.13.-2
徳村慎
ONE PIECEが好きだ。アプリのカラーのマンガにハマっている。毎日1話ずつ読む仕組みだ。
海賊、頭蓋骨と一応、写真に関連しているが、……していないか。
僕は写真(しかもiPhone5sを使ったもの)で外向的になろうとしている。自分の外に世界がある、と考えた時に、世界に対して自分がちっぽけだとかは思う必要が無いんだろう。
昔は良く考えた。自分の作品が森の中にあったら、森に負けてしまうなぁ、とか。
ブラジルの写真集だと思って借りた本が、説明が長すぎて飽きたり。→図書館の本だから、写真だけ見てそのまま返すけどね。(笑)
アマゾンについて載ってるもんだと思ったブラジルの旅行ガイドも、アマゾンについては、そんなに書かれていないことに気づく。今度から借りる時はじっくり中身を確認してから借りよう。
で、『人類哲学序説』読み終わったよー。ちょっと原子力発電への批判があるんだけど、自然エネルギーは本当に、危険じゃないんだろうなぁ? 火力なんか、危険っぽいイメージがあるけど。発電について、そういや知らないなぁ。また、そっち方面にも知識を増やしていくべきか……。
この何気無い布団の上の風景。頭蓋骨の立体パズルで遊んで置いたまんま。作為的でない風景だ。これも無意識が働くんじゃないか?……とも思うが内向的な分析は、あまり必要ないだろう。僕はスカルが好きで良く那智黒石でスカルの彫刻を作っていたのだ。それで、もっとリアルな骨が欲しくなって立体パズルを買ったのだ。
それともう一枚。タロットカードの写真を撮った。少し作為的だが。これも面白いと思う。吊るされた男、の逆位置。放棄しない、ってことらしい。ふむふむ。外向的になっても内向的な部分を放棄しないという意味だろうか?
面白い。
ふと思う。
僕は誰とも違う僕なのだろうか?
うーん?
歴史は繰り返す。永劫回帰。
どんな土地(場所)であれ、どんな時間であれ、僕は存在するのかも知れない。
昔は、そう考えることがとても怖かった。今は、そんなに怖くない。僕が死んでも僕に似た人間が生きることで、僕を表現するのだから。僕の魂を受け継ぐ人物のところへ、僕のパワーを送ろう。
って。内向的どころか、スピリチュアルな話になっちゃった。(笑)
図書館は不安になると言った元カノが居たけど。自分が読めなくて一生を終える本がたくさんあると不安になる、という話だったけど。これは、やっぱり分からない感覚だねぇ。
でも、分からないことがある、ってのは確かに不安だ。ダダの美術が分からなくて不安だった頃のように。まだ、ちょっと、分からない部分はあるけど。でも、面白いと思えるようになった。人生長く生きてみるもんだね。まだ20年先には別のアートが好きになってる気がする。好みが広がるんだよね。
最近は落書きがものすごくアートだなぁ、と思ったりするし。
適当なぬいぐるみをダイソー100円均一で買って、そいつを祀り上げる。そんなことも面白いよなぁ。なんか、海外のアーティストで居たよねぇ。ぬいぐるみを神様だっていうふうにしてたオブジェ。それを自然環境でやったら面白いだろうなぁ。このアイディア、大丈夫なアイディアだろうか?(笑)
雨に濡れても平気なぬいぐるみを1体用意する必要があるな。(笑)
これは、ダダか。明日ぬいぐるみ買ってみようかな?
放棄しない。なるほど。
最後まで
読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ

