夢日記~押入れ
徳村慎
押入れの中に入っているとTさんがやって来て「あの子(祭りに出る少女)に興味があるんだろう」と言う。
次に井上やすしがやって来て、民俗学的な現地調査をしているという。僕の押入れにやって来る。そして、ひと通り僕の描いた絵を見てたが、兄の作ったアクセサリーの方が良いと押入れを出て行く。
僕は押入れで1人で昔作った野球のボードゲームをやる。サイコロで6が出るとホームラン。
**
解釈
押入れは母の胎内のような落ち着く場所を表すのだろう。結局誰も僕を押入れから引っ張り出せないのだ。それぐらい僕の心理は奥にこもっているのだろう。
夢はあくまでも夢であり、現実ではない。それでも僕らしい夢でもある。
なんでこんな低迷した夢を見るのか。低迷ではないのかも知れない。僕は、どうしたんだろう?
見るぶんには少女は楽しい。それを男性に見透かされているのが僕なのだ。
お前の好きなものを俺は知っている、と男性の皮を被った悪魔みたいなのに言われているのかも知れない。
心の中の悪魔は、しかし、少女は成長するものだ、ということも言外に含ませて言っているのだ。少女が成長して女性になれば、(当たり前だが)少女ではなくなるのだ。悪魔はもちろん自分自身だ。
次にやって来た学者の現地調査も、僕自身なのだろう。自然と民俗学の現地調査。面白いかも知れない。しかし、その対象から外されてしまう。これは、僕の描いた絵がアウトサイダーアートから外されている、という感じなのかも知れない。確かに、心の闇を抱えていたりしても、ワザとアウトサイダーアートを取り込んでいることには違いない。ワザとじゃない部分は、無意識に生まれる形だけだ。(最近は心臓の形のように見える無意識の形が多い)
しかし、兄のやっていることは洗練された形で、アクセサリーというよりも、コスチュームジュエリーという名前がふさわしい。
だから、フォークアートやアウトサイダーアートとは、無縁の世界だろう。
学者が選んだのは(アート)表現ではなくジュエリーの高みである。
押入れで1人で遊ぶ。これは、アートについて考えてる僕の姿そのものだろう。1人きり。1人きりの世界で井の中の蛙。自分で作ったルールの中の偶然や無意識の象徴であるサイコロを使うのだという夢なのではないか?
この夢の解釈は、まだまだ、出来るように思える。では、僕の進むべき道は3つに分かれているのではないか?
通常に考えられる可愛い美しいものの美(少女)。
フォークアートやアウトサイダーアートの美(押入れの絵)。
ジュエリーアクセサリーのデザイン美(兄の作品)。
そして今はフォークアートやアウトサイダーアートに接近し過ぎているのではないか?……と思う。
まあ、ピカソもアフリカの美術に接近したし、ゴッホも浮世絵に接近したし。良いっちゃ良いんだけど。
こう考えると美の哲学の夢だったんだなぁ、と思う。
少女をまた違った面から解釈することも出来る。大人になると魅力を失うもの。ピーターパンシンドロームにロリータコンプレックス。少女は僕自身なのだろう。大人になれない人間。あるいは、大人になりたくない人間。
僕の場合の少女愛は、大人になってしまった僕が子供の頃に出来なかったことを託すような意味もあるのかなぁ?
最後まで
徳村慎
押入れの中に入っているとTさんがやって来て「あの子(祭りに出る少女)に興味があるんだろう」と言う。
次に井上やすしがやって来て、民俗学的な現地調査をしているという。僕の押入れにやって来る。そして、ひと通り僕の描いた絵を見てたが、兄の作ったアクセサリーの方が良いと押入れを出て行く。
僕は押入れで1人で昔作った野球のボードゲームをやる。サイコロで6が出るとホームラン。
**
解釈
押入れは母の胎内のような落ち着く場所を表すのだろう。結局誰も僕を押入れから引っ張り出せないのだ。それぐらい僕の心理は奥にこもっているのだろう。
夢はあくまでも夢であり、現実ではない。それでも僕らしい夢でもある。
なんでこんな低迷した夢を見るのか。低迷ではないのかも知れない。僕は、どうしたんだろう?
見るぶんには少女は楽しい。それを男性に見透かされているのが僕なのだ。
お前の好きなものを俺は知っている、と男性の皮を被った悪魔みたいなのに言われているのかも知れない。
心の中の悪魔は、しかし、少女は成長するものだ、ということも言外に含ませて言っているのだ。少女が成長して女性になれば、(当たり前だが)少女ではなくなるのだ。悪魔はもちろん自分自身だ。
次にやって来た学者の現地調査も、僕自身なのだろう。自然と民俗学の現地調査。面白いかも知れない。しかし、その対象から外されてしまう。これは、僕の描いた絵がアウトサイダーアートから外されている、という感じなのかも知れない。確かに、心の闇を抱えていたりしても、ワザとアウトサイダーアートを取り込んでいることには違いない。ワザとじゃない部分は、無意識に生まれる形だけだ。(最近は心臓の形のように見える無意識の形が多い)
しかし、兄のやっていることは洗練された形で、アクセサリーというよりも、コスチュームジュエリーという名前がふさわしい。
だから、フォークアートやアウトサイダーアートとは、無縁の世界だろう。
学者が選んだのは(アート)表現ではなくジュエリーの高みである。
押入れで1人で遊ぶ。これは、アートについて考えてる僕の姿そのものだろう。1人きり。1人きりの世界で井の中の蛙。自分で作ったルールの中の偶然や無意識の象徴であるサイコロを使うのだという夢なのではないか?
この夢の解釈は、まだまだ、出来るように思える。では、僕の進むべき道は3つに分かれているのではないか?
通常に考えられる可愛い美しいものの美(少女)。
フォークアートやアウトサイダーアートの美(押入れの絵)。
ジュエリーアクセサリーのデザイン美(兄の作品)。
そして今はフォークアートやアウトサイダーアートに接近し過ぎているのではないか?……と思う。
まあ、ピカソもアフリカの美術に接近したし、ゴッホも浮世絵に接近したし。良いっちゃ良いんだけど。
こう考えると美の哲学の夢だったんだなぁ、と思う。
少女をまた違った面から解釈することも出来る。大人になると魅力を失うもの。ピーターパンシンドロームにロリータコンプレックス。少女は僕自身なのだろう。大人になれない人間。あるいは、大人になりたくない人間。
僕の場合の少女愛は、大人になってしまった僕が子供の頃に出来なかったことを託すような意味もあるのかなぁ?
最後まで
読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ