夢日記〜温泉、蜘蛛 | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

夢日記~温泉、蜘蛛
徳村慎

1.
父をバカにする母。バカにしないように注意する。

温泉が沸くのを希望する母親。子供が温泉の管理者(温泉旅館)を仕事に出来ればと考える。

礼儀正しいニホンザルが道を譲らなくなったのは。ニホンザルが人間に襲われてから。

2.
足が32本ぐらいある蜘蛛を兄の部屋で見つけて父が窓の外へ捨てる。

僕はデジタルパーカッションと生のガラクタを組み合わせたハイブリッドパーカッションを叩く。4つのパッドで出来ている。

**
自分なりの解釈

温泉が沸くって神頼みだねぇ。温泉旅館は母子でやってるイメージも浮かんだんだけど、この母というのは僕の母ではなく、全く別の母子なんだよねー。映画の中のストーリーみたいな感じ。

礼儀正しいニホンザルって、ちょっとした山の神だよね。神の存在というか、UMA的な存在というか。

昨夜は、何が原因か分からないけど、妙に落ち込んだ。ガックリと落ち込んだ。自分で自分を励ましたりした。なんとか乗り越えた。
今日もイッテQを観て爆笑した後で、TVを消してから、なんか物悲しい気分でギターばかり弾いていた。
しかし、物悲しい気分でギターを弾いていると気持ち良いのだ。涙を流してスッキリするような気持ち良さ。ギターは心のデトックス効果があるのか。

あまりにもマンガを読みすぎる毎日を送っているからかも知れない。マンガの世界で空想の羽を伸ばして、でも受動的な空想だと分かってしまっているから、物悲しいのかも知れない。

今日の昼に彼女からLINEが入った。
それはとても嬉しかったけど、また会えない辛さが感じられたのかも知れない。

あ、もっと言うと、今まで自分は、何にお金と時間を費やしてきたんだろう?……と虚しく感じられたのかも知れない。ちっとも上手くならないギターというか、もっと言えば、上手くならなくていいんじゃないか?……と思ってしまう自分を発見する。
つまり、落書きをアートと認めるような感じで、鼻唄が音楽なのだ、と認めるようなものなのだ。
ギターを爪弾くのが楽しい、これぞ音楽なのだ、と開き直る。
誰だって出来ることをやって、アートだと言い張るのは最近の僕の手法で。俳句モドキだって「モドキ」っていう言葉で、まともな俳句を作れない自分を持ち上げているというか。これも言葉の落書きなのだ。

ちょっと待て。じゃあ、本当の音楽日記は、落書きについて書かなくちゃならないんじゃないか?
ギターを爪弾くことで何を考えたか?
とか。
元カノとその旦那とか、ギターを弾く美術の先生のこととか考えてた。いや、それだけじゃないな。ギターを弾く、渡辺加津美とか、押尾コータローとか、Li-sa-Xとか、沖仁とか、あと一番考えてたのが、ノイズ系の大友良英だなぁ。

なぜ僕は大友良英になれないのだろう?……みたいなことを考えてた。ここでは、有名になれない、という意味ではなく、単にあんな弾き方が僕には何故出来ないのか?……という考えだ。

出来ないからこそ個性があって。それは逆に言えば自分なりのギターの弾き方をしているということなのだ。
エレアコギターをJOYOヘッドフォンアンプ(メタル)に繋ぎ、更に、monotronDELAYに繋いでディレイをかけて。で、大友良英っぽいノイズ系を自分なりにやったりとかもしたんだけど。最後にはアコースティックで弾いてるんだよねぇ。生音の良さがある。

そこで僕はどうにも分からなくなるのだ。なんでギターを弾いてちょっと物悲しいぐらいで気持ち良いんだろう?……と。気分が晴れるのではなく、あくまでも物悲しくって気持ち良い。

しかし、何が物悲しいのかは、本人にも良く分かってないんだなぁ。コレが。
元カノを思い出すから、ではなく。違う人生を歩みたかったからでもなく。まあ、思い出すし、歩みたいとも思ってる部分もあるけど、そこじゃない。

よく現状に不満があるなら、行動を起こせ、という考え方があるけど、行動を起こすほどの不満はない。落書きアートこそが僕の目指すところだ、という信念もある。それにゆっくりと落書きにも成長があるんじゃないか?……と期待している部分もある。けれども本当のところ成長は、もうないのかなぁ?

成長出来るのは仕事だけなのか。うーむ。

こんなふうな心理になるって夢から分かってたんだろうか?
それとも分かってなかったんだろうか?



最後まで
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