コラージュ『目』
徳村慎
時の彼方への階段。
熊野古道のような。
猫の目のような。
2018年はじめてのコラージュ。
絵画よりも無意識かも知れない。意図するのは最初の三角形だけ。
最初に何を選ぶのか、だと思う。
それはコラージュでもそうなんだけど、趣味もそうだな、と思う。
スマホを最大限に活かすには、どうしたら良いのだろうか?
色んなアプリがある。
ネット、マンガ、ゲーム、楽器、占い、写真加工、お絵描き、あとは標準のメールと電話。
時々思うんだけど、スマホは活かしきれないから面白いのかなぁ?……とか。
いや、だからといってiPhone5sが壊れるまで買い換えたくない気持ちなんだけどさ。
写真のアプリだけでもね。
絵画、写真、コラージュって3つ出来るんだよねぇ。絵画も具象とか抽象とかもあるし、那智黒石の彫刻作品も写真のアプリなんだよねぇ。ああ、あとは、ロックバランシングもやってたなぁ。
楽器のアプリで出来ることって音楽ジャンルなんでも出来るからねぇ。クラシック、ジャズ、ロック、テクノ、アンビエント、レゲエ、ヒップホップ、現代音楽、ノイズ系、チップチューン……etc.
メールに文章書いてる。
俳句モドキ、小説、あとは音楽日記とか絵画についての説明ね。文章が付いてるから見れるのか、文章が単なる邪魔になってるって感じる人も居るだろうけど。
あとはLINEで人と繋がったりとか。これも基本は文章だね。
ネットは広大だし、Amazonや楽天市場で買い物も出来る。ヤフオクもあるなぁ。メルカリのアプリも入れてて、買おうかどうしようか迷いつつウィンドウショッピングしてる。
じゃあ、なんなのだ?
何が満たされないのか?
と。
スマホは出来ること多すぎて使いこなせないところが満たされないんだろうなぁ、と思う。それが満たされたように感じる瞬間って、色々やった時だなぁ。仕事終わって色々趣味やって眠る。それが満たされる。
冬になったばかりの頃って寒くて何もする気になれなかった。仕事もすぐに終わってたし、趣味もそんなにしなかった。その頃に「生きたくないなぁ」と思ってた。「死にたい」のではなくあくまでも「生きたくない」ぐらいの感じで。何に対しても積極的になれなかった。ところが今は、ブワーッと仕事に趣味に忙しい毎日だ。そうすると、こんな感情も出て来た。「悔いはないなぁ」と。明日死んだとしても「悔いはない」のだ。だから、明日、殺人鬼に殺されようとも、ダンプに轢かれようとも「悔いはない」のかも知れない。うーん。でも、アレだよ。欲しいものはあるんだよ。行きたい場所もボンヤリとあるんだよ。でも、なんて言うんだろ?……充実感に満ちていて、それを表す言葉として「悔いはない」なんだよ。だから実際に死ぬ直前になったらマジでビビるだろうけどさ。「死にたくない」とか言っちゃうんだろうけどさ。でも、まあ、死後に化けて出ることはないかな。
最後まで
読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ
