感想『ミュジコフィリア』2017.9.22.
この現代音楽をテーマにしたマンガ『ミュジコフィリア』も2回目読み終わる。
結局、このマンガのラストは神に捧げる音楽へとまとめられていく。
大成はコンピュータを捨て、蓮太郎はあるがままに、朔は自然からのインスピレーションを広げる。
*ちなみに青田も仏教の四苦をテーマにした音楽をやる。
そして、その3人の腹違いの兄弟の父親が死ぬ。そしてその脳波に残る音楽は非常に美しかった。
朔はガムランを習うためにインドネシアに来ている。そこでかつて捨てた自分の曲と出会うところでマンガは終わる。
僕にも天上の音楽は奏でられるだろうか?
神仏とつながるような音楽が出来るだろうか?
どんな音楽でかは分からないけど、『ミュジコフィリア』を超えるのが僕の目標なのだ。
超えたところに到達点があるのか、それとも、そんなもの自体が音楽には存在していないのか。
ボーカルからインストへと移行した僕の音楽。僕自身が石磨きの作業をした時に聴ける音楽を作りたいと思っている。
音楽は音楽以外の何者でも無いのだろうか?
僕の目指すところは、どこなんだろうか?
徳村慎