岩波ジュニア新書
聖書を大胆に短く読みたいなら、うってつけの本だ。僕はリビングバイブルも持っているが、どうにも、旧約聖書のダビデだのソロモンだのまで辿り着かなかったのだ。
今回、旧約聖書の流れも読破出来て、新約聖書もスッキリと分かり、この聖書物語を読んで良かったと思う。
まんがで読破『コーラン』の後で読むのには意味がある。岩波ジュニア新書『ブッダ物語』も持っているので、世界の三大宗教を制覇した、などと思い込みたかったのだ。(笑)
『コーラン』はジハードが良く分からなかった。それと同じことが旧約聖書でも出て来る。ヨシュアのジェリコの戦いのシーンだ。民族に他の土地を与えようと神が言ったと説明されるが、どう考えても侵略戦争である。宗教の名の下に侵略しても良いのだろうか?
それに対して新約聖書はスッキリしている。キリストの愛。自己犠牲で民を救う。そして数々の奇跡。旧約聖書の時代から長い年月をかけて、暴力とは無縁のキリストにまで進化してきたのだとも言える。
『コーラン』には多神教から一神教へと進化したのだと書かれている。ところが、民俗学では一神教から多神教へと進化したと考えられている。
多神教は、お互いの信仰を認めて混ざり合うところから来たのじゃないかと、僕なんかは思う。
一神教は相手の宗教を滅ぼす性質があるんじゃないかとも思う。
ブッダの説いた原始仏教は、生きるための哲学だったように思う。その哲学の要素が仏教の中には貫かれていて、面白いのである。
聖書は神話だ。日本書紀と同じようなものなのだろう。日本書紀の神々はありがたがって祀られる。その神々や英雄の仕事を歴史学的な解釈で理解したりする。スサノオがヤマタノオロチを退治したのは、氾濫する川を治水工事で押さえ込んだのだ、とか。
聖書だって今でも衛星写真とかで、ノアの方舟らしきものが写ったなどと言われるのだ。あまりにも巨大な方舟が化石化して残っているとか。
こうなると、鬼のミイラや人魚のミイラなどといった妖怪の現実化のようにも思える。おそらく博物学が盛んな江戸時代に作られたものなのだろう。今で言うUMAである。
『コーラン』はキリストの後のアラビア半島の世界を描いている。これも神話なのか歴史的事実なのかは、測りがたいところかも知れない。
ダイソーで買った『心がラクになる禅』に「山は是山、水は是水」という言葉がある。無理に本分を曲げず自分は自分らしく。という意味らしい。
僕には僕の生き方しか出来ない。ここから変わることは難しい。無理に誰かの真似をする必要など無い。
結局は仏教徒であり、日本人であり、神社仏閣(神仏)に敬意を払う身としては、キリスト教もイスラム教も、あるいは、ブッダの教えたインドの原始仏教も、僕の信仰とは違うのかも知れないし、無理に理解する必要も無いのかも知れないなぁ、と思ったのだ。
それは恋人の「神さまなんて、いないよ」というLINEメールからも知り得たことだ。そう。僕は僕らしく神仏を信仰すれば良いのであって、僕の彼女は彼女らしく自分の信じる道を進むのだ。それでも、2人が恋人であるなら、いいじゃないか。
ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』には自分の中にアートマンがあると書いてあった。仏教というよりバラモン教の教えらしいが。そして感情移入することで全ての物になれる。鳥や獣や石ころにだって。しかし、最終的に川の言葉を聞くのだ。
川の言葉か。川の音を録音(フィールドレコーディング)したい衝動にかられるなぁ。全ての音を集めるとノイズになる。microKORG はオシレーター1と2とノイズをミックスして音を作っていく。ノイズだけを取り出すと、波の音や風の音に聞こえる。
真空管アンプは独特のノイズ成分があって、リアリティを感じさせたりする。ラジオのノイズ成分でも同じことだろう。あまりにハイファイな音源だとリアリティが失われてしまう気がする。それは古いオーディオマニアの考えかも知れないが。
チップチューンではノイズの音程と音の長さでドラムのシンバルやバス、スネア、ハイハットなどを表現する。カホンという四角い箱の楽器も叩く場所でバス、スネア、ハイハットの音を出してしまう。
と、ノイズの話になってしまったが、全ての音が入ってるのがノイズなのだ。では全ての神さまが入っているのが日本の神仏習合の考えではないのか?……とも思える。
日本は最先端の文化が多い。
マンガ、アニメ、フィギュア、アイドル(音楽)、お笑い、世界から集まった食文化など。
ひょっとしたら新興宗教も世界最先端かも知れない。
それら最先端のものを取り入れて伝統と結びつけて新しくなっていくのだ。「スティーブ・ジョブズと禅」なんて話は、もはや古い話か。
ブッダだってキリストだってムハンマドだって、最初は新興宗教だったんだ。最先端の宗教だった。
色んなものをインターネットの世界や本などから学び、自分で自分だけの信仰を生み出す。これぞ最先端の宗教(信仰)である気がする。
徳村慎