感想:日曜美術館、
クラシック音楽館
2017.9.10.
日曜美術館は横浜トリエンナーレだった。色んな造形があったが、平面よりも映像よりも動く立体が良かった。
電動工具が組み合わさった動く立体。
ものすごく面白い。「お化け屋敷みたい」と表されたのが、ますます面白い。
僕もあんなの作りたいなぁ、と思った。
アートシーンでは、シベリア抑留されてた彫刻家の作品が良かった。これも、作りたいと思ったものだ。
実は僕も病を抱えていて、その明暗に僕自身が支配されている、というか僕の性格の一部が病気であるような感覚なのだ。
だから不協和音とか、汚い色とかが好きなのか。それとも元々好きなのかは分からない。けれど、とにかく、好きだ。
クラシック音楽館は、デトロイト交響楽団演奏会。指揮者レナード・スラットキン。
アメリカの音楽というものも、ジャズの要素が無ければつまらないのかな、とはじめは思ってた。
でも、小曽根真がピアノを弾いたガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルー辺りから僕の好きな感覚が出て来た。
ただ、小曽根真のインタビューでは、ラプソディ・イン・ブルーはジャズか?……と良く聞かれるということだったが、「はじめは僕もジャズだと思ってたけど、今はジャズだとは思わない」と語っていた。
ジャズに比べてきちっと決められた制限がある、というのだ。うーん。確かに即興がジャズならば、決められたものはクラシックなのかも知れない。
それでも、ジャズの影響下でラプソディ・イン・ブルーが出来たのは間違いない。でも、現代音楽に比べて綺麗な音なんだな、とも思った。
コープランドという作曲家の交響曲第一3番。不協和音が使われていて、その部分は好きだった。指揮者スラットキンの解説でも、人生には不協和音があるのだ、と言っていた。
何度も言って悪いが、僕の病気には不協和音や汚い色が良く合うのだ。
もっとTVでも現代音楽のような不協和音を放送して欲しいと思った。
満足しないのなら、YouTubeで探すのも良いかも知れない。それでも満足しない場合は作曲するしかないだろう。
しかし、不協和音は、美しい。愛憎や深く沈んだ悲しみや、その後に出て来る協和音を非常に明るい喜びに感じさせる。
汚い色も綺麗な色の隣だと引き立てる役割がある。
色んなアイデアをもらった3時間だった。僕は模倣からはじめても良いのではないか。そこから創造が生まれる。人生は模倣と創造の繰り返しなのだ。
徳村慎
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