感想『ミュジコフィリア』2017.8.23.
マンガを読み終わった。
これはハマったマンガなので、感想を書きたい。というか、自分の中の記録として残しておきたいのだ。
現代音楽のマンガだ。
現代音楽というのは、クラシックの延長線上にある、美術の影響を受けた音楽と言えばいいだろうか?
このマンガの素晴らしさは、現代音楽の切り口がまさしく21世紀の音楽として描かれているところだろう。
ホワイトノイズ、ラジオノイズ、台風のオーケストラ(風の音)、フィールドレコーディングとその加工音によるクラブミュージック、ピアノ即興と内部奏法、未聴感、DJ、具体音によるオーケストラ、コンピュータのプログラミングによる音楽、脳内の電位を音楽化する装置、シンセサイザー、歌、ガムラン……。
思い出すだけでワクワクするマンガだった。主人公が音楽という遊び、あるいは冒険をしていく姿に自分が重なった。
僕のやりたいことは、これだったのか、とも思った。
先日も、早朝に目が覚めた(というか一睡も出来なかった)から、microKEYAirの61鍵でiPhone5sのKORG Gadgetのピアノの音を即興で操り、ニンテンドー3DSのソフトKORG M01でバッキングをアンビエントっぽく鳴らしつつ、窓の外の虫の声や鳥の声や自動車の音なんかのフィールドレコーディングとの組み合わせた。それをICレコーダーのPJ-35に録音した。
虫の声とかとセッションをしているのだと思う。
坂本龍一のアシンク(シンクしない)というアルバムの紹介をBSで観たりもした。自然音はシンクしないことで成り立つ。でも、全体ではシンクしているように感じる。このアシンクの概念を聴いた時も、僕のやってることと同じだと思った。
僕は次々に楽器を持ち替えてバッキングや窓の外の自然音と同時に演奏らしきものをやることが多いのだが、ミュジコフィリアのやってることを1人でやってるってだけで、同じなのだと思った。
僕が3人ぐらい、いや10人とかでもいいんどけど、それぐらい居たら、ミュジコフィリアになるのかも知れないとも思う。
今日もYouTubeで上原ひろみが金属製の定規をピアノの中に入れて、チェンバロのような音を出しているのを観た。
プリペアド・ピアノと呼ばれる技法が現代音楽にはある。物をピアノの弦の間に挟み込んで演奏する技法だ。上原ひろみのピアノは、その技法の応用のように感じられた。
本物のピアノを持っていない僕は、トーンクラスターや十二音技法や不協和音に近いことぐらいしか出来ない。内部奏法は本物のピアノでしか出来ない音楽なので、とても興味深い。
その代わりに楽器を持ち替えて三線(さんしん:沖縄の三味線みたいな楽器)で弾いたりする。微分音が出る楽器なので、面白く感じている。
歌声もそうだ。
ルーパーを使って歌声をループさせると、音痴な僕は微分音が出てしまって、それはそれで、良い音楽だと思う。
マンガ『ミュジコフィリア』の感想のつもりが、僕のやってる音楽の解説みたいになってしまった。
僕のやってる趣味の音楽はミュジコフィリアなのだな、と思う。
そして次にやりたい音楽の目標はミュジコフィリアをどう超えられるか、が課題ではないだろうか?……と思ってもいるのだ。
徳村慎
