美術日記2016.12.18.
徳村慎
音楽日記が意外と自己改革というか音楽に対する意識向上になっているので、文芸日記と美術日記も書いてしまおう、と考えた。これまでは感想とTV日記だったんだけど、ストーリーのあるものは全て文芸日記に。美術的な話ならば美術日記に書こうと思う。
美術のコンセプトを高める。
1.ドローイング、ペインティング
久しぶりにドローイングをノートに描いた。ペインティングも石に描いた。
ノートのサイズと質感が好きなんだと思う。あと、描き終わると本になるところ。ちょうど音楽だとCDアルバムをひとつの単位として考えることが出来る。だからボイスレコーダーにもアルバムとして自作曲を入れているものが多い。描き終わると本になるのはノートならでは。ドローイングは本当に好きだ。TVでも観ながら描くのが一番良いかも知れない。スケッチも良いが。
ペインティングは久しぶり。那智黒石の碁石やウクレレに描いてからだから、かなり久しぶり。海岸でなるべく面白くない色彩をした石を選んで拾う。ペンキの白や油絵の具のいろんな色を使う。抽象画だ。石の数は3つ。これを増やしていって1mぐらいに拡げて置けるようになれば理想に近くなる。
ただ単に絵の具と格闘したかっただけかも知れない。
これらは日曜美術館を観た影響もある。「絵は歌うように生まれてくる~画家谷川晃一・森の生活~」だ。近頃、毎週観ているのだが、特に心に響いた。抽象画なのだが、森を散歩してイメージを得て描いている。最近の日曜美術館のインプットが自分の頭の中で良い方向に攻めて来た気がする。
ただ、最近AFRAのフィールドレコーディングを使った音楽でゲームセンターを録音したものがあり、こういった音も良いな、とも思った。で、もちろん熊野は自然がいっぱいあって住んでいるところを生かすには散歩して得られるものを見つめる、ということで良いんだけど、それだけでは物足りなく思った。熊野にだってイオンにゲームセンターはあるわけで。そこのコンセプトの揺らぎがあっても良いんじゃないか、とも思った。それは都会から考えれば100分の1にも満たない空間であるのだろうけど。(笑)
つまりは消し去って良いんだけど、「自然ってもっと深いよ」と。人間の生きてる空間でさえ自然なんだ、と思う。
仕事(那智黒石の彫刻)での昔からやりたいコンセプトがあってやってきた。言語的な概念としてのコンセプトではなく、やはりストリートアクセの銀に対抗して「僕らは石で出来るぜ!」という主張を黒い石だからこその強いデザインでやるというものだ。
ただ那智黒石の強さとは何かをもっと突き詰めても良いと感じる。
2.クラーナハ
日曜美術館でやっていた。妖しい裸体が浮かび上がる油絵。透き通るように描かれていて、本当に裸体が好きな画家なんだと語られている。
裸婦の肩幅が頭部に対して狭くて幼児体型だとも言われていた。僕も絵に描く時の幼児体型の魅力は分かる。抱くのなら豊満な身体の方が良いし、幼児体型が見た目の美しさのみだというのも分かっている。しかし、表現としてのタブーに触れるような罪悪感が快感となる美でもある。
ビーナスという画題とかけ離れた現実の裸体であるのは裸体に身につけられた装飾品があるから。装飾品を身につけた裸体は確かに妖しい。コスプレも半裸だからこその美しさだと思う。全裸は、あまりにも説明不足で神話の世界の住人になってしまう。
3.ドローイングにおける線
ドローイングを描いてて思ったこと。線は根っこであり血管であり毛である。丸は老廃物や死骸の変化した土塊だ。そして全体として見た時にそれらが合わさって書となる。文字ではないのだから前衛書道かも知れない。しかし、文字でもあるのだ。心という字に似ている。心という字。この左上がりの波は富士山と共に描かれる構図だ。左上がりの方が人間は安心するのだという。それは右利きであることと関係があるのだろうか?
次に別のドローイングに入る。四角を連ねて十字架を作る。塊はウロコのようでもある。BGMにごく小音量で流しているのは自作のフィールドレコーディング的なヒューマンビートボックスだ。これは意外な音とドローイングの関係性が見られそうだ。ビートは繰り返す。そういや心音をハートビートとも言う。ウロコの繰り返すパターンとビートは同一のものなのだろう。
次に赤ん坊を描いた。どうしても左右対称ながら左右非対称な形が女性器のようだ。風水的だな。もっと子宮の丸であっても良かったのだがまるで全体で見れば顔のようにも感じる。全ては髪の毛の中のアレコレである。幸も不幸も髪の毛の黒に染まり美しく変わる。那智黒石だって全てを黒く美しく結晶化させているのだ。そして結晶といえば水滴である。透明な涙も感情の結晶なのだ。
今、朝が来てヒューマンビートボックスのBGM。左の窓から外の車の音。右の窓から鳥の声。そう思うと太陽に顔を描いたドローイングが出来た。太陽は豊満な女性だろう。豊満な感じが顔に現れるぐらいで丁度いい。
ドローイングは上手いとか下手とかを超えたところに魅力があるんだと思う。いや、世の中の全てがそうなのだろう。AKB48のライブ番組をTVで観た時も、そう感じた。元気に踊っている女の子が観たいってだけで良いんじゃないか、と。何年も自分の可能性とかを歌の技巧だけで閉じ込めて聴いていたんだと思う。元気にダンスする姿が可愛いと思うだけでも、良い音楽と言える気がする。ドローイングもね。上手いとかで描いてた時よりももっと楽しもう、と。それで意識を変えよう、と。あとは写真に頼りすぎな自分も変えたい。写真に撮ってブログにアップしただけで満足して、説明することを忘れてたというか。もうちょっとコンセプトとかをハッキリ言う方が良いと思った。でも、コンセプトを写真を撮った後に言うのは非常に難しい作業。だから、なるべくこの美術日記でコンセプトを書き溜めることが必要なんだな、と思う。音楽日記で音楽を文章化することで意識が変わったように、美術をとことん文章化する時間が必要だな、と思った。
4.美術手帖2013年1月号「恋する美術だった」
"村岡三郎の塩の作品は、苦戦を強いられた。充分乾燥させたはずの塩から水分が出てしまったため、床に埋め込まれた電気ケーブルに損害を与える恐れがあると、作品は三日間の成立をもって中止となった。"
これを読んで展示するだけでもドラマがあるんだな、と思った。
"途中で小規模になっても続けてきたことが力になっていると感じた"
"力を抜けばブーイングして然るべき。それは展覧会というメディアが、何十年、何百年後への種まきの仕事だからだ。"
地元熊野の恩師の油画を見て本人に「全体的に手を抜いた感じやけど、あれは丁寧な仕事をしている」と伝えることも美術の発展には大切なのか。(笑)
5.ドローイング
花は目玉。牛のような鎧。鎧のような大きなウロコ。牙でもある。牙は誇り高いものの象徴か。だとすると白い牛に牙があっても当然である。花は歯車でもある。スチームパンク。
6.那智黒石の加工
粉末成形の流し。ポンスで天然石を割る。新たなアドリブアクセサリーの第一段階。
三重テラスへの展示予定のジュエリー・アクセサリー系を確かめる。東京の三重テラスに技術の上がった物を展示したい。2017年の1月の予定。
ジュエリー・アクセサリー用の天然石切り。水を使って結構手が冷たく痛く感じる。スクエア系になる予定。
7.美術手帖2003年1月号
「中山ダイスケ」
気持ちの良い絵画だな、と見ていた。
"切ったり貼ったり縫ったりという手法は、武器や刃物をモチーフにした作品からの連なりにも見えますね。"
キャンバスの使い方が上手い。「キャンバスに油彩、混合技法」と説明された表現。とても面白い。
"自分では立体とか平面とか、美術とか演劇とか分けて考えたことはないんです。国境についても同じ。その場で自然に影響を受けて、素直に触発されればいいかなあと。"
そういえば僕の小説も絵画表現というか時間の表現だったよなぁ、と。元々が絵画だったからストーリーを手に入れたくて書きはじめたんだった。
小説って僕にとっては舞台芸術だったり映画だったりしたのかなぁ、と感じた。
じゃあ、もっと象徴的な物でも良いんだなぁ、と思う。舞台に物を並べていくだけ。そこに人物が現れる。みたいな。これは文芸日記に続きを書くべきか。そのボーダーが難しい。
8.美術手帖2003年1月号「生命の建築ガウディとジュジョール」
ガウディとデザイナーのジュジョール。樹のようであり、高みであり、万物である。生命の博物学を芸術的解釈で創り上げればガウディになるような気がする。
ガウディの伝記は読んだことがある。キリスト教と地元の神話なんかを混ぜて芸術が成り立っている部分は、日本の神道と仏教が混ざり合った世界にも似る。
9.那智黒石
写真撮影の手伝い。寒いし、雨だし、頭がボーッとしてる感じだった。写真撮影用の箸置きは彩色した。家族が自然光で撮った写真は中々の出来だった。それでも次の撮影に備えて写真の使用は保留。
10.デザインスケッチ
思うものを思い浮かぶままに。色んな影響をされながら。自分独自の解釈でオリジナルに昇華(あるいは消化)する。家族ともネットを見ながら、軽い会議のような。笛を吹いたりウクレレ弾いたりしながらのゆるい感じで。色んな加工アイディアも出た。
11.美術手帖2003年2月号
「ヘンリー・ダーガー」
誰かに認められるために描いた絵でもなく、書いた小説でもないというヘンリー・ダーガーの作品。あるいは自伝。
これらを少し覗くだけで僕の創作意欲は増す。僕もそこに到達出来るんじゃないか、と考えたりする。終わりもはじまりも無い世界かも知れない。
少し試みるか、とも思った。どこかのブログで別名で小説だかなんだか分からないものを書いても良いかも知れない。どうせ、今とて変わらないんだから。
12.ドローイング
宇宙と繋がるというか、宇宙そのものを表したいという欲求。万物霊性というか。
13.美術手帖2003年2月号
「アウトサイダー・アートはなぜ困難か」
"美術のトレーニングとは、いわばそうしたプリミティブな欲動を去勢する過程にほかならない。"
確かに。これは最近本当に思ってたことだ。プリミティブな欲動のままに作品を作ることが出来る方が強い。弱い人間がそういう作品にすがった強さを見せることはあるだろうとも思う。僕もそうなるのが理想だ。
14.美術手帖2003年2月号「過剰と浄化の果ての東京アート」
"なにが重要になってくるのかな。
「日々、ゆったり生きることじゃない?」
それ、理想じゃないですか。
「僕らにとっては理想じゃなかった。ゆったり生きるなんてハナクソだ!って思ってたから(笑)」"
確かに。これもねぇ。Facebookやってた頃は、ゆったりする時間をどれだけ失くせるかぐらいの勢いで全てに取り組んでた。それが、どうもダメな部分もあると分かった。ダーっと全てに取り組んで詰め込むのは理想ではあるけれどボーッとする時間が無いから無理が出る。意識的に休む時間を手に入れていかないとダメだな、と。Facebookは何をやってるかを発表し続けるのがしんどくなった。で対人関係をスッパリ切った方が良いな、と。でも、こうして切った生き方をしていると、今度は自分の中でブレがあって。「一生懸命生きてないんじゃないか?」みたいな不安になる。そこでたぶんAmebaが日記ラッシュになってるのかな?……確かに日記という形式にすると文章を書く時間が増える。ただAmebaブログでの発表は遅くなってる気がするが。(笑)→本人は充実している。
15.ドローイング
眠る前に描いていた。落書きとドローイングに違いは無い。そうあるべきかも知れない。
16.『教育実習用 学習指導案作成教本 美術科』
基本に戻ってみるのも悪くない。中学、高校を指導する教育実習用の本だが、中々、発想が良い。パラパラとめくってアイディアを手に入れる。こうして基本のアイディアを得ることでの広がりと内から突き上げるの欲動(美術教育ではないもの)の両方を上手く混ぜ合わせることが大切なのかも知れない。
17.那智黒石ミノ亀
粉末成形のミノ亀の艶出しを終える。
1~1.5cm角ぐらいのスカル(骸骨)を天然石で彫刻。
ミノ亀など各種亀の置物とフクロウをウミガメ公園(紀宝町)に納品。
徳村慎
音楽日記が意外と自己改革というか音楽に対する意識向上になっているので、文芸日記と美術日記も書いてしまおう、と考えた。これまでは感想とTV日記だったんだけど、ストーリーのあるものは全て文芸日記に。美術的な話ならば美術日記に書こうと思う。
美術のコンセプトを高める。
1.ドローイング、ペインティング
久しぶりにドローイングをノートに描いた。ペインティングも石に描いた。
ノートのサイズと質感が好きなんだと思う。あと、描き終わると本になるところ。ちょうど音楽だとCDアルバムをひとつの単位として考えることが出来る。だからボイスレコーダーにもアルバムとして自作曲を入れているものが多い。描き終わると本になるのはノートならでは。ドローイングは本当に好きだ。TVでも観ながら描くのが一番良いかも知れない。スケッチも良いが。
ペインティングは久しぶり。那智黒石の碁石やウクレレに描いてからだから、かなり久しぶり。海岸でなるべく面白くない色彩をした石を選んで拾う。ペンキの白や油絵の具のいろんな色を使う。抽象画だ。石の数は3つ。これを増やしていって1mぐらいに拡げて置けるようになれば理想に近くなる。
ただ単に絵の具と格闘したかっただけかも知れない。
これらは日曜美術館を観た影響もある。「絵は歌うように生まれてくる~画家谷川晃一・森の生活~」だ。近頃、毎週観ているのだが、特に心に響いた。抽象画なのだが、森を散歩してイメージを得て描いている。最近の日曜美術館のインプットが自分の頭の中で良い方向に攻めて来た気がする。
ただ、最近AFRAのフィールドレコーディングを使った音楽でゲームセンターを録音したものがあり、こういった音も良いな、とも思った。で、もちろん熊野は自然がいっぱいあって住んでいるところを生かすには散歩して得られるものを見つめる、ということで良いんだけど、それだけでは物足りなく思った。熊野にだってイオンにゲームセンターはあるわけで。そこのコンセプトの揺らぎがあっても良いんじゃないか、とも思った。それは都会から考えれば100分の1にも満たない空間であるのだろうけど。(笑)
つまりは消し去って良いんだけど、「自然ってもっと深いよ」と。人間の生きてる空間でさえ自然なんだ、と思う。
仕事(那智黒石の彫刻)での昔からやりたいコンセプトがあってやってきた。言語的な概念としてのコンセプトではなく、やはりストリートアクセの銀に対抗して「僕らは石で出来るぜ!」という主張を黒い石だからこその強いデザインでやるというものだ。
ただ那智黒石の強さとは何かをもっと突き詰めても良いと感じる。
2.クラーナハ
日曜美術館でやっていた。妖しい裸体が浮かび上がる油絵。透き通るように描かれていて、本当に裸体が好きな画家なんだと語られている。
裸婦の肩幅が頭部に対して狭くて幼児体型だとも言われていた。僕も絵に描く時の幼児体型の魅力は分かる。抱くのなら豊満な身体の方が良いし、幼児体型が見た目の美しさのみだというのも分かっている。しかし、表現としてのタブーに触れるような罪悪感が快感となる美でもある。
ビーナスという画題とかけ離れた現実の裸体であるのは裸体に身につけられた装飾品があるから。装飾品を身につけた裸体は確かに妖しい。コスプレも半裸だからこその美しさだと思う。全裸は、あまりにも説明不足で神話の世界の住人になってしまう。
3.ドローイングにおける線
ドローイングを描いてて思ったこと。線は根っこであり血管であり毛である。丸は老廃物や死骸の変化した土塊だ。そして全体として見た時にそれらが合わさって書となる。文字ではないのだから前衛書道かも知れない。しかし、文字でもあるのだ。心という字に似ている。心という字。この左上がりの波は富士山と共に描かれる構図だ。左上がりの方が人間は安心するのだという。それは右利きであることと関係があるのだろうか?
次に別のドローイングに入る。四角を連ねて十字架を作る。塊はウロコのようでもある。BGMにごく小音量で流しているのは自作のフィールドレコーディング的なヒューマンビートボックスだ。これは意外な音とドローイングの関係性が見られそうだ。ビートは繰り返す。そういや心音をハートビートとも言う。ウロコの繰り返すパターンとビートは同一のものなのだろう。
次に赤ん坊を描いた。どうしても左右対称ながら左右非対称な形が女性器のようだ。風水的だな。もっと子宮の丸であっても良かったのだがまるで全体で見れば顔のようにも感じる。全ては髪の毛の中のアレコレである。幸も不幸も髪の毛の黒に染まり美しく変わる。那智黒石だって全てを黒く美しく結晶化させているのだ。そして結晶といえば水滴である。透明な涙も感情の結晶なのだ。
今、朝が来てヒューマンビートボックスのBGM。左の窓から外の車の音。右の窓から鳥の声。そう思うと太陽に顔を描いたドローイングが出来た。太陽は豊満な女性だろう。豊満な感じが顔に現れるぐらいで丁度いい。
ドローイングは上手いとか下手とかを超えたところに魅力があるんだと思う。いや、世の中の全てがそうなのだろう。AKB48のライブ番組をTVで観た時も、そう感じた。元気に踊っている女の子が観たいってだけで良いんじゃないか、と。何年も自分の可能性とかを歌の技巧だけで閉じ込めて聴いていたんだと思う。元気にダンスする姿が可愛いと思うだけでも、良い音楽と言える気がする。ドローイングもね。上手いとかで描いてた時よりももっと楽しもう、と。それで意識を変えよう、と。あとは写真に頼りすぎな自分も変えたい。写真に撮ってブログにアップしただけで満足して、説明することを忘れてたというか。もうちょっとコンセプトとかをハッキリ言う方が良いと思った。でも、コンセプトを写真を撮った後に言うのは非常に難しい作業。だから、なるべくこの美術日記でコンセプトを書き溜めることが必要なんだな、と思う。音楽日記で音楽を文章化することで意識が変わったように、美術をとことん文章化する時間が必要だな、と思った。
4.美術手帖2013年1月号「恋する美術だった」
"村岡三郎の塩の作品は、苦戦を強いられた。充分乾燥させたはずの塩から水分が出てしまったため、床に埋め込まれた電気ケーブルに損害を与える恐れがあると、作品は三日間の成立をもって中止となった。"
これを読んで展示するだけでもドラマがあるんだな、と思った。
"途中で小規模になっても続けてきたことが力になっていると感じた"
"力を抜けばブーイングして然るべき。それは展覧会というメディアが、何十年、何百年後への種まきの仕事だからだ。"
地元熊野の恩師の油画を見て本人に「全体的に手を抜いた感じやけど、あれは丁寧な仕事をしている」と伝えることも美術の発展には大切なのか。(笑)
5.ドローイング
花は目玉。牛のような鎧。鎧のような大きなウロコ。牙でもある。牙は誇り高いものの象徴か。だとすると白い牛に牙があっても当然である。花は歯車でもある。スチームパンク。
6.那智黒石の加工
粉末成形の流し。ポンスで天然石を割る。新たなアドリブアクセサリーの第一段階。
三重テラスへの展示予定のジュエリー・アクセサリー系を確かめる。東京の三重テラスに技術の上がった物を展示したい。2017年の1月の予定。
ジュエリー・アクセサリー用の天然石切り。水を使って結構手が冷たく痛く感じる。スクエア系になる予定。
7.美術手帖2003年1月号
「中山ダイスケ」
気持ちの良い絵画だな、と見ていた。
"切ったり貼ったり縫ったりという手法は、武器や刃物をモチーフにした作品からの連なりにも見えますね。"
キャンバスの使い方が上手い。「キャンバスに油彩、混合技法」と説明された表現。とても面白い。
"自分では立体とか平面とか、美術とか演劇とか分けて考えたことはないんです。国境についても同じ。その場で自然に影響を受けて、素直に触発されればいいかなあと。"
そういえば僕の小説も絵画表現というか時間の表現だったよなぁ、と。元々が絵画だったからストーリーを手に入れたくて書きはじめたんだった。
小説って僕にとっては舞台芸術だったり映画だったりしたのかなぁ、と感じた。
じゃあ、もっと象徴的な物でも良いんだなぁ、と思う。舞台に物を並べていくだけ。そこに人物が現れる。みたいな。これは文芸日記に続きを書くべきか。そのボーダーが難しい。
8.美術手帖2003年1月号「生命の建築ガウディとジュジョール」
ガウディとデザイナーのジュジョール。樹のようであり、高みであり、万物である。生命の博物学を芸術的解釈で創り上げればガウディになるような気がする。
ガウディの伝記は読んだことがある。キリスト教と地元の神話なんかを混ぜて芸術が成り立っている部分は、日本の神道と仏教が混ざり合った世界にも似る。
9.那智黒石
写真撮影の手伝い。寒いし、雨だし、頭がボーッとしてる感じだった。写真撮影用の箸置きは彩色した。家族が自然光で撮った写真は中々の出来だった。それでも次の撮影に備えて写真の使用は保留。
10.デザインスケッチ
思うものを思い浮かぶままに。色んな影響をされながら。自分独自の解釈でオリジナルに昇華(あるいは消化)する。家族ともネットを見ながら、軽い会議のような。笛を吹いたりウクレレ弾いたりしながらのゆるい感じで。色んな加工アイディアも出た。
11.美術手帖2003年2月号
「ヘンリー・ダーガー」
誰かに認められるために描いた絵でもなく、書いた小説でもないというヘンリー・ダーガーの作品。あるいは自伝。
これらを少し覗くだけで僕の創作意欲は増す。僕もそこに到達出来るんじゃないか、と考えたりする。終わりもはじまりも無い世界かも知れない。
少し試みるか、とも思った。どこかのブログで別名で小説だかなんだか分からないものを書いても良いかも知れない。どうせ、今とて変わらないんだから。
12.ドローイング
宇宙と繋がるというか、宇宙そのものを表したいという欲求。万物霊性というか。
13.美術手帖2003年2月号
「アウトサイダー・アートはなぜ困難か」
"美術のトレーニングとは、いわばそうしたプリミティブな欲動を去勢する過程にほかならない。"
確かに。これは最近本当に思ってたことだ。プリミティブな欲動のままに作品を作ることが出来る方が強い。弱い人間がそういう作品にすがった強さを見せることはあるだろうとも思う。僕もそうなるのが理想だ。
14.美術手帖2003年2月号「過剰と浄化の果ての東京アート」
"なにが重要になってくるのかな。
「日々、ゆったり生きることじゃない?」
それ、理想じゃないですか。
「僕らにとっては理想じゃなかった。ゆったり生きるなんてハナクソだ!って思ってたから(笑)」"
確かに。これもねぇ。Facebookやってた頃は、ゆったりする時間をどれだけ失くせるかぐらいの勢いで全てに取り組んでた。それが、どうもダメな部分もあると分かった。ダーっと全てに取り組んで詰め込むのは理想ではあるけれどボーッとする時間が無いから無理が出る。意識的に休む時間を手に入れていかないとダメだな、と。Facebookは何をやってるかを発表し続けるのがしんどくなった。で対人関係をスッパリ切った方が良いな、と。でも、こうして切った生き方をしていると、今度は自分の中でブレがあって。「一生懸命生きてないんじゃないか?」みたいな不安になる。そこでたぶんAmebaが日記ラッシュになってるのかな?……確かに日記という形式にすると文章を書く時間が増える。ただAmebaブログでの発表は遅くなってる気がするが。(笑)→本人は充実している。
15.ドローイング
眠る前に描いていた。落書きとドローイングに違いは無い。そうあるべきかも知れない。
16.『教育実習用 学習指導案作成教本 美術科』
基本に戻ってみるのも悪くない。中学、高校を指導する教育実習用の本だが、中々、発想が良い。パラパラとめくってアイディアを手に入れる。こうして基本のアイディアを得ることでの広がりと内から突き上げるの欲動(美術教育ではないもの)の両方を上手く混ぜ合わせることが大切なのかも知れない。
17.那智黒石ミノ亀
粉末成形のミノ亀の艶出しを終える。
1~1.5cm角ぐらいのスカル(骸骨)を天然石で彫刻。
ミノ亀など各種亀の置物とフクロウをウミガメ公園(紀宝町)に納品。
18.那智黒石スカル(骸骨)
那智黒天然石でスカルを彫る。しかし、冬のせいもあってか急激な熱で割れる。