感想『時をかける少女』 | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。


感想
筒井康隆『時をかける少女』


収録作品は「時をかける少女」「悪夢の真相」「果てしなき多元宇宙」の3つ。

「時をかける少女」
細田守のアニメ映画作品とはかなり違っていてシンプルな小説だ。タイムリープという時間を遡行出来る技術が薬品で生み出せるというのも中々面白い。アニメではクルミに似た物質だったと記憶する。薬品により人間が持つ能力を高めることでタイムリープを身につけるとは素晴らしいアイデアだと思う。そして未来人の恋。アニメは複雑に考えられていて良かった。小説は小説でシンプルな良さがある。初恋とかってこんな感じだったよな、という。


「悪夢の真相」
心理学的に恐怖心を解決する話。恐怖心は罪悪から生まれているのだ、とする説明。僕も長年思い出せなかったことを思い出した時があって、周りには嘘つきみたいに思われてたなぁ。周りの人間は記憶がハッキリしていたので噛み合わなかった。僕が言い訳しているように思えたようだ。思い出したことを小説のネタにしたことがあって怒られた。僕は、思い出せない、と嘘をついた訳ではないのだが。まあ、でも恐怖心というのは調べてみると面白いだろう。

例えば、怪談を読んだ後でトイレに立つのが怖いのは僕は今でもあるのだ。幽霊のイメージをしてしまうのだが、その幽霊は常に自分と同じくらいの歳か、若い女である。女に恐怖を感じているのだろう。その女への恐怖と女への憧れがロリコンっぽい部分になっている気がする。女児であれば怖さが半減するのだ。完全な女ではないとの認識なのだろう。

まあ、コミュニティが小さい範囲なので人間自体が怖いとも考えられる。だとすると人間に会いたくない気持ちが僕の中にずっとあるということになる。人間に会うことは楽しい。しかし、人間同士でゴタゴタがあるのは嫌なのだ。

泥団子の作り方を教わった時にその教えていた友人が唾を入れた。これを入れると割れない、とのことだったが、僕は途中で逃げ出した。今考えれば唾を入れるのは魂を入れる行為だ。呪いのワラ人形なんかに髪の毛を入れたりするのと同じだろう。小学生の時はそれでゴタゴタした。いや、それをゴタゴタと感じる僕が脆(もろ)かっただけだとは思うのだが。

しかし、もっと言えば小学生低学年の頃は友人が居なかった。お漏らししてしまったことがきっかけだったと思う。しかし、その前はどうだろう?……幼稚園の頃は蓄膿で鼻水だらけの僕は周りから浮いていたと思う。

そのもっと前では何があったのか?……分からない。何も無かったとは思えないのだが、分からない。エレクトーンを泣きながら練習する兄の姿とか。小学3年ぐらいで嫌になった絵の塾は、やり始めた頃もやっぱりやらされるのが嫌だったんじゃないか?……とか。幼少期の体験にも何かがありそうだ。

おとなしくて人と交わるのが嫌だったから、やっぱり人づきあいが今でも苦手なのか?……とか。

人に影響されるのを怖れているのかも知れない。自分の価値が揺らぐのが怖いような気もする。インナーチャイルドを感じたことがある。もっと好きなことをやろうよ、外に行こうよ、などと言っているように感じた。好きなこととは何か?……外とは何か?……いろいろと考えさせられる。

この小説「悪夢の真相」は良く出来た深層心理についての小説なのだ。また、自分自身については考えていきたい。


「果てしなき多元宇宙」
要するに自分の望んだ別世界が存在していて、そこに飛ばされるという話だ。人間の思いつくあらゆるものが本当に宇宙には存在する、というSF小説を読んだことがあるが、全く同じテーマである。多元宇宙というテーマだけでも幾つものファンタジー小説が書けそうな気になってくる。筒井康隆の他の小説も読んでみたいな、と思った。


徳村慎



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