小説『架空芸術家日記』2016.8.3 | まことアート・夢日記

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夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

小説『架空芸術家日記』2016.8.3.
徳村慎

*架空の人物である超有名芸術家エム・ティー氏の言葉と想像してお楽しみ下さい。

1.スカトロジー・アート

やはり今やりたい芸術としてはウンコの芸術でしょうか。自分の大便をキャンバスになすりつけて茶色のマーク・ロスコみたいな作品を作りたいですね。

つまりはスカトロジー。世の中全てが糞便なんだ、ということなんです。クソみたいな人生、クソみたいな社会。つまりはクソなんですよ。テロなんて糞っ喰らえ。地震なんて糞っ喰らえ。実は人類はウンコから生まれたんですよ。ギリシャ神話では土をこねて人間を作ったとされるんですが、実はアレ、ウンコなんです。

美術館の企画展のオープニングにはSM専門のAV女優を少なくとも10人ぐらいはよんで広げられたキャンバスの上で浣腸してぶちまけてもらうんですな。そうするとジャクソン・ポロックみたいな作品も出来ますよ。こりゃ絵画の革命だな。

そしてこの絵画がジャンルとして一般に広まり確立したらウンコの絵の具も販売したいですね。


2.パンツ・イッチョウ・ギター

女子高生のコスプレで下半身はパンツ・イッチョウの女の子をたくさんよぶんです。まあ上半身が女子高生の制服だから正確にはパンツ・イッチョウではないんですが。そんな女の子たちがですねギターをパンツの股でこするんです。ネックの部分をこするとギャーって音が出るでしょ。エレキなんで。アンプからギャーっと。

つまりね。僕は芸術家として言っておきたいんだけども。この不協和音はね、誕生の音なの。女の子の股から生まれてくるんですよ。僕たち生命ってのはね。女の子たちが美術館でギャーギャーとエレキ・ギターで音を奏でるんですよ。そのうちパンツが濡れる子も居たりすると大成功なんだけども。まあ、本当ならコスプレじゃなくて本物の女子高生を使いたいんだけども。これは芸術なんだから、年齢的な法律的なものを乗り越えられれば良いんだけども。まあ、日本じゃ無理かも知れないねぇ。これは性的に成熟した女子高生ぐらいがいいの。小学生とかもっと低い幼稚園の子とか使っても意味がないのね。子供を産んでいる芸術なんだから。

これの発展系で経血で水墨画を描くってのもアリかも知れないねぇ。でも集めるの大変そうだよねぇ。じゃあ、使用済みナプキンを集めてぬいぐるみを作るのってどうかな?……ウチのスタッフもさすがに嫌がるかな?……これはあくまでも誕生を表現した芸術であって世俗的なエロジジイ的発想ではないんですよ。


3.爪の瓶詰め

切り終えた爪を集めて瓶に詰めるのも良いよね。爪っていうのは人間にとってなくてはならないもの、なんだけど、切らなきゃ不便でしょ。つまり人類の歴史の断絶を意味するんだよね。人類の機能としては、もう地球を破壊し尽くした感じがあるじゃない?……そうなるとさ、爪っていうゴミが人類のゴミだとか、人類自体だとかになるじゃない。核廃棄物とかもさ。この瓶に詰められた爪と同じなんだよね。そして人間だって地球に閉じ込められた存在でしょ。

この爪の臭いを嗅ぎながらオナニーしたら舞台芸術にもなるよね。これは男の方が良いなぁ。舞台には大きなスクリーンも背景に用意して爪の入った瓶が日曜美術館とかの花瓶みたいにゆっくり回ってるのが映ってるみたいな。ただね。これで精子が出るかっていうと僕は出ないと思うなぁ。残念だけど不完全燃焼でシコシコして終わりっていう結果でね。下半身を出した男優さんたちが気の毒にもなってくるんだけど。これは20人ぐらいの男優さんが必要だね。1人ぐらい射精してくれると、かなり良いんだけどね。無理かなぁ。BGMはEXILEのライジングサンにそっくりな曲を作ってね。ある程度男優さんたちがダンスをしてから1人ずつシコシコに入って、で全員でやる、と。

このシコシコには実は意味があって。自己完結の世界に僕たちは生きているんだというメッセージでもあるのね。自己完結ってことは世界の終焉でもあるわけ。子を産まない作業だし、芸術とか各メディア産業なんかがね。全て機能しなくなったってことでもあるの。だから、閉じ込められた爪ってのが踊る男優さんとリンクしてるんだよ。思想的にね。


4.虫の死骸の立方体

虫の死骸をね。集めてね。まあゴキブリとかムカデとかアシダカグモとか、とにかく家の中に出るヤツがなるべく良いんだけどね。そいつを樹脂で固めてブロック状にしたやつを並べるんだよ。透明な樹脂の中にゴチャゴチャ虫が入っているのね。ちょっと気持ち悪いぐらいのやつが。それがダーっと4×4の全部で16個並べてね。まあ1つの立方体が長さが30~50cmぐらいあるやつをね。ダーっと。

4って死だからね。死が重なってるわけ。ゴチャゴチャとした死ってのは意味なく戦死した人も同じって意味もあって。反戦の意味も実は込められていて。お前たちもこんなふうに無駄に死にたいのか?……ってね。で戦争で死ぬぐらい頑張ってもね。結局は無かったことになるじゃない。やっぱり戦争はダメってなって。兵士たちは俺たち何をやってたんだろう?……ってなるわけじゃない?……だからね。死骸を展示するのって意味があるよね。この芸術分かんないヤツは頭悪いか戦争賛成派だよ。なんてね。いや、でもね、別に兵士という職業を批判しないよ。それは生きるために兵士やってるんだから。むしろ一般の人たちもね。自分たち一人一人の生き方を見つめ直さないとね。ああ、ゴチャゴチャなのか、というね。気持ち悪い方が良いんだよ。こんなもん。こんな芸術飾りたくないよって思わせないと。うん。でも美術館には高値で買ってもらうんだけどもね。わはは。だって、そうしないと生きてけないでしょ。僕が。こっちはスタッフ抱えてやってんだからね。スタッフとその家族を食わせるためにやってんだから、売れてもらわないと困るけども。わはは。

別に飾り物としてはサソリが入ったヤツとかお土産物としてあるんだけど。それがゴチャゴチャ入ってることが違うよね。虫がいっぱい。まあ、僕でも眠る前には見たくない作品だけどね。そうじゃないと死への恐怖感とか嫌悪感につながらないからさ。美って定義が難しいけれども、まあこれがラウシェンバーグ以降の美だと思うけれども。ゴミのアッサンブラージュでね。ゴミの価値なんてね。人間も虫っていうゴミだから。社会ってのは昆虫採集の採集された昆虫たちなんだよね。でも美しい標本では僕の描きたいこととは全く違ってて。気持ち悪いのがこの作品の美なんだよね。



(この小説、続くんだろうか?)