感想
宝積玄承『禅僧 修道院をゆく』
ネット上の文芸社の無料の本だ。
禅僧がカトリックの修道院に入り禅を指導しカトリックの作務を行う体験だ。
特に1章と2章辺りが面白い。本当に体験談として書かれているためだ。
お互いの宗教を認め合う。それはどこかのテロ集団が宗教の名をかたり攻撃するのとは真逆だ。
修道僧たちが坐禅を組み、カトリックの祈りへとつなげるのも面白い。昔はキリスト教でも坐禅を組んだという事実も面白い。
確かにこの交流は仏教史に新たな足跡を残すものかもしれない。
最後の章に向けて世界宗教としての立場からの平和宣言が述べられているが少しくどい気もする。むしろ禅に対する著者の思いを知りたかったような。
ただ、アメリカでの禅のパイオニアの話も出てくるので「禅=日常の作務である」という立場を取っているのかもしれない。それは本当に立派な態度だ。
人間は輝く瞬間を持つ。単なる趣味ではなく、日常の作務をこなした上での趣味。あるいは日常の作務そのものが趣味であれば良いのだろう。
いつも思うのだが本はタイミングだ。その人が本当に求めている読まなければならない本が向こうから飛び込んでくる。出会いや縁に近いものだと思う。内と外のシンクロニシティを感じる。本を同時に読んでいても先に読めてしまう本があるなら、それは必要な流れなのだと思う。この本を読むことで次に出会う本が読めるのだ。
細かなひとつひとつの流れが重なり大きな流れとなる。しかし、読書の川は一方向ではない。結びつきを変えて流れ自体を変えたりもする。深く噛みしめたときになんでもないと思った本が大きな存在になることもある。この本はきっと流れを作ってくれるだろう。
徳村慎
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