感想『文系の壁』 | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。




感想
養老孟司『文系の壁』

この本は面白かった。新しい思考体系を手に入れたい方には是非手に取って貰いたい。僕は小説では余りやらないが、ノンフィクションや哲学の本では新聞紙を切った物をしおりとして挟む事にしている。1冊に何十ものしおりが必要な事もあり、新聞紙はコストが安いので便利なのだ。(笑)……そして再び読み返す時にはしおりの挟まれた所を中心にする。

本文を少し紹介しよう。

現在では計算機の発達で、方法的には理科も文科もクソもなくなった。私はむしろ自然と直面するか、実験室にこもるかその違いのほうが大きいと考えるようになっている。

ファインマンは、声に出さないけれど頭の中で「一、二、三、四……」と音にして数えていた。脳の中の音に関する領域を使っているから、本を読むことはできても、おしゃべりはできません。ところが、友人の方は「一、二、三、四……」と数の書いてあるテープが動いていく様子を頭の中に思い浮かべていたのです。視覚に関する脳の領域を使っているから、本は読めないけれど、おしゃべりはできたというわけです。

ルールというのは、本来は笑うためにあるんだと思うんです。ルールに従っていれば楽に生きられるんだけど、ルール自体にはたいして意味がないし、なんとなく決まっていたりする。真っ当な理屈がついているので、サイエンスという名前になっているんだけど、実は、けっこういい加減なルールも多い。

「一見不自然に思える国家という概念を作ってしまう」ということを、人間の習性、自然の現象だと考えた方がいい。

ボローニャ市行政を回しているのは地区住民評議会で夜七時から始まるそうです。評議員は、レストランを経営しているオヤジなど、すべてボランティア。国の予算はいっさいもらっていない。

僕が一冊の本を丸々使って書いたことが、阿含経には二、三行で書いてあるとわかりました。

……対談集は短い言葉の中に真実が沢山詰まり易い様だと感じる。恐らく知性がぶつかり合う事で、知性同士が組み合わさって、新たな知性を生むからだろう。例えるなら、自民党のような巨大与党だけの意見で動くのか、或いは、少数意見を踏まえた上で結果的に与党の意見が採用されているかの違いではないか。リスクヘッジは100分の1の確率で起こる巨大地震等は考えない事にするのが常らしい。しかし、単に考えないのと、事象が起きた時の対処を考えた上でリスクを心の外に追いやるのとでは違うだろう。例えば美術に就てのアイディアを出したい時に美術書しか見ないのと美術書以外の本からインスピレーションを得るのとでは後者の方が新たなアイディアを得られ易いのではないか。美術書の中の美術は飽くまでも歴史的に起こった事例であり、近未来を創造する新たな価値とは違うのだから。

徳村慎




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