随想「ぽつり」2015.11.18. | まことアート・夢日記

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夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

随想「ぽつり」2015.11.18.
徳村慎


何もかもが失敗だらけ。仕事の失敗などを思い浮かべてエレキ・ベースを弾く内に嫌になって。ムシャクシャして弦をグシャリと叩いたのだが、逆に手の方が痛くて情けないものだ。

言葉を操る内に怒りも消えるだろう。まあ、自分に対する怒りほど強烈な物は無い。持っている楽器を投げつけたいような衝動にかられて自分の身体が急には動かずに、結局は自分の手の方が痛いのだ。怒りは情けない思いに変わり、それも消えて「最初からこんな人間なんだ」と自分に対して諦めを感じる。どうしたんだ?……こんなに諦める人間だったのか?……自分に対して冷たいから、嫌になる。

孤独が度を越すと自分に冷たくなるのか。沈み続ける。この数週間、浮上したいという希望を覆い隠して生きてる。何故、勢いが無くなったのか?……それは驕り高ぶる人間になったからだ、と指摘された。そうかも知れない。何せ、これだけ好きだと思えるエレキ・ベースに八つ当たりしたのだから。全ての火が消えたなら、また、点けるべきだ。新たな火が欲しい。その火は自分の内側から燃え盛る物でなければ意味が無い。誰かの夢を生きるんじゃないし、誰かに夢を託すのでもない。失敗して失敗して失敗して。失敗を知らない人物もこの世には居るのだと聞いた事がある。そういう人物には足元にも及ばない。

しかし、自分が嫌いだとも言い切れない。車で見知らぬ土地へと旅立ちたいと、ふとイメージが沸いて、それを打ち消す。否定して否定して否定して、その先に何を肯定するか。嫌いな自分を受け入れるのだ。これは諦念だ。このままじゃ駄目だ。大事な事を忘れている気がする。自分と自分の思いは合致しないものであったか?……不思議とズレていくのだ。もっと幸福な小説を書きたいと望んでも出来てくる物が不快なものであったりする。しかしデトックスというではないか。全て吐き出すしかない。こんなにも身動きが取れないのに諦念こそが気持ち良い世界であって。その向こうにあるはずの扉から目を背けるのだ。

では扉とは何か?……恐らく今まで見て来た神仏よりも偉大な宇宙への扉である。まだ僕は神仏を見ていなかったのだろう。掴んだと思えば掴んでいなかったのだ。失敗を思うな。今日だって雨の中を屋外で石を切り続けたのだ。僕の中では妥協の無い石選びだった。成功だってあったんだ。1日全てが失敗ではない。腐るな。失敗にばかり視点が固定されるのは疲れてただけだ。脳内が自分の部屋に展開しているように思う。少し拾ってみるか。







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