随想「ぽつり」2015.11.12. | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

随想「ぽつり」2015.11.12.
徳村慎


音楽の録音を聴くのは化石を眺めるのと似ている。実際に即興で弾いて楽しむ事の多い僕が思うのだが、弾いている時は生きている音楽も、録音して聴くと化石に変わる。そして次の音楽を作りたくなるのだ。

今、モーツァルトを聴いているのだが、これも化石だな、と思った所から思い付いた話だ。モーツァルトのCDからポータブルオーディオプレイヤーとして使っているボイスレコーダーPJ-35へと録音して、其処から流れるのだ。その前にはピアニストがCDに録音していて、それが販売されるのだ。そのピアニストは現在生きている人だろう。しかし、楽譜はモーツァルトの生きていた時代の物なのだ。やはり化石である。

この世に溢れるメディアは全て化石だ。本もCDも新聞も雑誌もネットもタイムラグがあるだろう。僕がこうして書いている内に思考は過去の物となるのだ。奏でている時だけが生き物なのだ。しかし、人は化石こそ生きていると思うだろう。作品として成立しているからだ。作品としての成立、つまり完成度が高い物は化石としての存在が高い。スケッチや落書きといったエスキースが生の感覚を多く備えるのに対し、エチュードは完成された化石である。自己の中で古びた物に興味が無いのは誰でも同じだと思っていたが、どうやら、これは違うらしい。

中には化石を愛でる余り、新たな息吹を生み出せない人も居るのだ。僕の身近にも居る。完成度を高めると化石が出来てしまうのだ。このタイムラグを僕は不思議に感じて、少しの嫌悪さえも混じる。僕自身の作品はタイムラグをなるべく無くしたいのだ。リアルタイムの作品が出来ないか、とリアルタイム俳句モドキをTwitter上に書いていた時期もあった。

楽器は即興へと移行して最近Ditto LOOPERというルーパーエフェクターを購入したのも、この流れだと思う。

では生の美術とは何か?……見えたように感じる物のスケッチではないか?

写真も割りかしスケッチに近い。スナップ写真は良い作品だ。今を切り取るから。そしてFacebookにもリアルタイムの可能性を感じる。

生の作品を考えていきたい。