随想「ぽつり」2015.11.10.
徳村慎
善悪とは相対的関係でしかない。誰かが僕を見て善と感じる事もあれば悪と感じる事もあるだろう。では本質的に人間は善悪を持っているか?……否。持ってはいない。
勝ち組などという言葉がある。何をもって勝ちや負けだと判断出来るのか。金銭面で勝っても本人の不幸の度合いは測り難い。勝ち組の人物の家族など周囲が不幸になる事もあるだろう。言い換えれば好きな事をやれるならば勝ちなのだ。
断ち切れない人の繋がりに人間は不幸を感じるものか。それはギブアンドテイクから離れて与え続けているというエゴ意識だろう。実際に僕が誰かに与えている事は少ない。貰っているものばかりだ。それでも少しは誰かに何かを与えているのである。そう信じる。
最近ネットの青空文庫の岩野泡鳴『神秘的半獣主義』を読んでいる。全ての現象や物体は精神と同じである。しかも精神も変転するもので永遠ではない。死とは変転である。「一夫一婦とは、その瞬間に於いてのみ真理である」とも書いてある。全ての現象は恋愛とも捉えられる発言だ。これは男性視点の発言であるのかも知れない。しかし、嚙み締めるに足る発言でもある。
一見、害をなすものと思えるものが、自分に役立つ事もあるだろう。または逆もあり得る。信じているものを一度取っ払って本当に自分の骨肉たるものであるか否かを判断し直す時も必要なのだろう。そうして思考を開けば過去が詰まらぬこだわりだと感じる時もあるだろう。
戻れない事に人間は苛立つ。過去は変えられないのだから苛立っても仕方ない。周囲を変えられる事も少ない。自身の意識の持ちようを変えるしかない。切り捨てるべきは切り捨てる。無駄を失くせ、という意識とも違う。自分が自分らしく生きるとは、やりたい事を選択し続ける事でしかない。今、僕は、きっちり選択しているだろうか。自分なりの善悪ではなく自分なりの「好き」を無理なく進んでいるだろうか。きっと出来るはずだ。自然に頑張ろう。
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