随想「歩み」7
徳村慎
楽器を集めて使うのが好きだ。本も集めて読むのが好きだ。何故、僕は集めたがるのか。たぶん、記憶があやふやになるのを避けるためである。持っている、という認識ほど確かな記憶はない。記憶の外部装置としての物欲である。だから物欲の無い人は記憶力が良いのかも知れない。
しかし、この記憶の外部装置にも限度がある。すなわち部屋のキャパシティである。広さだ。楽器や本に囲まれたい、と願う生活は確かに現実になったと思う。今や、ヤフオクや楽天などを利用すれば中古の楽器や本は簡単に手に入る。田舎では古本屋が次々に潰れているので便利である。(汗泣笑)
そして部屋の広さの限度は自分の収集癖の限度となる。限度が興味を制限するのか、興味の限界が既に迫っているのか。どちらなのかは分からないが、今の状況がそれだ。6畳の自室が物に溢れている。賢い人ならば自室から物を追い出してシンプルな生活をすると思う。デジタルデータなどに圧縮して部屋を片付けて読み終わった本は売って……。
無理なのだ。ある種トラウマに近いのだ。……中学の頃だったか、高校の頃か。母親が勝手に僕の本を他人にあげる話を進めていた。僕は説得されて本を手放した。それが僕の後悔となっていて、本は絶対に売ったり捨てたりしたくないのだ。楽器もそうだ。どんな楽器でも動くならば捨てない。楽器であれ本であれマイブームが巡って来て実際に使うからだ。
重要なものは何かを考えて必要無い物を捨てるというのは非常に難しい。壊れた物ならば分かる。しかし壊れていない物は捨てにくい。
この点では僕は成長出来ないのだろうか?(大汗)
好きな物に囲まれて暮らすのは素敵だ。楽器は寿命が来るまで使ってあげたい。本は一生読んであげたい。
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