小説『薬と仮面』1
徳村慎
目が覚めた。夢を見ていたのに思い出せない。TVを点(つ)けると全く知らない映画が途中から始まったようなものだ。度々(たびたび)、僕の記憶は消えるのだろう。目が覚めると身動きが出来なかった。難しい数式を前に思考が完全に停滞して半分眠ってしまった学生時代のようなものか。動くとロープが身体に食い込む。涙がじんわりと溢れた。随分前から涙が溜まっていたのだろう。ぼやけた視界が少しだけ開けた。赤い仮面の女が見える。良く見ると赤い仮面には、緑の混ざったような不思議な赤茶色で、模様が出鱈目(でたらめ)に描かれている。赤の中の赤。怒りの中に更に鬼の形相が潜んでいる。赤い蚯蚓(みみず)たちは数字の様に踊り深い眠りへと誘い嘲笑(あざわら)う。力とは何か?……孤独の事である。孤独を噛み締めて前を見つめる事だろう。孤独は数学のようなものだ。誰の助けも借りられぬ思考の絶海の孤島。数式は膨れ上がって僕の全身を締め上げる。「やめて……」殴られた。ロープで身体を固定
されたままで身動きは出来ないのだ。避(よ)けられるはずなど無い。殴るとは暴力である。しかし暴力とは感情の吐露であり美でもあるのだ。僕の自我が頭の後ろに隠れて行く。乖離が生じたのだ。時々こうなる。美とは客観でもあるのだな。殴られるのが美であるならば殴る事はどうだろうか?「さぁ、飲むんだよ。ホラホラ、お薬の時間ですよぉ」指先には絆創膏が貼られていた。そっか。料理を頑張ってるんだね。少しだけ思い出した。確か料理が好きだったんだ。女はヒビ割れた赤い仮面に隠されていない左側の顔が笑っている。殴られた衝撃で涙が飛んだのか涙が目から流れて視界がクリアになると、仮面は半分なのだと知った。知識とは殴られて得られる衝撃だ。知恵を授ける事は不動明王のように相手を断ち切る事だろう。女は一体誰なのか?……記憶が無い。僕は……誰?……いや、その記憶は有る。有るのだが思い出さなくて良いと直感が告げる。赤い仮面の女は全体が揺れて、明るい茶色に染まった髪がふわりと舞う。髪のように軽やかな思考。思考の翼。いや、
翼は飛び立ってしまう。髪が良い。茶色の髪は秋の草原。秋の風が僕の涙を洗い去る。しかし涙は泉のように尽きぬ。思考だけがゆっくりと流れているのに。黒い曲が再生されたが誰が歌っているのかは思い出せなかった。赤い仮面の女が差し出す薬。この安定剤はドーパミンが多い僕に、医者から処方されたものだが、飲み過ぎると心臓に負担が掛かりパーキンソン氏病を誘発する。身体の筋肉が固まり動けなくなっていく病気だ。筋肉が躍動する事を古代オリピアでは美とした。また詩の朗読や演劇なども同時に行われた本物の美の祭典であった。オリンピックの起源である祭典はスポーツのみではなかったのだ。しかし、躍動し動き回る事も確かに美であるが、静止した美も存在する。ミロのビーナスにもムーヴマンは有り、回り込むような視点を生み出す。それに対して完全に左右対称のデザインは静止した美を生み出す。そうであれば静止した思考も美しいと言える。運動を生み出すゼンマイを画家のミロは描いたのだっか。ちなみにこのミロはビーナスとは関係無いのだが。運動の原初
が何であるかを絵画として記したものだ。言葉の原初は何であるか?……母である。ママ、と呼ぶ事で赤子は喋り始めるのだ。知識を得る事だけが学習では無い。言葉は必要無いとも言える。しかし、言葉が全てに意味を持たせる。旧約聖書の『創世記』で動物に名前を付けたアダムのように。あるいはミルトンの『失楽園』にはエバ(イブとも言う)が植物に名前を付けたというではないか。僕の薬は元は植物なのだろうか?……と暫(しば)し考えるがそんな知識が僕には無かった。アダムとエバが多数の動物に囲まれて愛し合う。そして動物たちも自由に会話に加わる。蛇だってエバを誘惑したのだ。どんな動物にだって話ぐらいは出来るはずだ。動物たちに兎(ウサギ)が話す。「楽園とは痛みの根源である」と。象(ゾウ)は「であるからして痛みから逃れるために楽園を出る準備をするべきだ」と語る。まだ当時は陸に遊んでいた鯨(クジラ)が「しかし楽園の外は砂漠で自由である代わりに庇護者が居ないでござる」と言う。河
馬(カバ)が「それでも自由ではないか」と笑う。アダムとエバは何の知識も無く、皆んなの意見に頷(うなず)くだけ。蛇が「つまらん。果実の中に真実が有るのだ」と苦笑した。梟(フクロウ)が「何の実であれ真実を含むじゃろ。世界は多面体だからな。あちらから見ればこちらは見えず。であれば世界はどの角度から見ても真実だ」と詭弁を垂れ流す。ネズミたちが「哲学馬鹿の言葉遊びだ」と笑い合う。思考がゆっくりと流れる中で、何度も殴られて「もう、良いや」という気分で薬を飲んだ。直ぐに心臓が痛くなり、身体が強張り筋肉が動かなくなった。明らかに飲み過ぎているのだが、前には、いつ飲んだのかが分からない。記憶を手繰(たぐ)り寄(よ)せようとする気力も無く、ただ時間だけが過ぎてくれるように祈る。震えが全身を襲い、頭の中で巣食う魔物が暴れ出すような気分の悪さ。脳内を虫たちが食い散らかしているようだ。そうだ。薬は飲み過ぎると脳内で孵化して虫に成るのだ。僕の脳細胞をタンパク源にし
て幼虫は成長する。ムクムクと太っていく蛆虫が僕の身体の中で大きく成る。次第に僕の全身が乗っ取られてこんな考えが浮かんだ。「医者の薬を勝手に飲まなかったからだ」と薬剤師が僕に語る姿だ。この記憶自体が本物なのかを確かめる術(すべ)は無い。そうすると薬剤師とは禿げ上がった頭の成長した虫に過ぎないのかも知れない。薬を飲むと、気を失うように眠りが訪れた。
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