小説『ただひとり』
徳村慎
彼を騙すのは簡単だった。ここまで、アッサリと騙されるなんて。
「久しぶりやね」と彼に近づく。
駅に吹き込んだ秋の風が私の髪を吹き上げる。
彼は紫に変色しつつある指を隠すように握りしめて背中に回して「なのは。ホンマ久しぶりやなぁ。変わったけど、その笑い方変わってへんな」などと言う。白々しいのよ。私に呪いを解いて貰うなら何でもするって感じ。彼の本当の感情は懐かしさじゃなく怯えなのだから。
「寝る?」私の言葉にさらに怯えた彼が「い……いや、ええよ。俺にはもったいないわ」と熊野弁を喋る。その声は少し震えている。
「何でも言う事聞くんちゃうん?」私が少し低い声で言ったら彼は泣きそうな顔で答える。「俺、彼女、おるし(居るんだし、の熊野弁)」
「じゃあ、彼女の前でやったろかァ?」私はワザと唇を舐める。真っ赤な口紅に踊る舌。少しエロティックだが、今の彼には恐怖でしかないだろう。「私をフって彼女の巨乳に眠るのが好きなんやって?……あん時の言葉、忘れてへんで」
彼が涙目で訴える。「酷いやんか。そんなん酷いわッ」
「私を捨てたアンタには地獄を味わってもらうんや……蛇は好き?」
「いや……ウグッ、うるイィい〝」
私は彼の表情に笑う。「苦しい、か。こんなん序の口やで。ドラマであったらしいやん。私、ドラマ見やへんから分からんけど。倍返し、とか何とか言うヤツさぁ」私は周りの人間には見えないように蛇の霊体をさらにキツく彼の首に巻きつける。こんな能力、私にしか無いやろ。本物の霊媒師や。超能力者や。オンリーワンやで。ただ、ひとりやろ。「じゃ、彼女を呼んでよ」
蛇が彼と彼女の首を絞め続けてホテルに連れて行くのは簡単だった。「やめて。やめてよ」彼女は泣き叫ぶ。蛇は緩(ゆる)めてある。
「ゆりひな。……ああっ。……アンタがっ……んっ……アンタがっ……んあぁっ。……私の彼氏をっ。はあっ。……奪ったんやで。ああんっ」私は彼の上で腰を振りながら彼女に言った。
「やめてよッ、嵐(あらし)を放(はな)してッ」髪を掻(か)き毟(むし)りながら彼女は泣き叫ぶ。
「はあ、はあ、はあっ。んっ。んっ。別れなぁよッ。……ああん」私はさらに腰を速く動かす。
行為が終わると彼女の右手に包丁を持たせた。蛇を巻きつかせて右手を開く事が出来ないようにする。蛇たちが彼女の足を一歩一歩進ませる。仕方がない。2人は命令に背(そむ)き、拒否したのだから。私は誰にも愛されないんやな。仕方ないわ。
私は部屋を出て夜の街を歩いて行く。断末魔の悲鳴が心地良く脳内に響く。これだけ離れていてもしっかりと彼の声と表情が分かる。これも霊能ってヤツだろう。
夜空に鳥が舞っていた。どんどん急降下して来る。巨大。そう。あれは普通の鳥なんかじゃない。飛んでいる巨大な鳥は足の爪で人間の腕を掴んでいる。そして近づくのだ。
ばささぁッ。
鳥が巨大な姿を折り畳み普通の大きさの鳩になる。青年は端正な顔立ち。顎には深い傷を負っている。
「なのはさん。力は権力のためには無いんですよ」青年が冷淡に言い放つ。
「カズヤ。アンタに殺されるなんて私も幸せモンだわ」私は諦めて笑う。
「どうですかね。僕に貴女(あなた)を殺せる力があるのでしょうか?」青年は掌を上に向けて黒い羽根に息を吹きかけて空中にばら撒(ま)く。
黒い羽根がひゅんっと音を立てて私の服を切り裂く。油断していた。女だからって容赦しないんだ、今回は。過去何度も逃げてこられたのはカズヤの力の使い方にあるのだ。女に情けをかけるような甘い性格。でも今回は違うんだ。
私も全力でぶつかる。白い氷が飛んだ。蛇も空を飛んで行く。カズヤの動きが一瞬遅れた。カズヤの右肘が切れて、肘から先が地面に落ちる。カズヤは怯(ひる)む事無く左手で黒い羽根を飛ばす。私の右眼から視界が失われる。眼が潰れたらしい。
私は全力を振り絞って蛇を育てて飛ばした。黒い羽根が蛇をズタズタに引き裂く。羽根が迫る。死にたくないよぉッ!
右肩から先が吹っ飛ぶ。次に左足が飛んだ。私の身体が衝撃で飛ばされて行く。空中で左腕と右膝から下が飛んだ。そして……ぐしゃあっ。私の首が身体からもげた。
カズヤが左手で私の頭部を持って話し掛ける。「悪者は、こうなる運命なんだよ、姉さん」
私は意識が薄らいで行くのを感じた。能力者といっても死ぬ時は死ぬ。カズヤ……弟は、私の遺体を埋めてくれるのだろうか?……この故郷の何処(どこ)かに。世界でただひとつ、力のある者が集まる街、熊野の何処かに。
大きな月が雲間から顔を出して、街を冷たくも優しく照らし出している。大きな鳥がカズヤを抱えて飛び立った。月まで飛ぶのだろうか。ビルの屋上から、白衣の少女が青い髪を風になびかせて、一部始終を眺めていた。
(了)
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