小説『草原のギター』
徳村誠
四つの脚で踏みにじる龍鬼の巨大な身体。彼女は脚に抑えられながら、逃げてライド、と言った。僕は手を伸ばす。手を握りしめて引っ張ろうとすると龍鬼が彼女の頭や身体を食いちぎった。僕は泣きながら逃げた。街の外れまで来て手を見ると、少し汗ばんだ彼女の手だけが握られていた。
僕は握手をするのが苦手になった。女性とも付き合いたくなかった。高校の時の過去を思い出したくなかった。農場で牛の乳搾りをしていた。1日がただ過ぎて行く。それが積み重なり、1週間で休みが来て。4度繰り返せば給料が出て。春が夏に、秋が冬に、また春が巡って。その繰り返し。ただ、独りであることさえ、忘れるぐらい何もない暮らし。仕事を終えてギターを弾いて、眠れば朝がやって来て。
春祭り。占い婆が杖を山に向けた。「もう直ぐ来おるなぁ。龍鬼どもが」しわくちゃの顔全体をモゴモゴと動かして喋る言葉に村人は戦慄した。この村は住民も少ないで、襲われんとおもた(思った)んやけどのう。口々に語る村人に5日前に村にやって来た旅人の娘サミー・カルムが言った。「あたしが退治するよ」と。
龍鬼が村へと飛んで来た。翼の巻き起こす風で草原の草が波打ち震えた。旅の娘サミーが剣で龍鬼に挑む。龍鬼が口から吐く炎を剣で払いのけ、間合いを詰めていく。僕は大盾の陰でギターを奏でる。龍鬼が大人しくなるという言い伝えの旋律を指ではじく。
娘の剣がとどめを刺そうとした時だった。右に首を伸ばすと見せかけて素早く左に動いた龍鬼が、娘の剣をなぎ払う。僕がギターを弾き続けても龍鬼は素早く動き続ける。娘の髪を前脚で掴んだ龍鬼が首を縮めた。伸ばして娘を食べるつもりだ。僕は大盾の陰から走り寄り、ギターを龍鬼の顔面に叩きつける。
音が響いて龍鬼が怯んだ。僕は娘の手を取って弓を構える村人たちの元へと走る。弓から放たれた矢を嫌いゆっくりとしか近づかぬ龍鬼。娘が村人に剣を借り、足止めされた龍鬼へと走り、頸動脈を斬りつけた。龍鬼は重い身体を大地に横たえた。
村人たちが酒盛りをしている。旅の娘サミーが僕の手を握り私にギターを弾いて、と言った。ギターは壊れたもんでなぁ、と僕が言えば、毎日聴きたいって意味だよ、と僕の身体に抱きついた。村人たちが、若いって良いねぇ、なんて大笑いしていて夜はふけた。旅の娘の、旅は終わった。ここで僕と永遠に暮らすのだから。
(了)
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