小説『ギタリストの指』 | まことアート・夢日記

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夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

小説『ギタリストの指』
徳村慎


指が砕けて飛び散る。真紅に染まる激痛が頭脳を埋め尽くした。

絶叫が僕の耳に届き、夢から覚めた。どうやら、本当に叫んでいたらしい。

掛け布団から引っこ抜いて出した、左手を見つめる。指が在り、動く事に安心して目を閉じて手の甲を額に下ろす。静かに泣いていた。

この指が無いと、ギター弾けへんやん。

友人の手の指は、彼が仕事の木材加工の際に切り落としてしまっていた。

叫び声が加工する工場に響いた事だろう。指を切断すると出血はかなりの量らしい。ボタボタと出続ける傷口を押さえて叫ぶ彼の姿を思うと、こっちまで指が痛くなる。

見舞いに行くと、様々な楽器を扱うのが趣味の彼は、無理に笑みを浮かべて「もう弾けんわ」と言った。

あまりに軽く言うから「お前、ドラムも出来るやんか?」と僕が慰めようとすると、彼は突然怒鳴った。

「お前にゃ分からんわなッ」

皮肉に冷笑を浮かべた彼が続けて言った言葉は僕の胸に刺さった。

「その程度のギターの腕やったら弾けやんように、なっても、ショックっちゃうやろしなァ」

僕は黙って部屋を出た。彼とはそれ以来連絡を取っていない。

その後、「あいつ、まだ、木ィ切りやるらしぃわ」と彼の事は聞いたのだが。僕は、彼の才能が途絶えて嬉しい気持ちが自分に湧いたのを知って、こんなにも醜く汚い心を持っているのか、と自己嫌悪に陥ったりもした。

自己嫌悪は酸っぱい唾を生み出した。ギターに触ろうとするだけで、必ずこの唾が出た。あれ以来、僕はギターに触れていない。

春祭りの季節が近づいた。
祭りの実行委員に「今年は、アンタが、ギター弾いてくれる、ゆうて皆んな心待ちにしとるわ。……まあ、大きな声じゃ言えへんけど、あっちは指怪我しとるから、もう無理やろしなァ。頼むでェ」と言われて複雑だった。

彼が出れば、それなりのルックスと、音楽の薀蓄をギャグを交えて解説する明るいキャラで、祭りの舞台は毎年必ず盛り上がったのだから。

弾いていないのは、4ヶ月ぐらいなのに、ギターには埃が被っていて、何だか誰に対してだかも分からないけど、申し訳なく思った。

持った瞬間、ギターが重みを増して、腕の筋力が消えたように感じた。もう弾きたくなかった。

それでも春祭りに出なければならない。断り切れなかった。弾こうとしたけど冷たい弦に触れた途端、別の楽器のように感じた。別れた恋人が他人のものになっていたように。

僕の中からギターへの情熱は消えていた。ため息が自然と出て、ギターをソフトケースに仕舞い込む。もう見たくなかった。

「ちょ、出掛けて来るわ。気分転換になるやろから」

母は「2~3日休んだんなァ。蜜柑は私が収穫しとくもんでさ。ゆっくりしたんなぁれ」と言ってくれた。

母は、僕の落ち込んだ精神状態に気付いていたらしい。じっと見つめて微笑んだ。年中、様々な柑橘類が採れる温暖な土地。ここには僕は、居たくなかった。部屋の黒いソフトケースが目に入る。ギターが何か僕を非難しているように感じた。視線を合わせないようにして家を出る。

自然と足は動き、辿り着いたのは駅だった。何年振りかに入った小さな駅でディーゼル機関車に乗る。僕らは「汽車」と呼んでいるヤツだ。ここは電車など走っていない。汽車は隣県に着いた。更に電車に乗り込み、関西方面へと進む。

車窓から見える海は鮮やかな青さで、僕は音楽を思い出す。

海辺で、まだ学生だった彼が長い指でギターを弾いている。今でも明瞭に思い出せる旋律とともに彼の声が聴こえる。

「どうや? これが俺の最新の曲やぁ」

ギターの腕を競って、笑いあい、励ましあい、お互い別の都会に出たりもしたけど、色々あって、今、2人はこの田舎で暮らしている。

ギターでの作曲センスも敵わなかった。美しい音楽ばかりを作る彼こそは、僕にとっては最高のギタリスト。しかし、今はギタリストの指を失ってしまったのだ。僕の視界は、真紅に満ちて行く。

目を覚ますと、車窓の外は暗い夕方になっていた。電車は駅の中へと吸い込まれ、ホームが近づいた。でも、僕は心のどこかで、ここに辿り着くと分かっていた。

電車を降りると都会らしい埃の臭いがした。大きな駅では、こんな臭いがしたな、と懐かしい。女性の香水の匂いもする。きっと田舎の人が買わないような高価な香水なんだろう。人の多さに圧倒される。改札を抜けると関西弁で、ざわつく人の熱気が凄い。都会の人には当たり前なのだろう。田舎は人が少ないため、春先の列車内は寒いくらいなのに。今は、速足で歩いていることもあって汗ばんだ。トイレでは汗が冷えて少し寒くなる。尿からも体温が抜け出したようだ。赤外線が作動して水の流れる音がした。

駅ビルの中に楽器屋が在る。見る気も無いのに昔の習慣で足がそちらに向いた。店内で、少年2人がギターを試奏していた。あの頃の僕らと同じくらいの歳か。いつの間にか、こんなオッサンになってんだよな。下手なギターで他の客は笑ったりもしているが、僕は真剣に見入ってしまった。潤んだ瞳でオッサンが見ているのを周りは何と思うだろう。そう考えて楽器屋を出た。

ハンバーガーを食べ終えて夜の道を歩く。「まだ、やってる人が居るんだよ」当時、一緒に良く見に行った元カノが久し振りに連絡をくれた時に言っていた。近づいているらしい。少しずつストリートライブの音が大きくなる。派手にアンプで増幅されたロックだ。近づくと音量に圧倒された。今は、こんななのか。若者は、勢いのあるカッティングで少しモタるけど、全体としては良いリズムだ。自分とは違うとは思ったが、1曲を最後まで聴いてから、その場を離れた。ここに居る観客も本当に若かった。僕は年老いてしまったんだと笑えて来る。

僕は海が見たくなって港へ行く事にした。地下鉄を降りて歩いていたら風が冷たく吹き抜ける。やはり蜜柑の採れる土地とは違うな。確実に寒い。港は静かに海の音がする。ざざぁん、という僕の田舎の海の音とは違った。御浜小石を磨き続ける熊野の海とは、やはり音も違ったのだ。一瞬、落ちたら冷たい海の中で死ぬな、と考えた。別に死にたい訳じゃないのに、ふと浮かんだ。僕も彼も、音楽という海で、生きているのか死んでいるのかは分からない。分からないなりにも、死んじゃいけない。生きなきゃ。寒くて身震いして、僕は温かい所へ行こうと、海に背を向けた。

呑み屋が多い街で、久しぶりに飲んだ。酒は美味い。単純に忘れられるからではない、かといって明瞭に思い出せないのが良い。彼は、酒は飲むが煙草は決して吸わなかった。「ボーカルは喉が大事やからなァ」とおどけて語る彼に、「いつからボーカル専門になったんな?」とツッコミを入れた。確かに彼は時々歌っていたが、飽くまでもメインはギターだった。彼は、その後に熱く語った。

「死ぬまでギター弾いたるんや。爺ぃになっても弾いたるんや。その時は、お前も一緒やぞ。一緒にやろら」

あの時、彼の目は輝いていて、冗談交じりに本気を言ったのが、僕には分かった。

静かに飲んでも酒は回るらしい。勘定を済ませて店を出る。生暖かい料理の匂いが漂う通りで、僕は思いっ切り伸びをした。見上げても空には星が見えなかった。やっぱ、田舎とは、ちゃうんやなァ。

酔っ払いがOLみたいな格好の女性に絡んでいた。嫌がるのにホテルに誘っているようだ。「まあ、まあ、やめといたらんし」と酔った僕が言うと「どこの言葉でワシに物言い付けとんねん?」と脅された。

そこから、僕の記憶は急に飛ぶ。僕の顔がアスファルトに押し付けられている。冷たくてザラザラして痛い。そして油臭かった。こんなアスファルトの臭いをどこかで嗅いだ。道路の舗装工事で、真新しいアスファルトが敷かれた場所だと気付く。男の靴が僕の顔から離れて「弱いのに喧嘩吹っ掛けとんのとちゃうぞ、クソガキャぁ」と言い捨てて、あっさり女性を連れ去った。女性のハイヒールがカツカツと響いてリズムを作っている。ああ、リズムだ。ここにも音楽が有るんやなぁ。やけに冷静に、僕は考えて、笑いながら涙を流していた。

「兄ちゃん、大丈夫なんか?」太った女性が近付いて来た。ようやく寝た状態から座り込む体勢に身を起こして「はぁ。すんません」と答える。「ちょっと、この店入って休ませて貰おか」女性に手を引かれて先程とは別の店に入る。「兄ちゃん、年なんぼや?」訊かれて答えると、女性は同い年だと語った。

飲みながらテンションの上がった太った女性が、何も訊いていないのにオペラの素晴らしさに就て捲し立てる。ああ、やはりここは関西だ。自己主張が強い。僕も音楽知識の分かる範囲で話を合わせる。酒に酔ったのか、僕の手を握り「私は、アンタを助けた白衣の天使やでぇ。感謝しぃやぁ」と言ってからキスをして来た。僕も柔らかな身体を抱き締める。自然な流れでホテルに行って、甘ったるくトロリとしたキャンディの味覚と万華鏡の中の鮮やかな色彩のような浮遊感を味わった。

僕の事を気に入った女性は「もっと部屋で飲まへんか?」と自宅のアパートに連れて行く。部屋に着くなり、可愛らしいキリンのぬいぐるみの横のオーディオを鳴らす。オペラが静かに聴こえる。歌が遊離して僕の身体に溶け込む。

音楽が心を造るんか、心が音楽を造るんかは分からん。けど音楽は神なんや。

僕は声に出して呟いていたらしい。自称、白衣の天使が言った。
「アンタ、詩人やなぁ。理解者やわぁ」

女性は、お酒の入ったグラスを顔の近くに上げて微笑む。女性の可愛い名前を呼ぶと、僕たちはキスでお互いを溶かす。深夜まで音楽談義は続いて、目覚めたのは昼だった。「アンタ覚えとるか? ベッドに誘ったら、そのまま寝てしもたんやァ」僕たちは爆笑してお互いを抱き締める。「今、なんか作ったるから、寝とき」と女性は立ち上がる。普通のパジャマ姿なのに欲情した。自分の顔を必死に引き締めようとするが無駄な努力だった。ニヤニヤと好色な目で見ていたらしく、「そんなに見とれんといてやぁ」と笑われた。包丁の音にリズムを感じた。そのリズムに乗せて僕は無性にギターを弾きたくなった。

3日後の家の居間。田舎に戻れば、こんな小さな世界に住んでいるのか、と思った。それでも僕なりの収穫は大きい。今まで聴こえていなかった音楽に満ちた田舎の良さを知っている自分が居る。もちろん、都会で暮らす彼女のような人には、都会の音楽が聴こえているのだけれど。

「おかえりィ。どこまで行っとったん?」と母が尋ねる。「まぁな。音楽聴きに行っとったんや」と答える。「ええ? どこまでよぉ? まぁ、でも、あんたの顔見て安心したわ。ギター弾きたいって時の顔やわ」

僕は図星だったので、顔を隠すようにして母の作った味噌汁を食べた。湯気に顔を包まれて、昨日、ようやく連絡を付けた彼の声は、掠れて鼻水を啜る音も混じっていて、今も、頭に響く。
「俺よりもウマなれよ!」
うん。上手くなる。
僕は心の中で答えてみた。

(了)






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