小説『雨の日は会えない』 | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

好きな女をアレコレ考えて、洋楽をiPhoneからスピーカーに繋いで聴いていた。
こんな雨だ。森は、さぞ寒かろう。まだ五月だ。夏の暑さも無いが初夏の暖かさも無く肌寒い夜。
あの娘は確かに森で出会い、森へと消えた。俺は彼女が死んでいることに気付いたが、彼女の笑みに全てを忘れた。確かに紫色に変色して冷たくなった手を握ると死を意識してしまう。それでも笑って俺を見つめるあの娘に悪い気はしない。
何故、死体を愛してはいけないのか? 夜の間は、ちゃんと生き返るじゃないか。朝になれば森の中で横たわり眠るだけ。腐敗臭なんて香水で消して甘い口づけを交わすのに。
それでも今日は雨だから会いに行かない方が良い。


熊野の森で言われたんだ。雨の日は来ないでね。人肉が食べたくなるのよ。
俺は素直に従った。
そう。今夜は雨だから。森では、あの娘たちが人を襲うのだ。彼女の美しい唇が人肉を喰らって血に染まる。舌で舐めて綺麗にして、仲間同士で笑いながら、俺のことでも話しているのか。
ある日、乗り合いバスで爺さんに言われたもんだ。あんた、もしかして死人の娘と……付き合っておるんか? ってな。俺はニヤリと笑って何も答えなかった。


俺は少しiPhoneのボリュームを下げて雨の音を聴いた。
水しぶきの音だ。自動車が1台通って行く。
俺の生活は自給自足に近い。時々、野菜を売って暮らしている。不足は無い。これぞ知足か。
こんな山でも3GやLTEが入るんだ。
しかし……。この雨は寂しい。あの娘と暮らせないものだろうか。死体だって良いじゃないか。喋って身体を求め合って笑い合う。何が異常だと言うのか俺には分からない。分からないんだ。


数時間は経っていたのだろう。
玄関に妹の声がした。こんな真夜中に、どうしたんだろう?あいつは都会で暮らしていたのに。
「開けてよ、お兄ちゃん。居るんでしょ?」
妹は苛立った声で戸を叩く。「ハイハイ。分かったよ。今、開けるって。どぉしたん? 急に」
開けると全身黒ずくめの男も一緒に立っていた。肌寒いとはいえ初夏にコートとは驚きだ。
ゾッとした。この世のものでない何かを感じる。死体の方がずっと良い。こいつは誰なんだ……?


「君が、タイマ君かね?」
黒ずくめの男が低い声で訊く。質問ではなく確定されたことを自分自身の納得の為に確かめるように。
俺は喉が詰まったようになって腹から小さな声を必死で絞り出す。
「あんた一体……?」
トンッ。
人差し指で眉間を突かれた。
「ん……むむむゥゥゥ。悪霊退散。ノウマクバザラ……」
俺は素早く、指を払い除ける。
「やめろや! 何すんじゃコラ」
俺は頭に血が昇り、上手く舌が回らない。黒ずくめの男は顎を少し持ち上げて話す。そういえば男の背は俺より高いらしい。目を下に向けて顎を突き出し、やはり笑うように見ている。表情筋は、ほぼ動いていないのに、笑うように感じるんだ。
「君は悪霊に憑かれているね。恋人のつもりかい?」
ひとつ、ゆっくりと瞬きをした。時間でさえ男の黒さに染まっているかのような。
「お兄ちゃん、目を覚ましてよ。そんなのと付き合わないで」
ヒステリックな高い声で妹は言う。目を見開き、上半身を突き出すようにして。妹まで必死になって何を言ってるんだ?


「帰れ。お前らに話す事は無い」
俺は乱暴に玄関の戸を閉めて鍵を掛けた。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! ちゃんと話し合おうよ!」
妹の声は戸を一枚隔てても響く。俺は背中で聞こえる声を無視して部屋に戻って行く。木の床が俺の体重で軋んだ。
何が分かるっていうんだ。俺の愛した者が悪霊だなんて言いやがって。まるで一方的に取り憑かれてるみたいな言い方しやがってよぉ。馬鹿な。俺は好きであの娘と付き合ってるんだ。
こんな夜中に来やがって。
チッ。
舌打ちをして台所でコップに水を汲んだ。瓶から取り出して氷砂糖を舐める。口に含んだままで水をゆっくりと飲む。
妹の声は遠くなった。いや、俺の頭が雑音だと判断しただけだろう。


布団に入って農業ノートをずっと読み返して午前4時。さすがに眠気がして、iPhoneで洋楽を鳴らしたまま眠りについた。
起きると11時半頃だった。時計を一瞬見て目を閉じたので定かではないが。疲れた。今日は何もしたくないな。
妹は本当に昨日の夜に現れたのだろうか?夢の出来事のようにも感じられる。
もう外は晴れているらしく、雨音は無かった。そういえば部屋の影が濃い。顔を持ち上げると、窓は光に満ちていた。
でも今夜は、あの娘に会わないでおこう。誰とも会わずに今日は過ごそう。そう思って二度寝してしまったのだろうか、良く分からないが物音がした気がして起き出す。
玄関に人影が見えた。あの娘に似ている。戸を開けると立ち去った。どうも、あの娘に似ていた気がする。後姿というより、人間かどうかもわからない、ほとんど影しか見えなかったのだが。
玄関には食い千切られた妹の頭が転がっていた。


「サワ! サワ!」
俺は妹の頭に呼び掛けた。しかし、目を見開いたままの妹の頭は当然、何も答えない。無表情で動かないものへの恐怖。者から物に変わり果てた妹は目を閉じてもはっきりと細部まで見える。強烈な短期記憶だ。海馬か何かがショートするぐらい電気を貯めてるんじゃないのか?
近所の主婦が通り掛かり「アンタ! 警察! 警察!」と叫びながら逃げて行った。主人の所に走って行く足音が聞こえた。そこで俺の恐怖は消えた。唯の足音が俺の魔を払ったのか。
俺はグニャリとした冷たい頬や刺さるような髪の毛が気持ち悪い妹の頭を抱えて部屋に戻る。固まり掛けた血液なのに、手や服にさらりと流れて染み込む。俺の心の奥深くまで流れて行く。
「……お前、あの娘に食われたのか? ……なァ? そうなのか?」
はじめて涙が出て来た。もう何年も流していない涙。そう。母さんが死んでから、はじめての涙だ。
「だから言ったんだ」
低い声がして振り返ると背後に黒ずくめの男が立っていた。何故か喜んでいるようにも感じる。
「アンタの妹さんは僕の言うことを聞かずに悪霊に直談判しに行って殺されたんだよ」
目を妹の頭に向けて淡々と言った。だから、また怒りと悲しみがミックスした性的暴力にも似た白い光を後頭部の辺りに感じた。
「違うッ。違うッ!」
俺は泣きながら叫び続けて……気付くと警察がやって来ていた。


いつの間にか黒ずくめの男は消えていたのだ。
妹の頭を抱えていて血が、こびりついていた俺は殺人容疑者として捕まった。
警察には、俺の話は到底信じてもらえなかった。精神病院に送られたが、そこではキツい薬を飲まされて何も考えられなかった。
パサパサの質感のパジャマを着せられて、俺は、ひたすら眠っていた。
コツ。コツ。コツ。
足音だろうか?
何故か思い浮かんだのは黒ずくめの男。
しかし、近付いて来たのは医者だった。
医者は俺の様子を見ると、すぐに帰り……その後で本当に黒ずくめの男が死の影のような姿で入って来た。


黒ずくめの男は身近にあった椅子に腰掛けて背を丸め、膝に肘を立てて顎を乗せた。そのまま何やら呪文を唱えている。
どうでもいい。どうにでもなれ。
ひょっとしたらコイツが妹を殺したのかも知れないが。それさえどうだっていいんだ。
目を閉じていた黒ずくめの男の顔が持ち上がる。少し青ざめているようだった。
「来たのか」
俺が視線を向けると、あの娘が居た。腐乱した姿で。
俺は恐怖で泣き出した。
「馬鹿。声を立てるなッ」
黒ずくめの男が殴った熱いような痛みに、俺は意識が飛んだ。


ぽとん。ぽとん。ぽつぽつぽつぽつ。ざあああーっ。
雨が降りはじめた。
iPhoneをスピーカーに繋いで、洋楽のネットラジオを点ける。
今日は、あの娘に会えないなァ。何故か、この部屋じゃなく、病院のベッドで二人愛し合う妄想をした。
この部屋が以前のような森の香りじゃなく潮の香りがすることに気付いたのは昨日のことだ。もう随分前から山村の住人に会ったことがない。ここは本当に山の中にある村なのか? それとも……?
俺は見ていた農業ノートを閉じて枕に顔を埋めて目を閉じた。







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