信用するに足る | かや

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かやです。



わざわざ言うほどのことでは無いが、仕事は終わってしまえば成功も失敗も過去のこととなる。
そして、仕事は常にあらず、時代も状況も取り組む人の資質も環境も、その全てが片時もとどまらず流動し続け、刻々と変化し続けている。
かつての経験則や成功体験などは、それがその当時如何に素晴らしかったとしても、たとえ似たような案件だったとしても全く状況は異なるから、過去の成功体験を嵌め込んでみたところで、うまく行く訳が無い。
よく言われているのは、今の仕事にとって、かつての成功体験などは邪魔であるとさえ言われていることだ。
そのよう古い記憶に埋没していく体験などは一切打ち捨て、今の状況にのみ、注力し、どのようなやり方をするべきかを考えるのが理にかなった思考だろう。

過去にこだわる者は未来を失なう、と言ったのはイギリスの元首相ウィストン・チャーチルだが、その言葉の通りで、実績は過去の藻屑でしか無い。と言うか。あまり拘らない方がスマートだ。


時々、自身の体験を何かにつけて、恰かも特別なこととして持ち出すヒトが居る。
中には数が勝負とばかりに金融、商社、マスコミ、ITなど様々な業種、営業、事務、企画、医療などの様々な職種、色々なジャンルに跨ぎ勤務経験があり、その業界ならではの様々な特徴、それはいちいち取り立てるに足らないものだが自分だけが知っている特別な情報が如く滔々と話す。
おそらくそのようなヒトは多くの様々な、時に珍しいとされる業種に手を染めていることが唯一の自己アピールだったりする。
あれもしたことがある、これもしたことがあると多岐に渡ってあらゆる業界の様々な職種に知識が広いかのような顔をする。

しかし、よくよく聞けば、長続きなどまるでしていない。たった一度の体験であったり、何ヵ月かのことであったり、たかだか一年、否、それが五年だったとしても、その業種や職種を代表したような何かを知ったような言い方はかなりその仕事に対して甘いし図々しいし、ハタから見ればかなり恥ずかしい。ましてやその業種に従事している人からすればあまりにも浅薄で、知識とも呼べなかったりする。

ただ単に、あれこれ無責任に片足を入れ、あっという間に無責任に辞めているだけなのだが、恰かも、その道のプロとばかりに知ったような体裁で何かを述べ、何でも完全に出来るオールマイティーであることをアピールしていたりする。



あちらこちら、あれやこれやと手を出して、そのどれもこれもが中途半端で、当然ながら大成などおぼつかないが、便利がられて都合良く使われることを、オールマイティー故だからと勘違いしている。

或いは、その心の内には何一つ成就していないことなど重々承知で、自信の無さの裏返しで、せめても自分はオールマイティーなのだと思いたい気持ちが、他者に向けてもそう思わせたい気持ちが強いのやも知れない。

面白いなと思うのはそのようなヒトに限って矢鱈と自分がナニモノであるのかを誰よりも気にしていることだ。
○○をしていた頃、✕✕だった時などと必ず立派な職種を付けて何かを語る、否、騙る。○○や✕✕は、エンジニアだとかコンサルタントだとかで、たとえたった一度の体験でも、たかだか何ヵ月かの腰掛けでも、職種を言うことで如何にも尤もらしく聞こえる。

様々な業種のあらゆる種類の職種を知るより、ひとつを何十年と継続させ、その道を進む人こそ信用するに足る。


tuesday morning白湯を飲みつつ空を眺める。

本日も。稀薄なまま。