このような時間 | かや

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昨日、マシンピラティス&コンディショニング後、同じ施設内のミストサウナで軽く過ごし、移動して、幾つかの昼食に立ち寄る店で昼のひとときを過ごし、移動してリンパドレナージュの施術、移動してヘアサロンでシャンプーブロー後、コールドプレスジュースの店で、生スピルリナ、ケール、小松菜、ほうれん草、セロリ、レモンのナーリーグリーンと生姜、レモン、リンゴのアップルレモンダブルジンジャーを選び、持ち帰り、夕刻、帰宅。


夜、高橋蒼石氏『書の古典』から王羲之「喪乱帖(そうらんじょう)」を眺める。
書の冒頭に喪乱の文字があることからそう呼ばれた書は羲之五十歳の頃の書と推定されている。
書聖と称される東晋の王羲之の真跡は今日では何一つ残っていないと言われる。
唐・宋以来の摸本や集帖に収める刻本・刻石類等はあるものの、これらの中のどれが王書の真の姿を忠実に写したものかを決めることは容易でない。

そのような中、「二謝面帖」「得示帖」と共に合貼された唐代のもので、わが国の前田家に伝わる「孔侍中帖(こうじちゅうじょう)」とともに双鉤填墨(そうこうてんぼく/縁取りをした後、墨を埋めていく模写の技法)が極めて優れていることから、王書の面目をよく伝えるものてして最も重視されているものだ。
縦に簾目のある白麻紙(まし)に双鉤填墨されているが、帖の右端にある「延暦勅帖(えんりゃくちょくじょう)」の押縫の印(朱文方印)によって、古く、桓武天皇(七八一~八〇六)の宮中にあったことが知られ、現在は御物となっている。

〈羲之頓首喪乱の極〉で始まるこの手紙は王羲之の墓が北方民族により再度酷い目に遭わされ、「いたたまれず号泣し、心はちぎれんばかりで、その痛みをどうすればよいか、また激しい悲しみの気持ちがいっそう深まり、どうすればよいか」王羲之が墳墓の地に墓参り出来ない悲しさを訴えている内容だ。
変化自在な筆致のうちに雄々しく勢い良く力強い中に温かみのある豊かな趣を造り出し、まことに無類の神品と称すべきものとある通り、王羲之の名筆の中にあって、この喪乱帖は王羲之ならではの完成された書風を伝える唯一の名跡と呼べるものだろう。


王羲之を知ったのは十代の頃だが、以来、折に触れ、その書を眺め、その度に変化に富んだ特異な筆勢や字並びの妙に惹き付けられてきた。古今あまたある書の中で、惹かれる書は幾つも有るが唯一藤原定家の書を除いてその殆んどが中国の書家もしくは文人、詩人或いは政治家などによるものばかりで新しいところでは清時代の楊峴(ようけん)の書なども惹かれるが逆行するように古い時代のものばかりに惹かれ続けている。

書だけで無く陶磁も中国陶磁にひときわ興味を抱き続けている。中国陶磁は新石器時代の紅陶や彩文土器から始まり、様々な技術革新を重ね、三彩、白磁、青磁、青花、五彩など華麗な器を造り出し、世界の陶磁界を牽引し、世界に先駆けてガラス質の白い焼き物である磁器を生み出し、宮廷のみならず主要な貿易品としてもアジア諸国、イスラム圏、ヨーロッパに輸出された。日本では茶の湯の道具に取り入られ、イスラム圏やヨーロッパでは王侯貴族のコレクションに収まるなどしている。

王羲之を書を眺め、コレクションというほどでは無いが幾つかの白磁、青磁の壺や茶碗を手に取り、手のひらに伝わる陶磁の息遣いを楽しみつつ、ゆるゆるといつでもこのような時間が過ぎて行く。


friday morning白湯を飲みつつ空を眺める。

本日も。平坦。