馴染みが無い | かや

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富士五湖の中では西湖が好きで一時期と言っても軽く二十年くらい前だがしばしば友人とかその時の彼だとか或いはひとりでドライヴをし、もっと前には883でもツーリングしたし、必ず立ち寄る湖畔の蕎麦屋やカフェも有ったが、ここ数年はせいぜい年に一、二度だろう、富士五湖自体赴く頻度は激減している。と書いていて思い出したが十年くらい前は河口湖から少し離れたフレンチの店に友人女性と毎月のように行って、その帰りに五つの湖もドライヴしていたが、赴く場所というのは何年か毎に変わるのだろうか。そのフレンチの店も近年全く行っていない。

昨日、久しぶりに西湖界隈に行ったが湖には行っていない。
ここのところ何と無くホーストレッキングで森林を巡っているが、昨日は河口湖インターからルート139を西湖方面に進んだ場所にある馬場から富士山麓を巡る三時間ほどのコースを楽しんだ。
常歩でゆったりと森林浴を楽しみ、時に速歩や駈歩で山道を堪能した。
帰路、「五つの湖を巡りますか」とドライヴァーに尋ねられ「巡らなくて大丈夫です」と応え、最初からその返答となるのが分かっているかのようにドライヴァーはバックミラー越しに目元を細めて頷いた。
都心に戻り、幾つかの立ち寄るティーラウンジのひとつでティータイムを過ごし、ヘアサロンでシャンプーブローし、銀座八丁目の寿司屋で友人と合流し、懐石を楽しんで、帰宅した。


普段から色々詰め込むことをしない。
余計に詰め込むことをしないのは手に持つバッグに始まり、スケジュール全般に対してだ。
よく有りがちなセリフに「せっかく」がある。
せっかく○○に来たからという具合に、普段とは異なる場所、それは大概生活圏外の離れた場所のことが多いが、赴いた場所でもともと有る用事に加えて、普段とは異なる場所ゆえにスケジュールをてんこ盛りするということはまず無い。
せっかく○○に来たのだから名物の✕✕を食べなければ○○に来た意味が無いとか、せっかく○○に来たのだから有名な✕✕を見物しなければ勿体無いとかそういうことで、そのような考え方が一切欠け落ちているので用事以外に他に行動を加えることが無い。
たまたま立ち寄った店でたまたま選んだのが名物の食べ物だったり、たまたま通過した場所が有名なスポットだったりすることはあるが、「せっかくだから」という損得勘定が見え隠れする、よく言えば旺盛な興味は皆無だ。

序でに言えば、投入した費用に対して得られる価値やメリットの度合いを言うコストパフォーマンスという考え方もこと飲食に関しては一切持ち合わせていないし、CP云々とごちゃごちゃ言うのはそれだけで興醒めだ。


少し前、朝食を摂っている時に不意に龍安寺の石庭を眺めたくなり、のぞみに乗ったが枯山水を眺めるだけで帰途に着いた。京都は好きだが行きたいと思えばまた行けば良いだけで、京都が逃げて行く訳では無いし、もし何かの加減で逃げてしまったとしても、それはそれで仕方ないと思っている。
時間は無限では無い、有限だからこそ、「また」とか「次」は無い、その瞬間その瞬間を大切に使わなければならない、と、いうのが賢い考え方なのだろうが、次が無くとも何ら支障は無いし、次が有ったとしてもそれが特別なことでも無く、どちらもそのようなもの、その程度のことでしか無し、それ以上に気持ちが向くことは無い。ゆえに、せっかくという単語は知っているが、その単語に見合う考え方や行動には馴染みが無い。


thursday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。ほどほど。