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天候が順調に推移することで世の中が平穏無事であることをたとえた言葉を「三十六雨(さんじゅうろくう)」と呼ぶ。
「五風十雨(ごふうじゅうう)」という言葉がある。文字通り五日に一度風が吹き、十日に一度の割合で雨が降ることで、転じて世の中が太平なことのたとえとなる言葉だが、この五風十雨に従って、一年間に降る雨の回数を数え、十日に一雨の計算になるのが三十六雨で、推移の順調なことから平穏無事をたとえている。
似たような言葉に「尭風舜雨(ぎょうふうしゅんう)」がある。伝説的な古代中国の聖天子、尭・舜の恩徳が国中に行き渡ったのを風雨の恵みにたとえた言葉で天下太平のさまを表す。雨や風は天の恵みと捉えることが多い。
「甘露の雨」はやはり中国古来の伝説に、良い政治を行えば、天が善政を嘉(よみ)して降らすとされる甘い雨を呼ぶし、「恵雨(けいう)」と言えば、日照りの後に降って作物を潤す雨だが、「慈雨」同様、君主や神仏の恩沢のことも言う。


雨には、それにまつわる様々な呼び方が多数有るが、雨の別称に、「清露(せいろ)」がある。雨粒を清らかな露と美しく表すこの呼び方は雨が大好きな私は特に好きな呼び名だ。倉嶋厚氏原田稔氏編著『雨のことば辞典』には様々な雨にまつわることばが集められているがその辞典でこの「清露」を初めて知った。
平穏無事や恩沢をたとえて表す雨のことばの中、雨の別称「清露」は殊の外印象を残す美しい呼び名だなと思う。

穏やかな意味を持つものや美しい表現の他に、雨は不穏なものも表されている。
「磨刀雨(まとうう)」という雨のことばがある。
『三国志』の関羽が招かれた宴に自分を殺す計画があるのを知りながら、陰暦五月十三日に刀を雨水で研いで揚子江を渡った「単刀赴会」の故事に由来し、その日の雨を呼ぶ。陰暦五月十三日は現行暦の六月中旬頃だから、丁度今頃のことだ。
「単刀赴会」とは三国時代の蜀の英傑関羽の豪胆さを伝える故事成語として有名だが、単刀は一刀或いは単身を意味し、交渉の為、単身で敵陣に乗り込むことをいう。関羽は呉の魯粛との交渉に僅かな供の者を連れただけで赴き、堂々の対論を果たして無事に戻ったことが由来だ。
また、中国のことわざに「大旱(たいかん/おおひでり)も五月十三日を越えず」があるがこちらも丁度今頃の季節で、梅雨が始まるので旱魃も止まるという意味だ。
昨日、出先で梅雨の話題になり、真っ先に想起したのが磨刀雨だった。


日本人一人あたり所有する傘の所有本数やビニール傘の消費本数は世界一だと言われている。四季を通じて雨の多いことも起因しているだろう。
荷物を必要以上に持つのが好きでないのでバッグの中身はいつもスカスカで殆んど何も入っていないと言われることしばしばだし、バッグの存在感も鬱陶しいくらいでバッグそのものも持ちたくないくらいなので、傘に至っては、雨が好きで、むしろその雨粒を直接受けたいくらいなので、傘を持つということがほぼ無いので、持ち物としては自分に不要な部類に入っている。
スカスカなバッグは若い頃からだがずいぶん昔はそのスカスカなバッグにいつもヴィクトリアノックスのマルチツールナイフ、いわゆるアーミーナイフつまり十徳ナイフを携帯していた。
883でふらふら浮游していた頃から続いた習慣で、ちょっとした時、何かをカットするとか、とても些細なことだが役立つので持ち歩いていたがそのコンパクトな小さなナイフすら荷物に感じてバッグの中身としての資格を剥奪した。
ナイフと言えば異常なくらい刃物が苦手なのだが、ボウイナイフのように、何故か、妙に惹かれるタイプのナイフも有り、幾つかコレクションがある。
ボウイナイフは刃長二十から三十センチのクリップポイント、しっかりしたダブルヒルトを持つ大型のシースナイフ(鞘付きナイフ)で、アラモ砦の戦いで戦死したジム・ボウイが愛用したことから、その名前が付いている。コレクターアイテムやインテリアアイテムとしても造られているが、見事なくらい恐ろしく見事なくらい美しいナイフだ。戦闘に必要な道具は皆全てが美しい。
などと浮かぶまま取り留めなく記してみる。


saturday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。適当。