あっさり忘れるくらいで丁度良い | かや

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かやです。



前日に全く忘れていた記憶、ボローニャ歌劇場で「リゴレット」を鑑賞したのが九十三年五月だったことなどを思い出したことから、その記憶がゆるゆると手繰り寄せるようにその翌年の同じく全く忘れていた記憶を顕にした。
翌年の今頃よりもう少し季節は進み、七月のことだがバイロイト音楽祭(Bayreuther Festspiele)に行った。
今はどうか分からないが当時はなかなかチケットを入手し難く、ドイツの友人のコネを使って、何の労力もかけずにあっさりと行くことが出来たのだが、このバイロイト音楽祭はワーグナーが自身の芸術の理想を実現させる為に作った祝祭劇場で、毎年七月から八月にかけて、バイエルン州フランケン地方の小都市バイロイトのバイロイト祝祭劇場で開催され、ワーグナーのオペラや楽劇を演目とする音楽祭はいわゆるワグネリアンならずとも世界中のオペラファンにとって生涯に一度は行きたい言わずと知れた音楽祭だ。
因みに別名をリヒャルト・ワーグナー音楽祭(Richard-Wagner-Festspiele)とも呼ばれている。日本語ではバイロイト音楽祭という名称が事実上通例となっているが、ドイツ語のFestspieleは本来「音楽」という意味は無い。バイロイト祝祭と訳されることもある。



バイロイトと言えば、ワーグナーと共に有名なワーグナーのパトロンであり、祝祭劇場建設に大きな経済的後ろ楯となったルードヴィヒ二世だ。
ルードヴィヒ二世は美貌で孤独な美の追求者と言われ、狂王とも呼ばれ、最後は謎の死を遂げたが、彼の敷いた政治は悪政の見本のようなもので、国民から絞り取った金と多くの人々の血と汗の結晶のような城々は彼の美意識に極めて忠実に建造されたもので、それらは悪趣味そのものと言われてきた。国王としては失格者と言われていたルードヴィヒ二世だが、今やバイエルン州の財政を支えるほどの観光収入を弾き出し、また収集した楽器はバイエルン国立管弦楽団の名器となっているのは周知のことだ。
音楽祭と共にそのルートヴィヒ二世が中世趣味を具現化するために建てた三つの城、ノイシュバンシュタイン城、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城を巡った。ディズニーランドの城のモデルとなったノイシュバンシュタイン城、ルードヴィヒ二世が頻繁に滞在したというリンダーホーフ城、規模の大きさと投入した費用はノイシュバンシュタイン城を上回り、国家財政を逼迫させたヘレンキームゼー城、そのどれもが圧巻だ。


景観も装飾品も全てが一個人ルートヴィヒ二世自身の個人的な欲求と美意識の結集であり、当時は国民の憎しみの対象になっていただろう巨大な建築物は歴史を重ねる中で重要な文化の足跡となり人々を魅了しているということ、そして何よりも国王としては明らかに失格者のルートヴィヒ二世だが、いつしかその名前は芸術をこよなく愛し、世界的な文化遺産を残し、更には悲劇の王として敬愛されているということで人々の記憶に刻まれていると言うこと、城々を訪れ、その圧倒的な狂気に満ちた美意識の具現化に、感慨を覚えずにはいられなかった。
それは自身の芸術の理想を実現させる為に祝祭劇場を作らせたワーグナーも同様だが傲慢と狂気が偉大な文化を生み出しているという既成の言葉から頭の片隅では漠然と了解していたが、祝祭劇場や城々に身を置いて、まさに全身でその狂気を感じた。
音楽祭でのワーグナーのオペラや楽劇もルートヴィヒ二世の建設した三つの城々も、その狂気はそれが一個人の欲望だということに、忘れ得ない感銘を覚えたのだが、あっさり全く忘れていたが、前日の全く忘れていた「リゴレット」の記憶が手繰り寄せた同じく全く忘れていた記憶が蘇った。
それにしても全く忘れていることの多いこと甚だしい。リゴレットからバイロイトまでの一年の間には勿論他にも海外は何度も往復しているが、記憶はあっさり忘れるくらいで丁度良いのやも知れない。


saturday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。適当。