大好きな題目を思い出していた | かや

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清夜吟

月到天心處
風來水面時
一般清意味
料得少人知


清夜吟(せいやぎん)

月(つき) 天心(てんしん)に到(いた)る処
風(かぜ) 水面(すいめん)に来(いた)る時(とき)
一般(いっぱん)の清意(せいい)の味(あぢ)はひ
料(はか)り得(え)たらや 人(ひと)の知(し)る少(すく)なきを

邵雍(しょうよう)の五言絶句。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、邵雍は1011年-1077年。北宋の学者。字は尭夫(ぎょうふ)、謚の康節(こうせつ)が広く通用している。河北省琢県范陽(はんよう)の人であるが河南の洛陽に長く住んでいた。招かれたが仕えず、耕作して自活した。宋学の元祖の一人で、易にくわし、数理を持って宇宙万里の発達を論じた。著書「皇極経世書(こうぎょくけいせいしょ)」「伊川撃壌(いせんげきじょう)集」が有名。


意。夜も更けて、月が澄み渡った大空の中心に輝く頃、清らかな一陣の風が池の水面に吹きくる頃、この満ち溢れるばかりの天地自然の清らかな味わいは果たして真に知り得る人はどのくらいあるだろうか、恐らくは非常に少ないことであろう。

月夜の清風をよすがとして宇宙の大精神に感動した心境を歌ったものだが非常に難しい哲学的な詩で、「風物を借りて聖人の心境を形容したもの」という批評もあるほどで、理念から情景に及んでいるのと、情景から心境に、更に心境の奥の理念に及んでいるのと、そのふた通りで味わうべきと解説にある。

その詩の詠み味わい方は別として、題目が何とも美しい響きに満ちていて惹き付けられ、それだけで、詩を味わいたくなる。そして、後半の意図する理念より、一句二句の描写はそのような情景がとても好きなので、一幅の絵を見るようでもある。
邵雍のこの作はその詩より、題目の字面と響きに何よりも惹かれている。


昨日、午前中、友人男性宅でひとときを過ごした。
最近、手に入れたという乾隆年製の官窯品を是非とも見に来て欲しいと前夜連絡があり、乾隆帝時代の焼き物は大好きなので、是非とも伺います、と応え、早速、伺った次第だ。友人は十ほど年上だが二十代の頃からの付き合いなのでかれこれ四十年近い交友関係だ。
官窯とは皇帝の命令を受けて直属の窯で焼かれた焼き物で、精巧を極め、もともとは皇帝の身の回りで使われるものだが、異国からの訪問者へのお礼や家来の褒美など広く使用されるようになった。
官窯品にはその裏や底にその時の皇帝名の入った銘款が入っている。乾隆帝時代は1736年から1795年だから、友人の手に入れた官窯品は比較的新しいとは言え、中国陶磁発展のピークと言われているのが清時代のもので、乾隆窯は景徳鎮の官窯、景徳鎮窯で焼成された陶磁器を言い、五彩など特に優れている。
乾隆年製と裏底にあっても、乾隆年製の香炉のコピーという意味でしか無いものも多く、真贋はかなり慎重に見極める必要がある。
かなり精巧な造りで幾つもの特徴を兼ね備えていることから、模倣品では無いだろうが、たとえそうだとしても、技法や伝統が継承された優れた逸品に思えた。
暫し、官窯品を鑑賞し、広い庭に設えた茶室では一服したり、庭を散策したりして、一頻り中国骨董の話題で過ごした。
友人宅の庭には大きな池が有り、様々な紋様の何十と居る大きな鯉が悠々と泳いでいる。間断無く水を池に落とす瀑布の涼やかな音が心地良い。
昼は友人が最近お気に入りだという寿司屋で過ごして、解散した。
友人宅で最近手に入れた官窯品をはじめ他の多くのコレクションの鑑賞は実に贅沢な時間だった。そして、端正に手を入れた庭と瀑布を持つ大きな池の清らかとしか言いようの無い空間は其処が都心であることを忘れる。
友人宅でのひとときは正午前だったが、池の回りを友人と歩いた時、邵雍の七絶「清夜吟」という大好きな題目を思い出していた。


friday morning白湯が全身に心地良く廻り渡る。

本日も。淡く平ら。