夢想と共に湖を眺めていたい | かや

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過濟源登裵公亭用閒閒老人韻

山接青霄水浸空
山色灔灔水溶溶
風廻一鏡揉藍淺
雨過千峯潑墨濃

済源(さいげん)に過(よ)ぎり 裵公亭(はいこうてい)に登(のぼ)り 間間老人(かんかんろうじん)の韻(いん)を用(もち)ふ

山(やま)は青霄(せいしょう)に接(せっ)して 水(みず) 空(くう)を浸(ひた)す
山色(さんしょく) 灔灔(えんえん) 水(みず) 溶溶(ようよう)たり
風(かぜ)廻(めぐ)って 一鏡(いっきょう) 藍(あい)を揉(じゅう)して浅(あさ)く
雨(あめ)過(す)きて 千峰(せんぽう) 墨(ぼく)を潑(はっ)して濃(こま)やかなり

耶律楚材(やりつそざい)の七言絶句。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、耶律楚材は1190年-1244年。元代の名臣、字は晋卿(しんけい)、号は湛然(たんぜん)。天文・地理・律曆(りつれき)・医卜(いぼく)などに精通し、初め金に仕え、のちに元に仕え、太祖に従って四方を平定した。文に長じて、「湛然居士(たんぜんこじ)集」がある。


意。山は高く青空に続き、湖水はまた遠く大空をひたしているかのようで、山の影が、湖水の波に漂い揺れ、水は盛んに流れ動いている。やがてつむじ風が吹き始めると、湖水一面に藍を揉んで、絞り出したような色の波が立ち騒ぎ、見る見るうちに夕立が降ってき、峰という峰全部がまるで墨汁を散らしたような黒雲に閉ざされてしまった。

題目の「済源」は県の名前。河南省に属する。「間間老人」は金(きん)の趙秉文(ちょうへいぶん)の自号。はじめ趙秉文が同じ題目の詩を作り、その韻字をそのまま使って、耶律楚材がこの詩を作った。
山・水の二字が第一句にも二句にもあるのは勿論意識的に使用したものだろう。第三句と四句とは完全な対句をなし、特に「揉藍」と「潑墨」の対語は秀逸。夕立の景色を詠じ尽くして余すところ無く、蘇東破(蘇軾)の「望湖楼酔書」の夕立を詠じたものに比して、まさるとも決して劣らないといわれている作品だ。

蘇軾の七絶「望湖楼酔書」は黑雲翻墨未遮山/白雨跳珠亂入船/巻地風來忽吹散/望湖樓下水如天
〈黒雲(こくうん) 墨を翻(ひるがへ)して 未だ山を遮(さへぎ)らず
白雨(はくう) 珠を跳(おど)らせて 乱れて船に入(い)る
地を巻くの 風来(きた)って 忽ち吹き散ず
望湖楼下(ぼうころうか) 水 天の如し〉
こちらは黒雲が山を覆い隠さないうちに大粒の夕立が船を叩きつけ、船内に入るが、強風が吹いて来て、満天の雨雲を吹き散らし、うそのように晴れ上がり、雨後の望湖楼下の水が一点の曇りの無い天を映して澄み渡っている、と、突然の雨から、雨上がりまでの情景を鮮やかなまでに描いた詩だ。

耶律楚材の詩も蘇軾の詩もどちらも湖での驟雨を描いているがその選ばれた一語一語の無駄の無い表現にまるでその湖に今、自分が雨に遭遇しているような錯覚を覚える。


少し前、湖を訪れた。
緑が美しい山の連なりを遠くに置いて、その湖の形のままを縁取るように車は道を進み、湖面は陽光を受け、さざ波のまま細かく乱反射し続け、きらきらと輝いていた。
淡い水色を鞣し広げたような空は一点の曇りも無く、何処にも雨を予兆するような不穏な雲は無かったが、耶律楚材の七絶と蘇軾の七絶をふと思い出した。
そして、一陣の風に運ばれてきた重たげな雨雲が破れ散るように雨粒を一斉に湖に落とすさまを空想した。
実際には詩のような突然の雨は降らず、何処までも穏やかな湖と山と空とが視界に優しく広がるばかりで、その景観は爽やかに澄み渡り、まばゆいばかりに輝いて、高い空を映した大きな湖がその遠い空ほどの深さを表すように濃い紺色の水面のところどころが風に浚われ、さざ波は穏やかに乱反射している。
湖の畔に突き出した素敵なカフェのテラスから、或いは、湖の中ほどに浮かぶ船から、遠く連なる山を眺め、高く青い空を見上げ、そして、空を映した水面のさざ波を楽しみ、不意に翳りを見せるや否や容赦なく降り出す雨に遭遇し、暫し俄か雨を楽しんで、雨雲が一気に何処かに消え去って、明るい雨上がりの湖に佇めたら良いなと夢想する。実際には畔に突き出したカフェも無いし、湖面は小舟の一艘も浮かんでは居ない。
湖から離れる道の分岐に丁度差し掛かった車がウィンカーを出している。
もう暫く。もう暫くの間、夢想と共に湖を眺めていたいと思ったが、車は湖を後ろに置き去りにして進んだ。


thursday morning白湯を飲みつつ天窓越しに空を眺める。

本日も。薄い。