玉雨 | かや

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瀛州玉雨(えいしゅうぎょくう)という雨のことばがある。瀛州は神仙が住むと言われている蓬莱(ほうらい)、方丈と共に中国で古来三神山とされたもののひとつだ。その山に降る宝石のように美しい雨をいう。

また、梨の花の意もある。国立故宮博物院に清代の劉權之の描いた瀛州玉雨という作品名で、細かな描写の梨の花の絵がある。

深い山に煙るように降り頻る雨。間近で見れば白い空を絡め映した雨粒のひとつひとつがきらきらと木々におりて来るのが分かる。瀛州玉雨。字面からそのような情景が浮かぶ。



昨日未明、然り気無く降り出した雨は片時も止むこと無く終日降り続いた。
都心からは少し離れた土地にちょっとした所用があり、山峡の道を通り抜けた。緑が殊の外美しいこの時期に、雨がいっそう色彩を際立たせ、繁茂した柔らかな木々は麗しく滲んでいる。
清らかとしか言いようの無い雨が降り続く道を車が進む。
ウィンドウに間断無く当たり続ける雨粒のひとつひとつはころんとしてきらきら輝いている。そのひとつひとつは束の間その形を保つが揺らぎ崩れ、隣同士が合流して水流となって千切れ流れて行く。また雨粒のひとつひとつが貼り付いては揺らぎ崩れ合流して水流となる。
その繰り返しを眺めていてふと瀛州玉雨という雨のことばを思い出した。
雨粒はまさに宝石のように美しい。
そして、どうということの無い山峡の道はまるで神仙が何処かに居るのではと思うような厳かな静けさを湛えている。
このままずっとこの美しく幽玄な緑とウィンドウに束の間貼り付いてはすぐに崩れ流れて行く雨を眺めていたいなと思った。


都心に戻ってからも雨は降り続いていた。
止むことをしない心地良い韻律がずっと続いているのが嬉しいなと思いつつ、所用で車から離れる以外、移動の間は相変わらずウィンドウに間断無く当たり、暫し貼り付いては揺らぎ崩れ、水流となる雨粒を眺めた。
高層ビルが林立する街は雨にその喧騒さえ滲み霞み、鈍く煙っている。その朧気な光景もまた何処かに神仙が居るのではと思うような厳かな幽寂閑雅な佇まいに見えてくる。
空を映し絡めてころんと貼り付く雨粒のひとつひとつは丸く端正だ。宝石には全く興味が無いが、宝石のような雨粒が空から降りおりている。
まさに玉雨だ。
その美しい雨粒を一身に、否、車ごと一日中贅沢に浴び続けている。山峡だけで無く街もまるで瀛州玉雨だなと思った。
時に強く風を伴い、片時も止むことをしない雨は自然のもたらす息遣いだ。その息遣いは時に激しく時に優しい。抗いようの無いその全てをただひたすら受け容れている山も街も毅然と美しく、そして高雅だ。
無数の雨粒をウィンドウに水流となっていく様子をひたすら眺めることに没頭出来た素晴らしい雨の一日が過ぎて行く。


tuesday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。特に何も無く。