如何にも今は | かや

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度桑乾

客舎并州已十霜
歸心日夜憶咸陽
無端更渡桑乾水
却望并州是故郷

桑乾(そうかん)を渡(わた)る

客舎(かくしゃ) 并州(へいしゅう) 已(すで)に十霜(じっそう)
帰心(きしん) 日夜(にちや) 咸陽(かんよう)を憶(おも)ふ
端(はし)無(な)くも 更(さら)に渡(わた)る 桑乾(そうかん)の水(みず)
却(かへ)って 并州(へいしゅう)を望(のぞ)めば 是(こ)れ故郷(こきょう)

買島(かとう)の七言絶句。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、買島は779年-834年。字は浪山(ろうせん)、范陽(今の北京)の人。はじめ僧になり、無本(むほん)といったが、韓愈(かんゆ)にすすめられて還俗し、後に長江(県名)主簿となった。韓愈との出会いは推敲の故事で名高い。詩風は孟郊と似ていたが、「郊寒島痩(孟郊の詩は寂しく、買島の詩はほっそり)」という蘇東坡の評にもあるように、その詩は清痩をもって本領としている。「長江集」十巻がある。


意。并州の片田舎に旅寓すること、もう十年にもなり、明けても暮れても、都の長安に帰りたいと思う心の、起こらない日とて無かったが、はからずも、桑乾河を渡って、北の方へ行かなければならなくなり、住み慣れた并州を振り返って眺めると、却って今は故郷のように懐かしく思われる。

わずか二十八字に「并州」は起句と結句に対照的に二度用い、「咸陽」「桑乾」と地名を重ねて使っているが少しも耳障りにならない点は李白の「早発白帝城」同様に巧みと解説にある。
松尾芭蕉の「甲子吟行(かっしぎんこう)」のはじめに「秋十年、却って江戸をさす故郷」とある句は二十九歳にして故郷の伊賀を出て江戸に下り、四十歳にして故郷を経て大和路を探ろうとして江戸を出発した折りの作で、買島のこの詩をふみ、十年仮住まいした江戸に対する感慨を寄せているが芭蕉に限らず中国漢詩から引いた表現は日本の様々な句や詩や小説など実に多く用いられている。


昨日、朝食に立ち寄る幾つかの店のひとつで朝のひとときを和食で過ごし、店を出たところで学生時代の友人女性に遭遇した。彼女とは四年ほど毎日のように交遊していたが社会に出てからは各々が違う方向に歩み出し、会うタイミングも減り、いつしか、遠い記憶の中に埋没してしまっていたが、海外を頻々と往復するようになって、モナコで思いがけず十数年ぶりくらいに遭遇し、以来、再び交流が始まった。

モナコはカジノやショッピング地区の喧騒から離れて休める緑地がたくさんある。市内中心部のすぐ郊外にあるフォンヴィエイユの海を見下ろす熱帯植物園や近くの鍾乳洞の鍾乳石や石筍を楽しんだりしたが、滞在中、モナコヴィル地区にあるサンマルタン庭園の小道にあるベンチに座っていて、声をかけてきたのが彼女だった。
この庭園は彫刻がたくさん有り、あちらこちらから海岸の景色を楽しむことが出来るがあまり観光客が居ないのでゆったりと過ごすことが出来る。
ベンチでぼんやり過ごしていて、突然、「やだもう、やはりまきちゃん」と笑いながら声をかけてきた。

海外の思いもよらない場所で友人に遭遇することは少なく無い。私から先に気付くことは皆無で、友人が見付けて声をかけてくれるのだが、大概、皆、笑って声をかけてくる。その場所に溶け込んでいるのがオカシイらしく、この時も、まるで家の近くの公園にでも居るような風情で座っていて、それが可笑しいと笑って言った。

彼女は現在はモナコに住んでいる。
何十年も前、サンマルタン庭園で遭遇した時は彼女は観光で訪れていたがいつかモナコで暮らすとは全く思っていなかったらしいが、そのわりと直後から色々なタイミングがまるであらかじめそうなるべく重なったように重なって、モナコが居住場所となって久しい。
日本に三週間ほどの予定で今は帰国していて、何日か先に何年ぶりかの再会を鉄板焼きの店で約束をしていたが、思いがけず、再会の前に再会した。暫く立ち話をして、数日後の再会を約束して別れた。
買島は故郷を離れ、ずっと望郷の念を抱きつつ、いつしか住み慣れた場所が第二の故郷となり、その場所を離れる時の感慨を詩「度桑乾」に描いた。友人はその第二の故郷から最初の故郷に三週間ほど居て、再び、第二の故郷に帰って行くが、たった数分にも満たない立ち話だったが、生まれ育った場所よりも如何にも今はモナコが故郷になりつつあるような佇まいだった。



monday morning白湯を飲みつつ空を眺める。

本日も。平坦。