お昼、どこに行きましょう | かや

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友人女性のオフィスではからずも面接の場に居合わることとなった。
畏まった面接というよりは、歓談に近いだろう。
オフィスの中の友人の部屋、いわゆる社長室にあたる部屋で友人と話をしていた時に、その面接者が訪れたことをセクレタリーが知らせに入ってきた。友人がそのまま居てくれて構わない、むしろ居て欲しいと言い、友人とその面接者との面談に同席した。面接者は四十代後半の女性だった。募集の際、年齢性別は不問としたのは今の時代に則してのことだが実際にはある程度の振り分けは存在する。
面接者は社長である友人と同席していることから私をオフィスのスタッフか、もしくは何らかの役職があるのかと思ってなのだろう、満遍なく友人と私とに視線を向け、落ち着いた物腰で自然な笑顔で目を見て終始的確な受け答えをし、如何に友人のオフィスで働きたいかを熱意を込め応募の動機を語り、自身のアピールは口調は控え目だが余すこと無く実績を披瀝する。多岐に及んだ職歴は、しかし、ひとつとして長続きしていないのは、家庭環境による不可避的な事情だった。
雑談半ば、「対人恐怖症でひきこもりで本来は誰ともウマく話すことが出来ませんが、ビジネスの場ではいくらでも話すことが出来ます。むしろ得意かも知れません」と笑顔で淀み無い口調で言った。プライヴェートと公の場ではスイッチが切り替わるのだと言う。
雑談のような面接を終えて、最初から最後まで馴れた笑顔でしっかりこちらの目を見て受け答えした面接者は部屋から出て行った。
セクレタリーが面接者に出したカップ&ソウサーを片付けた。
友人が「どう?」と言った。
どう思う?という意味だ。
それには薄く目元を細めた笑顔を向けるだけに留めたが、
「やはり、そうよね」友人は頷き、私も首を傾げ、頷くかわりにゆっくりとまばたきをした。


対人恐怖症は近年社会不安障害という名前で注目されるようになった病気だ。
人前に出れば誰しも多少の不安や恐れを抱くが、その不安や恐れが過剰になると社会生活に支障をきたす。
それが社会不安障害、即ち対人恐怖症で、以前は性格の問題とか気の持ちようとされることも有ったが、他人との交流や評価を恐れる心の障害で、人前で話す、注目を浴びること、評価されることに対する強い不安があり、避けたり苦痛を感じる。
遺伝的、環境的要因が影響し、自己評価が低く、自己否定的な思考回路で、日常生活に於いては仕事や学校でのプレゼンテーションや会議に参加することなどが困難で、治療の対象となるれっきとした病気で、実際に心理療法や薬物療法などがあり、それらは不安や恐怖をなくす為の治療では無く、適度な状態まで和らげることを目的とし、一般的には薬物療法を中心に、症状に応じて認知行動療法などの心理療法を組み合わせて行なう。


対人恐怖症は人間全体への恐怖に焦点を当て、他人との接触、対話、親密さや集団状況で特に恐怖が顕著となる。社会生活に大いに支障をきたすのだから、誰よりもほいほいと馴れた調子で面接に挑み、用意していたであろう言葉を淀み無く発することなど殆んど不可能だろう。
従って、面接者が安易に口にした自身が対人恐怖症、近年では社会不安障害と呼ぶが、そのような病気であるというのは専門的な診察も受けず、思い付きで言っているだけだろう。ビジネスの場では何ら支障無く、むしろ得意で如何様にも話せるなどというのは、架空の漫画キャラクターやドラマなどオハナシの世界以外では、なかなか無い全くのデタラメな状態だ。
どのような意図からそのような簡単に破綻するウソを面接という場で吐くのかは不明だが、おそらく日常的に会話の中につまらないウソを盛り込んでいるのだろうことは想像に難くない。
3ヶ月、持って半年でプライヴェートな理由で辞められて、職歴にオフィス名を加えられるのはデメリットでしか無い。言葉にはしなかったが友人も私も同じことを感じていた。
友人と私はほぼ同時に「お昼、どこに行きましょう」と言い、その面接者のことはそれ以上話題にすることは無かった。
昼は友人も私も同じ店を思い浮かべていたので、その店でひとときを過ごした。



thursday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。平坦。