伝わって来る | かや

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春夜洛城聞笛

誰家玉笛暗飛聲
散入春風滿洛城
此夜曲中聞折柳
何人不起故園情

春夜(しゅんや) 洛城(らくじょう)に笛(ふえ)を聞(く)く

誰(た)が家(いへ)の玉笛(ぎょくてき)ぞ 暗(あん)に声(こゑ)を飛(と)ばす
散(さん)して春風(しゅんぷう)に入(い)って 洛城(らくじょう)に満(み)つ
此(こ)の夜(よ) 曲中(きょくちゅう)に 折柳(せつりゅう)を聞(き)く
何人(なにびと)か 故園(こえん)の情(じょう)を 起(お)こさざらん

李白の七言絶句。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、春の夜、洛陽城で笛の音を耳にして、故郷懐かしさのあまり作った詩。
洛城は洛陽(唐の東都)の城郭都市。

意。どこの家の風流子が吹きすさぶことやら、何処からとも無く笛の音が夜のしじまを縫って流れて来る。その音が春風に乗って、この洛陽の都じゅうに行き渡ってゆくようだ。今夜耳にした色々の曲目の中で、わけても別れの時に奏でる折揚柳の曲を聞いては、誰ひとりとして、望郷の念にかられないでいられようか。


「暗」の字は「誰家」に応じ、また「飛」「散」「風」に応じ、笛の音が洛陽城中に満ち満ちれば、これを耳にしない者はない訳だから、結句の「何人」の語を呼び起こす。「此夜」は題目の「春夜」に応じ、「折柳」は直ちに「故園情」に通じることから、この詩は前後照応の関係が実にきちんとし、一字もゆるがせにしてない。さすがに名作と称せられるゆえんだと解説にあるが、その通り、見事に整った詩は李白ならではの才が存分にあらわれているように感じる。

昨日、移動の車で捲り、李白の洛城の笛の音を詠んだ詩から、城郭都市を取り上げた中国史学者愛宕元(おたぎはじめ)氏の著『中国の城郭都市-殷周から明清まで-』を思い出した。
帰宅したのはまだ明るい時刻だったが、早速書棚から取り出して、氏の著書を久しぶりに眺めた。邯鄲古城、長安城、洛陽城、大都城など中国城郭都市の構造と機能の変遷をふんだんに史料、考古資料をもとに都市の設計プランの物理的構造や形態は変遷を把握することを目的とした書で大量の遺跡や史跡の図面が織り込まれ、更に各時代の首都だけでなく、地方の諸都市も多く取り上げ、各時代満遍なく網羅した書だ。
他に氏の名著『唐代地域社会史研究』がある。
眺めたかったが気付けば、日を跨いでいたので、こちらは移動の車で眺めるべく、そのまま書棚から引き抜いて、棚の近くのテーブルに置いた。


本当に権威のある人は権威を振りかざさないと著書でジョン・キム氏は記していたが、権威の無い人が自身の職位なり何かによって、それだけを頼りに、とりわけ権威に弱そうな人たちをうまく見つけて振りかざす。
権威を振りかざす人はその当人が権威に弱いので、自分に似た人たちを見付けるのが実にうまい。そうして自分に似た権威に弱い人を相手に権威を振りかざして、自己満足に浸る。
自己満足に浸る為に振りかざすのは権威だけで無く能力やら経歴やら資格やら、それはもう自己満足なのだから多岐に渡るだろう。
振りかざし方にも色々有る。
尊大に振りかざすことも有れば、謙遜したふりをしたり、場合によっては経歴そのものを塗り潰したいというような言い方で、ちゃっかり披瀝し振りかざす。
ふんぞり返ってあからさまに振りかざすよりも、恰かも黒歴史の如くに否定しながら全面にアピールする後者がタチが悪い。そのような一見慎ましげに謙遜しながら振りかざす人はおしなべて視野が狭く生活半径も小さい。そして井の中の蛙大海を知らずを地で行くような人はやたら色々なことを中途半端に掠り続け、何ひとつ続かない。
当たり前だが何かひとつを成就することは並大抵ではないし生涯をかけて為し遂げていくものだから、振りかざすことが多岐に渡れば渡るほどそれら全てがまるで成就していないということだけが伝わって来る。


friday morning白湯を飲みつつまだ明けない空を眺める。

本日も。平ら。