丁度良い | かや

かや

かやです。



昨日、朝、友人男性が迎えに来た。
幾つかの居住場所のひとつは海に程近い。
何日か前に昼の約束をしていたが、前夜「海に少し出ませんか」と連絡が入ったのは彼のアジムットが予定より一日早くメンテナンスが済んだからだった。
早い時間から太陽が頭上に上るまで海の上で過ごして、マリーナに戻り、丘の上のレストランで葉山牛をメインにした完全おまかせの昼食のひとときを過ごし、あとから来て待機していた車に乗り込み、友人とは解散し、やや長めの移動をして、ヘアサロンでシャンプーブローし、移動して一件所用を済ませて、幾つかの居住場所の前日とは異なる住まいに戻る。


簡単な事務的な作業をして、部屋を変えて久しぶりにといっても三日ぶりだが逆立ちをして、その部屋で暫し過ごし、また部屋を変えて、ピアノの部屋で久しぶりにといっても三日ぶりだが鍵盤の前に座り、とても適当にベートーヴェンのピアノソナタとショパンエチュードをそれぞれ何曲か弾く。かつて師事した何人かの先生たちが聞けば漏れ無く失望間違いない弾き方で楽しんだ後、キッチンに行き、帰りがけに購入したコールドプレスジュースをグラスに注ぎ、別な部屋でぼんやりと過ごした。
選んだグラスはサンルイのフォリアコレクションの中から選び、注いだジュースは生姜、人参、リンゴで作ったザルーツという名だ。飲みきることが一度も無く、いつでも廃棄しているが、昔から特に温かくない飲み物つまりジュースの類いを飲みきったためしが無い。


昔とは子どもの頃からなのだが、何故かグラスに注がれた飲み物を残してしまう。理由は特に無いがおそらく子どもの頃冷たい飲み物を飲まなかったからだろう。親がそのような飲み物を避け、冷たくない状態でいつでも出してくれていた。
そのためか、氷を浮かべた飲み物はその見た目や氷がグラスに触れる涼やかな音は好きだが飲む意欲はあまり無いし、氷を浮かべずに注いだ飲み物もそのグラスを楽しむが肝心の中身にまで興味が及ばない。
とはいえ、氷を浮かべないジュースも最後まで飲みきることが無いので氷は全く関係無いだろう。
また、温かい飲み物は猫舌では無いが熱々をフーフーしつつ啜るのは苦手で、微妙にぬるくなってから口に運ぶ。これも子どもの頃、誰しもがそうだろうが親が熱いままを避けてだいぶ冷めてからを口に入れてくれたからで子どもでなくなって以後も熱いものは冷めてから口に運ぶ習慣になった。ついでに言えば、なんでもかんでもカットしたので、何かを丸かじりするという機会は子どもではなくなってからも一度も無いままだ。
更に言えば、ボトルの飲み物をじかに飲むことも無く、注いで飲んでいたので、大人になってだいぶ経ってオートバイに乗るようになって、ツーリングした先でヴェンディングマシーンから出した缶コーヒーを如何にもいつものことのように飲んだが、実はオートバイに乗るまでは缶コーヒーやペットボトルなどの類いはまるで口にしたことが無く、ましてやじかに飲んだことも無いままだった。オートバイに乗らなくなって再びそのような飲み物を選ぶことも、じかに口を付けて飲むことも無くなった。
冷たいから美味しい飲み物も熱いから美味しい飲み物も常温といえば聞こえは良いがどちらも微妙な状態になってから漸く口に運ぶので、アイスクリームやかき氷のような冷たさを味わうものは溶けて半ば飲み物になってからスプーンで掬う。飲み物だけでなく食べ物にもそれは及ぶ。
中途半端な、むしろ決して美味しいとは言えない状態で丁度良い。そのぬるくメリハリを避けた感じは全てに渡り、人生そのものがまるでぬるく、まるでメリハリに欠けている。
避けているのだから欠けている。
しかし、それで丁度良い。


wednesday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。稀薄なまま。