何よりです | かや

かや

かやです。



前日とは打ってかわって陰鬱な空からは細かい雨が沈黙したまま大地に間断無く降りおりていて、それだけで気持ちは弾み、願わくはこのままずっと暗鬱な曇に覆われたままだと良いなと思いつつ、時折通り抜ける公園を歩いた。
爽やかに晴れ渡る日も清々しい風が大地を優しく浚う日も心弾むが、鈍く沈んだ曇天や雨もまたいっそう嬉しい。
如何なる天候も全て楽しいから、生憎の雨でとか鬱陶しい天気などというセリフは気持ちにまるで入って来ない。そして一致しない言葉は上滑りして何処かに消えてしまう。楽しいという表現は語弊が有るが自然の中にたまたま身を置かせて頂いている身としては、いちいちその自然にどうこう言う資格など無い。異常気象だとか言う表現も宇宙全体から見たらずいぶんと狭隘な決め付けでしかないし、言葉で勝手に成立させている事象の全てが人間本位という傲慢さはなかなか恥ずかしい。
前日の弛緩した陽気から一転、園内は見事なまで、鈍く重たい空を映して沈み、木立は雨粒をいっぱいにのせ、地面は黒々と濡れて、美しく、それがとても嬉しいし、傘を持たず雨に打たれて歩く心地良さにひときわ気持ちが浮き立つ。
つい何日か前に赤い蕾を膨らませた沈丁花がほんの微かにその隙間から仄かな匂いを漂わせていた。
そして前日の夏のような陽射しに呑気に開花してしまったのだろう、剥き出した白い花弁が雨に濡れていた。


梔子(くちなし)や金木犀と並んで季節の訪れを香りで知らせてくれる沈丁花は百種以上の成分がその香りに含まれ、三種の木の中ではいちばん遠くまで香りが届くと言われ、別名を千里香(せんりこう)と呼ばれている。
花よりも先に香りで沈丁花の開花に気付くことも少なくない。
この常緑の花木はもともとは中国南部が原産地で中国名は瑞香、輪丁花、渡来してすでに室町時代には日本でも栽培されていたとされている。
外側が紅紫で内側が白い肉厚な花はどこかけなげで愛くるしい。花弁のように見える部分は萼が花弁状に変化したもので本来の花弁では無い。
また雄雌異株で雄株と雌株とが有り、日本で流通し栽培される株の多くは雄株なので殆んど結実するのを見ることは無いようだが、赤く可愛い実は猛毒で、誤食したりすれば、口唇や舌の腫れ、喉の渇き、嚥下困難、悪心、嘔吐、血の混じった下痢を伴う内出血、衰弱、昏睡などの症状が出て、死に至る可能性もあるというのだから、高い香気は妖しく魅惑的でもある。


突拍子も無く暖かな、むしろ暑いくらいの前日の陽光に、蕾は一気に弛ませてしまい、花を開いてしまったようだ。その花に細かい雨粒がびっしりと密着している。小さな雨粒ひとつひとつに封じ込められつつも真新しい香りを沈丁花は発散している。
その清浄な香りと丸くびっしり貼り付いている細かな雨粒とを嗅覚と視覚に留め、公園の出口とも入口ともなる場所に待機している車に向かった。
蕾を開き、真新しく清らかな匂いを漂わせる沈丁花で昨日は一日が始まった。
乗り込んだ車内は暖房が効いていた。
乗り込む時、ドライヴァーは腕にタオルをかけた手で傘を差し掛けて、ドアを開け、乗り込んだと同時にタオルを渡してくれて、そして、ドアを閉じた。
シートに収まり、ドライヴァーが用意してくれたタオルで雫を拭ったが、本当ならば沈丁花の花のように雨粒を纏ったまま、一日中、あの沈丁花のように小さな小さな雨粒ひとつひとつに遠い空を映していたかったくらいだ。
「雨ですね」ドライヴァーが言った。
「雨ですね」おうむ返し応えると
「楽しそうで何よりです」バックミラー越しにドライヴァーが言った。
「何よりです」笑顔で応えた。


thursday morning白湯を飲みつつ、まだ明けない空を眺める。

本日も。薄いまま。