ずっととはずっと | かや

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かやです。



昨日、マシンピラティス&コンディショニング後、移動して、ヘアサロンでシャンプーブロー、移動して、昼食に立ち寄る幾つかの店のひとつでやや遅めの和食のひとときを過ごし、移動し、紀尾井町で簡単な打ち合わせ、移動して、銀座で所用を済ませたところで、五時を回っていた。
コールドプレスジュースの店でアップルレモンダブルジンジャーという名の生姜、レモン、リンゴの入ったジュースと、ブラッディビーツという名のビーツ、リンゴ、レモン、ケール、小松菜、ほうれん草、セロリ、人参、生姜の入ったジュースを選び、幾つかの居住場所のひとつに帰宅する。


オーダーしていたデセデのアームチェアが届いていて、留守番の人の作業によって、すでに設置する予定の部屋に開封され、置かれていた。
その部屋自体、特に用途の決まっていないがらんとしたスペースだ。正方形の部屋はベージュ系のカーペットで、部屋全体は白い。ダークブラウンのアームチェアは背、アーム、シート全体を五ミリほどの厚みの雄牛の一枚革を使用したもので、ひとりゆったり凭れるのに丁度良い。以前はエルバイタリアのアイボリーのイスタンテの二人掛けのソファーとオットマンとテーブルを置いていた。居心地の良いソファーだったし、特に問題も無かったが、何と無く、ポツンとアームチェアとテーブルだけにしたくなった。
とはいえ、どちらにしてもその部屋がただソファーとテーブルだけしか無いことに変わりはない。テーブルもアームチェアに合わせて前のものは処分し新しく替えた。


腰をおろし、体を委ねるという意味で、椅子の役割はとても大きい。それは口に触れるカップ&ソウサーや茶碗の類い、或いはスプーンやフォークや箸なども同じだし手に触れるカトラリーや食器全般もそうだし素足に感じるフロアの質感もバスタオルもフェイスタオルも身を埋めるベッドも或いは漂う空気も移動の車のシートもそうだし挙げたらキリが無いが、日常生活は皮膚もしくは体のどこかしらに必ず何かが触れ続けている。

その無意識に触れ続けている何かは心地良いものだけで包まれていたい。
心地良さは価格の問題では無いが廉価なものは廉価なりのことも多い。
かといって高ければ何でも良いというものでも無く、如何に自分が心地良さを感じているかという個人的な感覚に忠実で居ることだろう。
全ては極めて個人的な感覚だから、論理的な根拠は有って無いようなものだ。とはいえ、一見、直感の如く何かを感じたとしても、体験の堆積によって構築されている思考の法則や形式によって、良い場合も悪い場合も経験則として蓄積している論理的な予感が感覚に訴えているから、その感覚だけを丁寧に掬いあげて身を置きたいし、ずっとそのように居る。ずっととはずっと。遥か昔から、たぶん子どもの頃から居心地良く身を置いている。


wednesday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。淡い。