視覚的に美しいものに | かや

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かやです。



昨日、ヘアサロンでスタイリストが「今週もまた連休がありますね」と言った。
普段から祝祭日やウィークデーやウィークエンドといった括りが皆無なので「そうなのですね」と曖昧に応えると「天皇誕生日です」とスタイリストは教えてくれた。先週も連休の際、スタイリストから「明日から連休ですね」と言われて、連休の存在を知った次第だ。
何と無く「天皇誕生日」というと春の連休の四月二十九日のイメージが強いが、かつて春にあったこの「天皇誕生日」は「みどりの日」を経て、今は「昭和の日」だ。

先週は日曜日が建国記念日で月曜日がその振替休日だった。
建国記念日として国民の休日に制定されたのは昭和四十一年だから、この名称としての祝日は物凄く古い訳も無い。
戦前は紀元節と称していた日であることから、当時賛否両論は激しく対立した。そのため昭和四十二年の初の記念日には各地で奉祝行事が行なわれる一方で抗議集会も盛んに開かれた。


もともとは『古事記』や『日本書紀』に神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)に即位された日とあり、初代天皇の即位の日を日本の元とする日で、朝廷の正式な歴史書である『日本書紀』に示されている即位の日を今の暦にすると、西暦紀元前六六〇年の二月十一日になることから、明治六年に政府は二月十一日を建国の日、紀元節と定め、祝日とした。宮中、神社で祭典が行なわれ、建国の日、紀元節は盛大に祝われてきた。
が、昭和二十年、先の大戦に敗戦し、連合軍の占領下となり、この間、様々な占領政策の中、紀元節は祝日から削除された。
戦後の日本は自国の成り立ちを否定されてスタートすることとなった訳だ。七年間に及ぶ占領が解け、主権を取り戻したと同時に、紀元節復活運動が全国で起こり、十五年もの歳月の後、「建国記念日」として祝日は復活した。
建国の歴史が神話の時代に遡り、それから連綿と続き、昭和時代の敗戦、占領、戦後を鑑みると感慨深いものがあるし、中学受験の「社会」によく出る日本の祝日の中に、二月十一日建国記念日、戦前の紀元節、が有るのは何となく頷ける。


昨日、夕刻、神宮前三丁目の蕎麦屋で友人と合流し、蕎麦懐石の先付けから始まり前菜盛り合わせ、始めそば、椀物、造り、鴨料理、揚げ物、蕎麦二種、甘味の九種の富士というコースを選び、ひとときを過ごした。
手造り蕎麦豆腐の先付けも前菜盛りも本鮪の造りも鴨陶板焼きも大海老や季節の野菜の天婦羅も蕎麦もどれもが美しく程よい盛り付けで、その美しさの通り、美味しかった。
視覚的に美しいものに、ほぼ外れは無いように感じる。
勿論勇ましいてんこ盛りに食指を動かされる人も多いだろうし、実際美味しいと感じているだろうし、それは各々の嗜好だ。
今ではその片鱗も無いが、子どもの頃、食が細く、なんでもかんでも食べやすいようにひとくちサイズに小さくカットされ、何種類も皿に並べられ、その中で食べられるものを食べていた。デンと一品だけが大皿で置かれることが無かったのでその名残なのだろうか、いまだに大盛りな感じも大ぶりで食いちぎるとかかぶりつくような感じの盛り付けもそれだけで萎えてしまう。人各々、私的な味覚と視覚が明らかに連動し合い、食事として成立しているということだろう。正解は無い。


tuesday morning白湯を飲みつつ、まだ明けない空を眺める。

本日も。可もなく不可もなし