弛い弛い一日は | かや

かや

かやです。



特別丁寧である必要も無く、ごく普通で良いと思っているだけで、殊更こまかいことに気を取られている訳でも無いが雑な言葉に頓着しない言い方はあまり好きでは無い。
親しみを込めて敢えてわざとラフに砕いていることが明らかに分かる物言いであっても、意図的なギャップという空々しさが露呈していて、そのしなくても良いような詰まらない計算にはそもそも過剰な自信が根底に見えてしまうと、嫌な感じがしてしまうし、ギャップどころかもともと雑な物言いが本来のように思ってしまう。
そのような場合はおそらく雑な物言いに対して嫌悪しているのでは無く、発する人に対して嫌悪しているのかも知れない。


同じ言い方でも、発する人によってまるでこちらの捉え方が異なるのは、発する人に対する先入観もあるだろうが、もとより堆積している信頼の度合いというか好感の度合いというか、要するに一方的な極めて個人的な好き嫌いの振り分けにより、それが最終的に発せられた言葉が決定付けてしまうような感じで、嗚呼やはり最初の印象通り雑な人なのだと振り分けることになるのはずいぶんと理不尽ではあるが、最初に覚えた第一印象は良くも悪くもあまり大きく外れることは無いように思う。
第一印象から覚える直感と言えば良いだろうか、その瞬間に伝わる感覚的なものは、案外、単なる勘では無く、過去の経験が作り上げた個人的な経験則のようなもので、その自分だけの経験則から生まれる予感に則って即座に判断しているような気がする。

たとえ立派なことを並べていても、ほんの一瞬垣間見せる粗雑な言動に全てが見えてしまう。繋がってしまうと言えば良いだろうか。日常の些細な綻びに見る小さな小さな違和感が、嗚呼やはりそうなのだなと得心するというか。偽りを通し続けている人はおしなべて詰めが甘いから、些細な瞬間に何故そんな杜撰な取り繕いをするのかというような、むしろ、こちらが心配になるような破綻を見せる。


昨日早い時間からメンバーシップになっているホテルのスパ&フィットネスで諸々で過ごし、遅めの昼は階下の和食の店でひとときを過ごし、ヘアサロンでシャンプーブローし、コールドプレスジュースの店でセロリジュースとキャロットジュースを選び、帰宅して、久しぶりに小林和弘氏の写真集「VOGUE Director's Gallery」や田原桂一氏の「Photosynthesis」などをゆっくりと眺めて過ごした。
田原氏は二十代の頃働いていた旅行社で担当していた顧客のひとりだった。氏の写真集「OPERA de PARIS」はあまりも有名だが、当時、頻々と田原氏はフランスを往復していたが、後に八年もの歳月をかけてオペラ座の撮影を行なう前段階の往復だったのだろう。写真展に招かれて伺ったこともあるが、当時の記憶の田原氏の断片が幾つも浮かぶ。
二種類のコールドプレスジュースはセロリはモーゼルのスプレンディッド、キャロットはラリックのロクサーヌのどちらもワイングラスを選び、懐かしい写真集を何冊か眺め、気付けば日付を跨ぐ寸前だった。
弛い弛い一日はいつものようにいつの間にか過ぎている。


monday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本当も。うっすら。