数では無い | かや

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別董大

十里黄雲白日曛
北風吹雁雪粉粉
莫愁前路無知己
天下誰人不識君

董大(とうだい)に別(わか)る

十里(じゅうり)の黄雲(こううん) 白日(はくじつ) 曛(くら)し
北風(ほくふう) 雁(かり)を吹(ふ)いて 雪(ゆき) 粉粉(ふんぷん)
愁(うれ)ふる莫(な)かれ 前路(ぜんろ)に 知己(ちき)無(な)きを
天下(てんか) 誰人(たれひと)か 君(きみ)を識(し)らざらん

高適(こうてき)の七言絶句。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、高適は?―765年。盛唐の詩人。字は達夫(たっぷ)、滄州(河北省)の人。格調の高い詩風で有名。玄宗の時代に侍御史(じぎょし)から西川節度使(せいせんせつどし)となり、左散騎常侍(ささんきじょうじ)に進み、渤海県侯(ぼっかいけんこう)に封ぜられた。唐代詩人中での随一の栄達者。年五十にして始めて詩を学んだと言われる。「高常侍集(こうじょうじしゅう)」八巻がある。


意。十里四方一面に、空を覆うどんよりした黄色い雲のために、太陽の光も遮られて、あたりは薄暗い。その上、激しい北風が雁の群れを吹き飛ばして、雪が盛んに降りだしてきた。(何とも暗澹たる風景であるが)これから行く道中に知己が無いことなど心細がりたもうな。今の世の中で、誰が君の名前を知らなかろう(大丈夫、至るところで歓迎されますよ)

「董」は姓、「大」は排行(はいこう/一族中の同世代の男子の年齢順を示すもの)で、第一番目の子、太郎の意。琵琶の名人で、当時の宮廷音楽家、董庭蘭(ていらん)のことであろうといわれる。安禄山の乱のため、各地に流浪の旅を続けていたが、たまたま旅先で巡り会った高適が、激励して、労りの言葉をなげかけた詩。

起・承の二句はまず眼前の暗澹たる風物を歌い、一転して転・結の二句では明るい希望で暖かく抱擁し、やさしく激励する。「北風吹雁」はこれから旅立つ董大の、やがて出会うべき苦難の象徴ともみられ、また、「十里」は「千里」の誤りだとする説もある。

琴といえば、「どんな時でも、精神を集中して演奏することの大切さ。爪音の一音、一音が身体の奥底から出る心の叫びでなくてはならない。芸術の神髄は精神、すなわち心の修行である」と言った箏・三十絃奏者、作曲家の宮下伸氏を想起する。
宮下氏とは90年代、友人の演出家のショーをアシスタントプロデューサーという名目の渉外雑用に携わった時、そのショーの中で山下洋輔氏、今は人間国宝の藤舎明生氏、そして宮下伸氏のアドリブセッションのコーナーがあり、打ち合わせやゲネプロ、本番などで関わった。
今思えば、大変贅沢で貴重なセッションだった。たしか恵比寿ガーデンプレイスのホールだった。

前後してその演出家の新国立劇場でのプロデューサー兼演出のオペラ公演や他、幾つかのショーにアシスタントプロデューサーという名目の渉外雑用で携わった。
既に会社ごっこを始めていた頃だが、自分の会社だから、ある程度時間は自在になる。
アシスタントプロデューサーはある程度の一定期間ほぼ短い睡眠以外は多岐に渡る様々な交渉事を冷静にオールマイティにこなさなければならない。周囲に全く流されない性質を見込んでくれてなのか、淡々と渉外活動に徹するというか同時進行する対外折衝というかそのような交渉事や次々に展開し変化する局面に会社ごっこの仕事柄慣れているからなのか、そもそもその業界に何ら興味を持っていないことからなのか、何度かアシスタントプロデューサーという名目の渉外雑用係として舞台公演に関わったのも今となっては遠く彼方の一片の記憶だ。


何かしらの業界に、それは芸能とかに限らず多岐に渡って興味本位とかぬるい気持ちを持ち合わせ、関わろうとしたり、関わる人は多い。
更に、ヘラッと撫でる程度にすら及んでいないのに、◯◯していましたと職業として成立していたかのように厚顔にも言い放つ人も居る。
◯◯は女優でも良いしアナウンサーでも良いし、ダンサーでも良いし、はたまた企業の要職でも良いし、何でも良いが、少なくとも20年は継続していなければ、職業と自称するのも憚るが、かすった程度で、昔、◯◯していたと恰かも何十年も職業として成立していたかのように言い放てるのは、相当な厚顔無恥で無知に感じる。
大概が興味からその職業に就いたものの、自らがその職業を見限るという上から目線の都合の良い図式で、見事なまでに続かないのは最初から職業として成立などまるでしていないし、その能力も無いだけだ。◯◯は女優でも良いしアナウンサーでも良いしダンサーでも要職でも何でも良いが、そもそも仕事と名の付く全ては興味本位などという生温い気持ちからは一ミリも進化しない。
一ミリも進化しないのだからそれは職業になり得ていないのだが、何故だか、職業として自称する人は多い。
あれもこれもと列挙したところで、その列挙が多ければ多いほどまるで信用出来ないし、信用したことは無い。
数では無い。
ひとつの道をひたすら歩み続け、如何に愚直なまで連綿と継続し続けているかということだ。


tuesday morning白湯を飲みつつまだ明けない空を眺める。

本日も。ほどほど。