留め置かない | かや

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他からの強制や拘束、支配などを受けないで、自らの意思や本性に従うことを一般に「自由」と呼ぶ。
この自由な行動により生じた結果は当然のこと本人が引き受けるべきという社会通念から自由と責任を併せて語られることも多いが、言論の自由、権利を主張する自由等々、そうした使われ方は何者にも邪魔されず、自身を前面に出すことが「自由」だという印象となる。
禅に「白雲自在」という言葉がある。
美しい字面のまま空に浮かぶ白雲は風が吹くままに東に西へ、南に北へと自在に流れる。姿も風によっていかようにも変わっていく。がしかし、どのように千変万化しても、雲は雲であるというその本分が変わることは無いという意味で、これが禅の呼ぶ自由だ。
何にもとらわれず、こだわらず、自在に変化しながら、自分を失うことが無い、其処に真の自由がある。

枡野俊明氏の著『禅的考え方』によれば、自分を失わないということは、本分をまとうすることに他ならない。自由は「自(分)に由(よ)る」、つまり自分を拠り所にすること、すなわち、しっかり地に足を着け、本分をまっとうしていることが、自由であることに欠かせない条件と記している。


心を瞬時に転じていくということ、心を自在に変化させ、しかし自分を失うことが無い、これが禅でいう自由なのだと修行行脚を続ける雲水のエピソードを例えて枡野氏は記している。

あるとき、修行行脚を続ける雲水が、山中のあばら家で一夜を過ごすことになる。天井は破れ、床も何ヵ所にも穴が開き、すきま風が吹き込み、暖をとる為にら床板を剥がして燃やさなければならない。雲水の心は惨めさでいっぱいになる。
「なんとまあ、よりによってこんなところで一夜を明かさねばならないとは情けないことだ」
ここは寝るしか無い、と雲水はゴロリと床に横になる。そして、思わず「おお」と声をあげる。
天上の破れ穴から美しい月が覗き、柔らかい光が自分を包み込んでいることに気付いたからだ。
惨めだった心は瞬時に転じる。
「このあばら家に一夜の宿を借りたおかげで、こんなにも素晴らしい体験をすることが出来たのだ。なんと有り難いことだなあ」
雲水の心は幸せ感でいっぱいになる。心が惨めだというところにとどまっていたら、月光に包まれていることの幸せを感じることは出来ただろうか、その幸せに気付かなかったかも知れない、惨めな心を抱えたまま一夜は過ぎて行ってしまっただろう。
そこにとどまること無く、自由であったからこそ、心は転じることが出来て幸せなものとなった。


とどまらない自由な心の大切さを示した言葉には「八風吹不動(はっぷうふけどもどうぜず)」がある。
八風は、「利(り)」(成功すること)、「誉(よ)」(陰で誉めること)、「称(しょう)」(面と向かって誉めること)、「楽(らく)」(楽しいこと)、「衰(すい)」(失敗すること)、「毀(き)」(蔭でそしること)、「譏(き)」(面と向かってそしること)、「苦(く)」(くるしみ)の八つで、最初の四つは人生で遭遇する順風の状況、後半四つは逆風の状況だ。それらのどの風が吹いたときも、動じてはいけない、とこの禅語は示している。
動じるというのは、風に動かされて、心が其処にとどまることだ。成功して得意な心のままでいることも、失敗して落ち込んだ心のままでいるということも、そのいづれも禅語は戒めている。どちらにも、何にもとどまらない自由な心の大切さを示した語だ。

ネガティブな感情が心にとどまることには敏感に感じ取り、気にするし、その感情がよくない影響を自身に及ぼしている自覚を覚えるから、早く消え去ることを願うし、多少なりとも、否、かなりな努力をしてその感情から脱しようとするが、案外、逆の得意な感情はいつまでもいつまでも留めていたりするし、ややもすると延々と心に留め置いていたりする。
しかし、確かに、この禅語の意味する通りで心が翻弄された状態はどちらにしても自分自身を見失うことに他ならない。自分自身を見失うということは今この瞬間を蔑ろにしてしまう状態だ。いつまでも成功して得意な感情を留め置くことも失敗して落ち込んだ心を留め置くことも、どちらも心は余裕無く一杯一杯になってしまい、視野は狭まり考えはそのことに固着する。
ややもすると心は他者や他からの何らかの言動や事象によって動かされたり、それによって自分を失うように捉えがちだが、心は唯一、自らが動かせる自由なものだ。自分を失わないということは、本分をまとうすることに他ならない。
不動心はルーティンで作られるとも枡野氏は記しているが、ただひたすらルーティンをこなすことは体が勝手に動くということで心が煩わされずに自由で余裕が持てる。

良いことも悪いことも心に留め置いたままにしてしまえば、自身の心でありながら、留め置いた感情や記憶に支配されたまま固まり、余白が無くなる。余白が無くなれば、其処に張り付いた感情に支配される。などと、思いつつ、時折通り抜ける公園を歩きつつ、見上げれば、ほんの瞬きの間に雲は形を変えていた。


saturday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。淡い。