母の実家に着いた夜は、のんびり祖父母と話をして過ごしました。
あくる朝、5:00に目が覚め、階段を降りると既に起床した祖父が畑仕事に出掛ました。
祖母も後から追いかけるのかと思ったら、その日は家に居ました。
朝ごはんは7:00ごろからで、斉藤家名物の卵入りお味噌汁とガス釜で炊いた美味しいご飯が登場します。
おかずは毎食作るのではなく、残ったものをなくなるまで食べ続けます。
なくなったら他のおかずを補充していきます。
2日目ものんびり始まったわけですが、その日は母が帰って来ることになっていました。
まだかなまだかな~と待っていましたが、なかなか帰ってこないので、しびれを切らした私は外に出てみることにしました。
ついでに写真散歩をしようと一眼レフを持って玄関で靴をはいていたら、玄関が開きました。
母の登場です。
私より遥かに小さい荷物で帰ってきた母。
帰ってきてすぐさま祖母の夕食作りの手伝いを始めました。
さすがサイボーグ、休むことを知りませんね。。。
外に出た私は、植物の写真を撮りながら坊っちゃんスタジアムまで向かうことにしました。
そうすると、3人の小学生のひとりが私に話しかけてきました。
「何撮りよんですか?」
愛媛の人は、物怖じせずどんどん話しかけて来るのですが、小学生が話しかけて来るとは …びっくりですね。
「花とか雲とかよ」と答えると、「雲」という答えに意外さを覚えたのか、いぶかしげな顔をしていました。
「今日はちょっと面白くない空やけど、飛行機から見る雲は面白かったよ?」
と答えました。
そうしたら納得してくれたようで、こちらも安心しました。
「どこから来たん?」「子どもはおるん?」とストレートな質問をぶつけて来る彼らに、私は正直に答えました。
やがて彼らと別れると、坊っちゃんスタジアムが見えてきました。
坊っちゃんスタジアムがある松山総合運動公園(正式名称が違うかも…)には、サブの野球場であるマドンナスタジアムやプール、野球の室内練習場、武道館などの施設が整っています。
今年でオープン10周年を迎え、六大学野球や茨城ゴールデンゴールズが来ることになっているそうです。
設立記念碑には、ベースボールの訳語を自分の幼名「升(のぼる)」にかけて「野球(の.ぼーる)」にしてしまった正岡子規の写真がはめ込まれています。
大の野球好きとして知られ、その写真も野球のユニホームにバットを持った姿です。
ひととおり写真を撮って帰ると、夕食の支度がすでに整っていました。
夕食を食べ、祖母とテレビを見ながら過ごし、2日目は早目に就寝しました。
3日目は、いよいよメインイベントのひとつめ、「坂の上の雲ミュージアム」など、NHKのドラマ「坂の上の雲」(原作は司馬遼太郎さんの小説です)ゆかりの地を訪れることにしていました。
おかげさまで体調も良かったので、予定通り昼食を食べて出発!
伊予鉄の松山市駅までバスで行って、市駅からは「市内電車」と呼ばれて親しまれている路面電車に乗り換えます。
市内電車は、松山の繁華街「大街道(おおかいどう)」や道後温泉、JR松山駅まで出るのに大変重宝します。
小説『坊っちゃん』(夏目漱石)にも登場する由緒正しい電車で、小説が書かれた当時に走っていた「坊っちゃん列車」も復刻して走っています(停車場が限定され、特別料金です)。
機関車型で、とても可愛いのですが、今回はお目にかかれませんでした…。
レトロな列車に揺られ、大街道の停車場で降りると、松山らしい雑踏に出くわしたので、思わず一眼レフのシャッターを切りました。
その写真を今年は暑中お見舞いにして出しました。
大街道からロープウェイ街(松山城に登るロープウェイです)に入ると、可愛らしい雑貨屋さんやおみやげ屋さんがズラリと並んでいました。
その中にひっそりと佇むのが祖母の母校で名門女子校として有名な松山東雲(しののめ)中学校、高校。
校門が余りにも素敵だったので、ここでもパシャリ。
そして向かうは「秋山兄弟生誕地」です。
秋山兄弟とは、「坂の上の雲」の登場人物、秋山好古(よしふる)と真之(さねゆき)の兄弟です。
好古は陸軍大将、真之は海軍中将まで上った高級軍人で、2人とも大きな功績を残しました。
その「秋山兄弟生誕地」にいってみると、とても立派なお屋敷がありました。
まず表札を写真に納めてから中に入ると、係員方が「こちらは写真撮影いくらでもされてかまいませんよ」とのことだったので、カメラを仕舞わずに行くことにしました。
最初に、VTRの説明があったので、見せていただきました。
好古が晩年に現在の松山北高校の校長先生だったと知り、驚きを隠せませんでした。
松山北高校は父の母校だからです。
対して真之は、名誉職には付かずに一生を終えたようです。
VTRが終わって周りを見ると、ドラマ出演者のサインがたくさん並んでいました。
好古役の阿部寛さん、真之役の本木雅弘さん、子規役の香川照之さん、子規の妹.律役の菅野美穂さんetc…。
更に奥へ進むと、当時の炊事場を再現したかまどや洗い場があり、その向かいには秋山兄弟の残した書簡がケースに収められていました。
特に好古はたくさんの石碑の字を任せられただけあって達筆でした。
建物の一番奥には、大きな石碑があり、好古と真之の一生をまとめた年表がありました。
そこへ係員の方がやってきて、
「この石碑、意味わかります?」
と話しかけて来て下さいました。
とても気さくな方で、そのあともご自分の歴史論を語られたり、写真も撮っていただきました。
特別にお屋敷の隣の道場にも上がらせていただき、好古の書を写真に収めることができました。
最後は係員の方にほかの観光名所を教わり、パンフレットをたくさんいただいて生誕地を後にしました。
次に向かうのは、旧松山藩主の子孫.久松伯爵家の別邸「萬翠荘(ばんすいそう)」です。
瀟洒な洋館で、赤い絨毯に暖炉、シャンデリア、木製の階段と、私が憧れる洋館そのものでした。
愛媛県庁も、外観は洋館ぽくってとても好きです。
次に訪れたのは、萬翠荘の裏山にある「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」です)。
愚陀佛庵は、漱石と子規の下宿を移築したもので、「愚陀佛」とは漱石の俳号だそうです。
こちらは侘しい日本家屋で、すこし慈照寺銀閣(日本史歴女なのでここは正式名称で!)に似ています。
とても趣のある家屋だったのですが、私が見学した2日後、大雨による土砂崩れに巻き込まれて倒壊してしまいました…。
一早い再建をお祈り致しております。
最後に寄ったのが、「坂の上の雲ミュージアム」です。
『坂の上の雲』の登場人物のことはもちろん、江戸時代から明治時代にかけての風俗や工業などにも触れられていて、とても勉強になりました。
また、特別展示として「子規と新聞『日本』」と題された展示があり、高校時代に習った陸羯南(くがかつなん)と子規との関係がよくわかるようになっていました。
子規は新聞記者をしていて、中国に渡ったこともあります。
「坂の上の雲ミュージアム」はバリアフリーになっていて、壁際に沿って通路がついています。
その様子はまるで表参道ヒルズのようでした。
「坂の上の雲ミュージアム」は、現代建築によく見られるガラスとコンクリートを使った建築物です。
中にはモールス信号の発信機があったり、映像が観られたりと、体験型の展示もありますので、松山の新しい観光名所として人気があるようですよ。
「坂の上の雲ミュージアム」を出た私は、大街道に戻りスターバックスでしばし休憩を取りました。
冷たいキャラメルマキアートを頼んだ私の目の前で飲み物を作っているのは、黒いエプロンをしたバリスタさん!!
普通、スターバックスのバリスタさんは、緑のエプロンをしているのですが、社内の厳しい試験に合格した人だけは黒いエプロンを着けることができるのです。
その「ブラックエプロンバリスタ」を初めて見た私は思わず、
「ブラックエプロンなんですね!初めて見ました!!」
と自分の飲み物を受け取った時に声をかけてしまいました。
そんな小さな幸せをたくさんもらった1日に感謝してアイスキャラメルマキアートを飲み干し、家路につきました。
(つづく)
《次回予告》
舞台は「凛屋」のある凛家本宅へ。
いよいよメインイベントその2、父方の祖父の23回忌に次期当主としての覚悟を持って臨みます。
父も松山に戻り、賑やかになりますよ!
あくる朝、5:00に目が覚め、階段を降りると既に起床した祖父が畑仕事に出掛ました。
祖母も後から追いかけるのかと思ったら、その日は家に居ました。
朝ごはんは7:00ごろからで、斉藤家名物の卵入りお味噌汁とガス釜で炊いた美味しいご飯が登場します。
おかずは毎食作るのではなく、残ったものをなくなるまで食べ続けます。
なくなったら他のおかずを補充していきます。
2日目ものんびり始まったわけですが、その日は母が帰って来ることになっていました。
まだかなまだかな~と待っていましたが、なかなか帰ってこないので、しびれを切らした私は外に出てみることにしました。
ついでに写真散歩をしようと一眼レフを持って玄関で靴をはいていたら、玄関が開きました。
母の登場です。
私より遥かに小さい荷物で帰ってきた母。
帰ってきてすぐさま祖母の夕食作りの手伝いを始めました。
さすがサイボーグ、休むことを知りませんね。。。
外に出た私は、植物の写真を撮りながら坊っちゃんスタジアムまで向かうことにしました。
そうすると、3人の小学生のひとりが私に話しかけてきました。
「何撮りよんですか?」
愛媛の人は、物怖じせずどんどん話しかけて来るのですが、小学生が話しかけて来るとは …びっくりですね。
「花とか雲とかよ」と答えると、「雲」という答えに意外さを覚えたのか、いぶかしげな顔をしていました。
「今日はちょっと面白くない空やけど、飛行機から見る雲は面白かったよ?」
と答えました。
そうしたら納得してくれたようで、こちらも安心しました。
「どこから来たん?」「子どもはおるん?」とストレートな質問をぶつけて来る彼らに、私は正直に答えました。
やがて彼らと別れると、坊っちゃんスタジアムが見えてきました。
坊っちゃんスタジアムがある松山総合運動公園(正式名称が違うかも…)には、サブの野球場であるマドンナスタジアムやプール、野球の室内練習場、武道館などの施設が整っています。
今年でオープン10周年を迎え、六大学野球や茨城ゴールデンゴールズが来ることになっているそうです。
設立記念碑には、ベースボールの訳語を自分の幼名「升(のぼる)」にかけて「野球(の.ぼーる)」にしてしまった正岡子規の写真がはめ込まれています。
大の野球好きとして知られ、その写真も野球のユニホームにバットを持った姿です。
ひととおり写真を撮って帰ると、夕食の支度がすでに整っていました。
夕食を食べ、祖母とテレビを見ながら過ごし、2日目は早目に就寝しました。
3日目は、いよいよメインイベントのひとつめ、「坂の上の雲ミュージアム」など、NHKのドラマ「坂の上の雲」(原作は司馬遼太郎さんの小説です)ゆかりの地を訪れることにしていました。
おかげさまで体調も良かったので、予定通り昼食を食べて出発!
伊予鉄の松山市駅までバスで行って、市駅からは「市内電車」と呼ばれて親しまれている路面電車に乗り換えます。
市内電車は、松山の繁華街「大街道(おおかいどう)」や道後温泉、JR松山駅まで出るのに大変重宝します。
小説『坊っちゃん』(夏目漱石)にも登場する由緒正しい電車で、小説が書かれた当時に走っていた「坊っちゃん列車」も復刻して走っています(停車場が限定され、特別料金です)。
機関車型で、とても可愛いのですが、今回はお目にかかれませんでした…。
レトロな列車に揺られ、大街道の停車場で降りると、松山らしい雑踏に出くわしたので、思わず一眼レフのシャッターを切りました。
その写真を今年は暑中お見舞いにして出しました。
大街道からロープウェイ街(松山城に登るロープウェイです)に入ると、可愛らしい雑貨屋さんやおみやげ屋さんがズラリと並んでいました。
その中にひっそりと佇むのが祖母の母校で名門女子校として有名な松山東雲(しののめ)中学校、高校。
校門が余りにも素敵だったので、ここでもパシャリ。
そして向かうは「秋山兄弟生誕地」です。
秋山兄弟とは、「坂の上の雲」の登場人物、秋山好古(よしふる)と真之(さねゆき)の兄弟です。
好古は陸軍大将、真之は海軍中将まで上った高級軍人で、2人とも大きな功績を残しました。
その「秋山兄弟生誕地」にいってみると、とても立派なお屋敷がありました。
まず表札を写真に納めてから中に入ると、係員方が「こちらは写真撮影いくらでもされてかまいませんよ」とのことだったので、カメラを仕舞わずに行くことにしました。
最初に、VTRの説明があったので、見せていただきました。
好古が晩年に現在の松山北高校の校長先生だったと知り、驚きを隠せませんでした。
松山北高校は父の母校だからです。
対して真之は、名誉職には付かずに一生を終えたようです。
VTRが終わって周りを見ると、ドラマ出演者のサインがたくさん並んでいました。
好古役の阿部寛さん、真之役の本木雅弘さん、子規役の香川照之さん、子規の妹.律役の菅野美穂さんetc…。
更に奥へ進むと、当時の炊事場を再現したかまどや洗い場があり、その向かいには秋山兄弟の残した書簡がケースに収められていました。
特に好古はたくさんの石碑の字を任せられただけあって達筆でした。
建物の一番奥には、大きな石碑があり、好古と真之の一生をまとめた年表がありました。
そこへ係員の方がやってきて、
「この石碑、意味わかります?」
と話しかけて来て下さいました。
とても気さくな方で、そのあともご自分の歴史論を語られたり、写真も撮っていただきました。
特別にお屋敷の隣の道場にも上がらせていただき、好古の書を写真に収めることができました。
最後は係員の方にほかの観光名所を教わり、パンフレットをたくさんいただいて生誕地を後にしました。
次に向かうのは、旧松山藩主の子孫.久松伯爵家の別邸「萬翠荘(ばんすいそう)」です。
瀟洒な洋館で、赤い絨毯に暖炉、シャンデリア、木製の階段と、私が憧れる洋館そのものでした。
愛媛県庁も、外観は洋館ぽくってとても好きです。
次に訪れたのは、萬翠荘の裏山にある「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」です)。
愚陀佛庵は、漱石と子規の下宿を移築したもので、「愚陀佛」とは漱石の俳号だそうです。
こちらは侘しい日本家屋で、すこし慈照寺銀閣(日本史歴女なのでここは正式名称で!)に似ています。
とても趣のある家屋だったのですが、私が見学した2日後、大雨による土砂崩れに巻き込まれて倒壊してしまいました…。
一早い再建をお祈り致しております。
最後に寄ったのが、「坂の上の雲ミュージアム」です。
『坂の上の雲』の登場人物のことはもちろん、江戸時代から明治時代にかけての風俗や工業などにも触れられていて、とても勉強になりました。
また、特別展示として「子規と新聞『日本』」と題された展示があり、高校時代に習った陸羯南(くがかつなん)と子規との関係がよくわかるようになっていました。
子規は新聞記者をしていて、中国に渡ったこともあります。
「坂の上の雲ミュージアム」はバリアフリーになっていて、壁際に沿って通路がついています。
その様子はまるで表参道ヒルズのようでした。
「坂の上の雲ミュージアム」は、現代建築によく見られるガラスとコンクリートを使った建築物です。
中にはモールス信号の発信機があったり、映像が観られたりと、体験型の展示もありますので、松山の新しい観光名所として人気があるようですよ。
「坂の上の雲ミュージアム」を出た私は、大街道に戻りスターバックスでしばし休憩を取りました。
冷たいキャラメルマキアートを頼んだ私の目の前で飲み物を作っているのは、黒いエプロンをしたバリスタさん!!
普通、スターバックスのバリスタさんは、緑のエプロンをしているのですが、社内の厳しい試験に合格した人だけは黒いエプロンを着けることができるのです。
その「ブラックエプロンバリスタ」を初めて見た私は思わず、
「ブラックエプロンなんですね!初めて見ました!!」
と自分の飲み物を受け取った時に声をかけてしまいました。
そんな小さな幸せをたくさんもらった1日に感謝してアイスキャラメルマキアートを飲み干し、家路につきました。
(つづく)
《次回予告》
舞台は「凛屋」のある凛家本宅へ。
いよいよメインイベントその2、父方の祖父の23回忌に次期当主としての覚悟を持って臨みます。
父も松山に戻り、賑やかになりますよ!



