私は大の歴史好きで、日本の歴史があまりに好き過ぎて若い頃、古美術の世界に飛び込み骨董屋で丁稚奉公をしておりました。非常に厳しい師匠の元、そこの骨董屋が勤まれば網走刑務所も勤まると言われていた骨董屋でした。
それはさておき、日本国紀は文字も小さく分厚い本ということもあり、また今回はじっくりと味わって読みたいという思いもあって、トイレに置いて、トイレを使用する度に読むというスタイルをとりました〜(笑)
最近ようやく本を読み終わりました。本の感想はさておき、好きな歴史本をトイレに置いたことでこの一ヶ月間、トイレが恋しくてしょうがなかったです〜(笑)
日本の歴史上、形はどうあれ愛国心の強い人物は沢山いました。その中で、日本国紀を読んだ時にすこぶる愛国心に富んだ日本人のことがご紹介されていました。
大伴部博麻(おおともべのはかま)という人物です。
知っていた方いましたか?
結構、私は歴史上の人物は知っている方ですが、博麻は知りませんでした。
7世紀の白村江の戦いに参加した日本軍の兵士の一人です。当時、人口3百万人前後の内、累計で2万7千人とも言われる兵士を大和朝廷が総力を挙げて百済のために戦い、唐・新羅の連合軍に大敗を喫した戦いです。
663年、博麻は唐軍に捕らえられ、長安に送られました。その頃、長安には唐と日本が戦争を始めたことによって捕虜扱いになっていた遣唐使が四人いました。664年、唐が日本侵略を企てているという情報を得た博麻は、自らを奴隷として売り、その金を四人の遣唐使に渡して、彼らの帰国資金としました。四人は671年に帰国し、朝廷に唐の計画を伝えました。
唐に残された博麻は奴隷として暮らしていましたが、その後、自由の身になり、690年にようやく帰国できました。捕虜になって27年後のことでした。
持統天皇は博麻の国を思う心と行動に感謝し、彼に「朕、厥の廟を尊び国を愛ひて、己を売りて忠を顕すことを喜ぶ」(ちん、そのちょうをたっとびくにをおもひて、おのれをうりてちゅうをあらわすことをよろこぶ)という勅語を贈られたそうです。これは、天皇が一般個人に与えた史上唯一の勅語ということです。また、この勅語の中にある「愛国」という言葉は、日本の文献上に初めて現れたものだそうです。
当時は国という概念も「国家意識」も現代のようなものではなかったと思います。にもかかわらず、一兵士が「愛国」の精神を持っていたことに驚くと同時に、自らを犠牲にして国を守ろうとしたことに感動を覚えました。
また、当時の遣唐使たちも先進的な技術や知識、仏教の経典などを国の為に命懸けの航海をして渡り、知識を必死に吸収していたことに、私は非常に熱いものを感じました。『旧唐書』に、日本からやってきた使者たちが、唐皇帝から下賜された数々の宝物を街で売り、その金で膨大な書物を買い込んで帰国したという話が残されています。
日本人の旺盛な知識欲の深さとともに、「国のために尽くしたい」という使命感を表しているエピソードだと思いました。
今一度、愛国心について考えさせられた内容でした。そして、思い出したのは高校生の昔に、授業だったかで論文を書いたのですが、かなり愛国心丸々なものを書いたら、その論文を目にされた校長先生に呼び出され、どういうつもりで書いたのかと聞かれたことを急に思い出しました〜(笑)