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Out on Highway 61

当初の目的はお引越ししたので、模様替え。特に行くあてもなく…。
Cruisin' and playin' the radio with no particular place to go ~♪

バテンのクラスルールを探していて、ちょっと疑問なクラスルールを見つけました。

バテンの件もそうだけど、こういう曖昧なやつは公式な方には書きにくいのよね…。

 

E.2 Daggerboard

E.2.1 The daggerboard shall have a stop affixed thereto, or moulded as part thereof.

E.2 ダガーボード

E.2.1 ダガーボードは、これに取付けるかその一部としてモールドされた止め具を持たねばならない。

 

これって、今つけている人いないのではないかと思うのだけど、A4.2 The word "shall" is mandatory and the word "may" is permissive. で言うように義務になると思うのです。

 

間違っていたら申し訳ないのですが、これに相当するパーツって何?という疑問です。

※実は思い当たるものはあります。

 

まず、ダガーボードについているものといえば、ロープハンドルですね。

ダガーボードケースの方と言えば、パッドが付いています。

しかし、これはいずれも義務ではなく、次のクラスルールで規定されています。

流れ止めのロープを付けても同じです。

 

つまり、E.2.1に規定されたストッパーはこれではありません。

 

C.4 艇体付加物の配置

C.4.1 ダガーボードの上部に穴を開けてロープハンドルを通してもよい。

C.4.2 ロープやショックコードをダガーボードの上部のロープハンドルや穴に結びつけ、それを固定する ことで、転覆した場合に失わないようにしてもよい。このラインやショックコードを結びつける目的で ダガーボードケースの上部に穴を開けてもよい。

C.4.3 センターケースにパッドを詰めてもよい。パッドはダガーボードを最適な摩擦によってフィットさせる 厚さで、センターケースの長さにわたってほぼ均一の厚さでなければならない。

 

そうすると、後は、ダガーボードケース後部のパッドですが、これはオプションC.2.2(n)で規定されています。

つまり、これもE.2.1に規定されたストッパーではなさそうです。

 

C.2.2 オプション

(n) ダガーボードを前向垂直に保つように制限する仕掛けは、衝撃的な力が加わった時にダガー ボードが後ろに回転するのを妨げないよう十分に弾力的な材料、すなわちスポンジ、ゴム、ス タイロフォーム等でできている限り用いることができる。また、この仕掛けはダガーボードの後 縁から前に伸びてはならない。この仕掛けに弾力的でない材料を用いてはならない。センターケースのなかでリストリクター(ダガーボードを垂直に保つよう制限する仕掛けのこと)があ る部分では、C.4.3で認められているパッドは、潰れたり取り除くことができる。

 

実は、昔のダガーボードには、ロープハンドルの下、前方寄りのところに、それ以上ダガーボードが挿せないようにゴムのストッパーがありました。また、ダガーボードケースの上にはクリートとロープがあり、ダガーボードの前側にロープを回して、クリートで止めるシステムが備わってました。

 

昔のトラベラーシートを巻き取る仕掛けと同様に段々なくなっていったのですが、もしかして、E.2.1の規定ってこれかな? …だとするならば、このルール、排除した方がよさそうに思いますね。

 

ちょっと振り返ってみると、今までダガーボードケースに関する記事は書いたけど、ダガーボードに関する記事は書いたことがなかったので、クラスルールもノーチェックでした。

ダガーボードも昔は木製のきれいなやつとかあって、写真でも残っていれば、書く内容もあったのですが…。他にもダガーボードのネタとしては、FRP製のものにも重さや厚みが異なるロットがありましたが、それを書いても軽いのを入手できるわけでもないしね。

なんかバテンって仕様変更しました?

 

 

調節のグレーのチューブのところは変わってないのですが、バテン自体は素材も厚さも変わっています。

前のバテンを入れようとしたら、長すぎて入りませんでした。

 

スティービー・ワンダー風に言うと、

前のバテンがエボニー、新しいバテンがアイボリーのものです。

 

 

 

長さも大分違いますが、ロックする部品がロープを軸に縫い付けてあるから、この辺でも長さは変わっちゃうのかもしれません。

バテンにあんまり存在を主張して欲しくない程度に調整している自分としては、なんとなく、以前のものの方が薄い分柔軟性があってよさそうなのですが、時間がないので、このままいこうかなと思います。

準備不足ですね…。

 

ちなみに、新しい方は、丸棒状のものを削って作っているように見えます。

 

バテンに関しては、次のクラスルールの通りなので、ダクロンセールの時はテーパー加工をしていました。PSJスペシャルで加工してもらっていましたね。

 

G.5 Battens

G.5.1 These class rules include changes approved by ISAF, 20/11/2014 Battens must be solid fibreglass reinforced plastic but are not otherwise restricted except by C.2.1(c)

G.5 バテン

G.5.1 バテンの材質はファイバーグラスで補強されたプラスチックとし、このほかは規則C.2.1(c)以外の制約を受けない。

 

C.2 Equipment

C.2.1 Limitations

 (c) If two jibs have been measured as provided for in G.1.1, they may be interchanged during an event. No part of a boat shall be replaced during an event, except for the use of one alternative jib which has been measured as provided for in G.1.2., other than to replace equipment damaged beyond repair before the next race. Such replacement may be made only with the approval of the Race Committee, and no re-substitution of the original equipment may then be made, except with the approval of the Race Committee.

C.2 装備

C.2.1 制限

(c) 2枚のジブがG1.1により計測を受けていれば、大会期間中に交換することができる。次のレー スの前に修復できないダメージを受けた艤装品と、G1.2により事前に計測した1枚の代替のジ ブを除き、大会期間中に艇のパーツを取り替えてはならない。交換はレース委員会の承認に よって許可され、再度承認を受けなければ、元の装備に戻してはならない。

今週末は、江ノ島で全日本選手権。

 

時々レースに出るか出ないか程度だったので、今まで2009年和歌山ワールドのセールでなんとかやってきましたが、昨年の浜名湖でリーチが大きく裂けてしまい…、↓こんなことを年に2度もアナウンスされている最中に、高額なメインセールを購入することになって、届いたセールを江ノ島に置いてきました。

 

「2022.11.10よりLase、Tasar、470、420関連商品の価格改定を予定しております。価格改定によりお客様にはご負担とご迷惑をおかけいたします分、より一層のサービス向上に努めて参る所存です。何卒、ご理解ご了承いただけますようお願い申しあげます。(原文ママ)」

 

いや、しかし、インターネットというのはとっても不便です。昔は、「早〇さん、メインください」の電話一本だったのに、ネットでメインセールを探して、セールナンバーを探して、セールナンバー貼り代を探して…、JPNを…、「JPNがないじゃないか!びっくりどのへんのサービスを向上しているんだ!えーん」という素直な心は飲み込んで、改めてLaserの方からJPNを探して、JPNの貼り代を探して、ミッション終了です。まぁ、単にインターネットが好きじゃないだけなのですが…。

大恩あるPSJですから、文句は言いませんが、Tasarの方からも探しやすくして~…というより、セットメニューも作ってください。あと、アナウンスのLaserのスペルに脱字があります。一応、希望をメモしておきますニコニコ

 

でも、すぐに対応してくださって、本当に感謝です☆

 

 

今日は、2395と2709が練習していましたね。

若いチームが増えるのはいいことなのですが、昔からの人たちも頑張って参加しないとなかなかプラスになりません。

ちょっと反省しながら、仕事に戻ります…。

 

今回の全日本も全然予定していなかったので、今週、全日本を全く考慮せずに予定してしまった4回目のワクチン接種は受けたし、急いでセールを買わなきゃならないし、仕事の合間に古家のリフォームで和室を4部屋も左官作業しているもんだから、右手の親指は炎症でホチキスするのも一苦労な状態だし…。

古い家の左官作業は、反って下処理とかが大変で、工程が大変なんです…。

 

思えば、初めてTasarに乗ったのが、91年6月の梅雨の頃。当時、まだ学生だった現Tasar協会会長に乗せてもらって、いい風吹いてたちょっと肌寒い北風を、ろくなウェアも着ないでフルハイクする中、「きつい?きつい?そうか、きついかぁーw」とか言って笑っているそのスキッパーをなんか変なテンションの人だなと思ったところから始まったTasarですが、まぁ、本当によく乗りました。

 

2007年のプーケットワールドが自分にとっての一つの節目で、2009年の和歌山ワールドはクルーに助けられながらなんとかやれた延長戦でした。その後はやっぱり気持ちよりも事情が大きくて、ワールドのような長期目標に取り組むことは難しくなってしまったことがモチベーションのダウンにつながったのですが、先週、海に帰られた今年の7月に亡くなったあの人のようにいつまでもイノセントなテーザーセーラーであり続けることは本当にリスペクトされることなんだと思う今日この頃です。

 

夏のよく晴れた日にお線香持って弔問に行きましたが、テーザー乗りたいって言う前にもう乗っちゃっているようなお顔の遺影でした。手を合わせて思うことは、本当に感謝だけでした。

安原さん、ありがとうございました。

 

 

 

あままさ丸にて今年の初ヒラメ。

釣りもなかなか行けなくなって、これが今年2回目かな?

 

本当は、10月の解禁すぐに一度は行きたいのだが、延び延びになって、11月入ってから、ようやく実行。

 

しかし、圏央道が延びて鶴舞まで行けるようになり、大原に行くのもだいぶ楽になっていたのに、夜中の圏央道通行止め…。こいつは厳しいものがあります。

でも、昔はアクアライン渡ってから、下道でしたので、久々に牛久三差路とかを通って踏切渡ってすぐ右折して…なんとなく懐かしくもあります。最初の頃はカーナビなしでこの道を行ったのだから、大変でした。

 

なんか6時スタートだと思ってたら、5時半スタートになっていました。

潮の流れと風の向きが逆でなかなかアタリがなく、静かな時間が多かったが、アタるところではかなりやる気のあるヒラメがいる感じだし、大きさも小さくても1kg以上はありそうです。

 

全員は釣れなかったみたいですが、50cm超のヒラメを2枚ほど釣りました。

他には、イワシ丸のみのカサゴでした。

ハガツオ、サワラが混ざると最高なんだけどな…。

 

うちの方は夕陽がきれいですが、大原の海は朝陽がきれいです。

昼間の海の陽光のきらめきの素晴らしさは共通ですね。

移動の度に気持ちよく昼寝しました。

 

ここのところ、自分でリフォームしている古家があるので、結構、体力的にもつかれているし、あちこち筋肉痛なのですが、良い天気に気分よく程よく疲れた程度だったので、その日のうちにちゃんと捌きました。

 

 

鱗を漉き引きして、内臓外して…

 

 

昆布締めも作っておきました。

 

スプリングレガッタもいつの間にかホームページで公開されていて、エントリーが始まっていますね。

最近は、メーリングリストでお知らせが来ないから、ホームページのアップデートに気付かないことが多い。

フェイスブックとかツイッターとかやらないので、情報が疎くなっているのかもしれません。

 

せっかく遠征してくる方向けにちょっとお店のご紹介。

 

茅ヶ崎の方は、少し早くシラス漁が解禁(3月10日)になるらしいので、ちょっと箱根の方面に行った帰りに寄ってみました。網元料理「あさまる」。

ランチタイムが2時半までなので、ちょっとギリギリくらいでしたが、少し待つ程度で入れました。

 

テレビでもよく取り上げられる人気のお店です。

 

西の方に遠征する時に、時間が合えば立ち寄りたいと思いつつ、結局、遠征では寄っていないなぁ。

前に行った時から気付いてみれば、20年経過しています…。

 

 

生シラスがよくテレビで取り上げられるようになったのが、20年前くらいからだと思います。

その頃から、朝採れたシラスが食べれるというので、有名なお店です。

 

ですが、ここのいいところは漁師料理っていう感じのちょっと武骨で新鮮かつ無駄なく魚を調理したサービス精神たっぷりの海鮮料理だと思います。本当は、夜、飲みに行きたいところなのですが、帰りが遠すぎて厳しいです。

 

シラス尽くしのランチセットが1500円+税くらいじゃなかったかな…。

ちゃんと覚えていないけど、とにかく、この値段でこの内容は充分すぎると思えるものが間違いなく出てきます。

 

生シラスは、地元でも買えるし、個人的にはここではシラスにこだわりなく、刺身3点盛が入ったランチセットを頼みました。

これも1500円+税くらいじゃなかったかな…。

 

 

はい、お盆にきちんと乗り切ってません。

醤油皿は斜めに刺してあるし、テンプラも手前に大根おろしとかあるのだけれど、見えない。

 

この日の刺身は、赤身、ブリ、金目でした。どれも2点ずつですが、厚めに切ってあって、かなりボリュームあります。5点盛だと食べきれるかな、というくらいかも。

赤身の色がとてもよく、切った角がしっかり立っていて、おいしかった。金目の刺身もうれしいところです。

ちょっとこういう切り身の感じは、参考にしてみようと思います。自分で切るとどの魚もただのスライスなんですが、それだとどうもつまらない感じがしていました。

 

お椀は、アラ汁ですが、なにしろ具材がたっぷりあります。

そして、シラスのサラダが個人的にはヒットでした。これ、とってもおいしい。

 

でもね、ダメなところもちょっとあるんです。

何しろランチとか混んでいるので、テンプラは作り置きっぽい。これが揚げたてだったら、この値段じゃ申し訳なくなるけど、ここのところはね、最初から割り引いておいてください。

あと、好みの問題だと思うのですが、茶わん蒸し。おいしいのですが、シラスの茶わん蒸しは、個人的には具材がいまいちに思います。シラスの善し悪しではなくて、シラスが茶わん蒸しのメインに合わない。やはり、シイタケや銀杏なども入って、食感の多彩さがないと茶わん蒸しはそもそもが歯ごたえないので、つまらなくなってしまう気がします。

 

ちなみに、サザエの殻は飾りです。

 

海鮮料理では、葉山の魚佐もお勧めですが、西の方から遠征してくる方で、前日に搬入する方は、時間帯が合えば、大井松田ICか秦野中井ICで降りて、西湘バイバスに出てくると寄ってこれますね。

駐車場は、船を積んでいても置けます。

 

車の運転には気を付けて。

JTA総会で「クラスルールC6」の議題が2つ出ていたのだが、どうもこの話は何度も反芻に反芻を重ねている。

 

もう今となっては、末尾に後述する「待っていた状況」が生じてきていて、C6問題ももはや単なる思い出となることが期待されるような感じもあるので、ここにまとめたところで意味のないことだが、過去のメモをコピーして、少しまとめ直しておこうかと思います。

 

そのまとめに入る前に…

 

日本での体重ルール問題(現クラスルールC6)については、1992年に葉山で行われた世界選手権に端を発します。つまり、もう30年に渡る議論なのですが、これについては、毎回、全日本選手権の最中で行われる年次総会で結構な意見が出て長い議題になるので、(誤解を恐れずに言うならば)少々うんざりしてきているところがあります。

 

2010年の全日本選手権の際に行われた年次総会だったと思うが、もうこの議題は年次総会で議論するのをやめて、C6委員会を作って別で話し合いましょうという決議をした…と記憶している。

実際に、C6委員会を作ったが、その後は大した議論に発展せずにその役割を終えた。

C6委員会は、もともとC6反対委員会としていたが、どちらの立場に寄らずにC6をちゃんと議論しようということで、反対の2文字を削除したような記憶もあり、割とちゃんと議論しようとしていたが、正直なところ、それまでにもう充分に議論をし尽くしていた感がある。それも当然で、何しろその時点でもほぼ20年近い歴史がある話なのだから…。

 

少々うんざり…と表現したのは、このように議論し尽くした話で、安全性も公平性も議論を尽くし、ルールを擁護する側の意見も思いつく限りの意見が出尽しているので、この話を総会で「協議」したところで、過去に出た意見の反芻に過ぎないからなのです。

 

この話は、「C6ルールに関しては、安全性・公平性などを含めた総合的かつ歴史的な議論を尽くしており、国内レガッタにおいては、総会決議というクラスルール上の手続きにより国内レガッタでの適用をするかどうかを決めています。尚、本年度はこれを適用しない決議としています。」というような告知は要するとは思うが、原則として総会で適用するかどうかの確認の「審議」だけをやれば充分な話なのです。

 

協議が必要になるのは、「新たな提案」に対して必要なのであり、2つ目の議題にあった次回のワールドカウンシルでのC6削除提案をするかどうかは、状況の変化も伴っているので、重要な議題だと思います。もう総会の時間がなくて、総会の後に協会長には直接伝えましたが、日本とイギリスが共同提案すべきと思います。

 

ただ、新たにテーザークラスに参入した人や過去の経緯を知らない方は、言いたいことが出てくるのは当然であり、この辺は告知が不足しているようには思えます。正直なところ、現状では、酒席などで話すような話になっていると思うのです。

 

さて、この体重ルールについて改めて知っている範囲、記憶の限りにまとめてみます。

念のため、前置きすると、個人の記憶によるもので、非公式であり、正確性の保証はありません。

それに、2010年あたりからはあまり活動ができてないので、近年の事情にあまり詳しいわけではないところがあります。

故に、個人的なブログにまとめています。

 

個人的な記憶によるC6ルール

 

テーザーのクラスルールは、フランク・ベスウェイトが1972年に書いたNovaのルールが元になっているとのことです。

NS14クラスというオーストラリアのナショナルクラスにおいてフランクが作ったNovaがテーザーの原型になるのですが、このNS14クラスで軽量なチームの優位性が目立ち、子供と乗るようなチームが増え、夫婦チームなどが減っていったというNS14クラス衰退に繋がる出来事を元にNovaのルールでは体重ルールの規定が生まれ、それがテーザーの体重ルールにつながっているらしい。

 

フランクは、この出来事を女たちが去っていったというような表現をしていた記憶があります。日本人からすると夫婦チームは軽量なイメージがあるが、オーストリアでは大人二人だと軽量でもないようで、要するに、軽量チームの優位性から大人の二人乗りが成立しにくい状況が生じたということです。

 

フランクがテーザーを紹介した言葉に”It is a super light yet durable, efficient dinghy designed to be sailed by two adults, originally a man and a woman.”とか”most fun and highest performance within the strength of a man and a woman”とあるのは、テーザーの軽量・効率などの優れた点だけではなく、ルールによる補正も含まれているのかもしれません。

 

約50年前にオーストラリアのナショナルクラスであるNS14クラスで起こった出来事は、フランクを中心にオーストラリアの人たちの中でいつまでも引き摺っている負の記憶でもあります。

 

しかし、彼らにとっては、このルールはクラス存続のためのルールであると信じられていたと言えると思います。

ここがこの議論の本当の出発点なのです。

 

安全性・公平性などを中心とする理屈でこのルールを撤廃しようとしても、全く違う論理でこのルールを堅持しようとしているので、このすれ違いを理解せずには話は通じないのです。

 

このルールを一方的な視点で不公平なルールとするのもまた間違っています。競技性を高めるためにルールで補正するというのは、ルールの成り立ちには充分にあり得ることで、このルールによって競技としての質が向上していると考えられている面はあると思います。もちろん、適正な手段なのかという面で賛同するかは別の話です。

 

そこで、軽風下での実施基準を合わせて考えたり、議論の内容だけでなく、評決に至る手段までも考えてきて、あらゆる意見が出尽してきたのが今までの経緯です。

 

日本におけるテーザーは主にY-15という国内クラスを楽しんでいた人達の間で流行り始めて、葉山・野比・江ノ島・大阪北港・芦屋などが中心に行われてきました。当初は、テーザーの導入に中心的な役割を果たした故吉川会長の個人的な尽力によりニュースレターが発行されたり、協会活動の前身的な活動が行われ、レガッタが行われるのは運営の関係で主に葉山を中心で行われていました。そこから、野比でミッドウィンター、芦屋で西日本というような各地でのレガッタが広がっていきました。

また、海外遠征にも複数のチームが行くようになりました。

実際に自分が経験してきたのは、葉山ワールド開催に向けて活動していた1991年頃からなので、この辺までは聞いた話や過去のニュースレターを読んだことによるものです。どうもこの辺りまでは、クラスルールなどに関する国内の認識レベルが少々現在と異なるようなところがあります。

 

1992年に葉山で国内初ワールド開催されることになり、そこへ向けての活動の活発化に伴い普及が促進し、その後、協会活動の組織もどんどん整備され、海外ワールドにも毎回10チーム以上が出場するような盛況ぶりをみせるようになります。

この1990年代に、テーザークラスは、セーリング技術もクラスルールなどに関する認識も飛躍的に変わっていきます。

 

体重ルール問題において、一つの起点となるのがこの1992年の葉山ワールドです。それまでは、クラスルールといっても不都合な体重ルールは、主催者側の一存で国内レガッタでは適用されていませんでした。ワールドでは当然適用されていましたが、この体重ルールが国内で活動する人達に特に問題となったのが、国内初のワールドである葉山ワールドです。

 

なんと、1992年の葉山ワールドでは、約35kgのバラストを積んでいたチームがいました。

他にも、バラストを積まなくてはならないチームが日本人チームに多いという状況が生じました。

 

当然、日本の中で、この問題が大きな課題となり、この後、このルールを撤廃を求めるようになります。

 

フランクは、次のように述べて、このルールを改善しようとしました。

In this case I regard myself as sinner-in-chief. I wrote the original Tasar (then Nova) rule in 1972. By about 1985 I regretted that I had not thought harder in 1972 about future "legitimate" lighter crews such as the Japanese. 

 

そして、1994年ブリクサムワールドの頃に、クルーウェイトルールに15kgの上限ができました。

一歩前進です。その後も日本から撤廃の要求を続けましたが、日本では体重ルールを適用していないじゃないかなどのオーストラリアからの指摘もあり、それでは、日本の国内レガッタでも体重ルールを適用しようなどの試みも行われました。

 

その後、1999年浜名湖ワールドで上限が12kgになって、現行のルールとなりました。

 

しかしながら、これらの変更は問題を小さくしようとする試みに過ぎず、このルールは頑なに維持されてきました。

当然、日本では撤廃に向けての議論は続きます。

 

フランクは「No system can hope to equalise performance over a wide range of crew weight.」という但し書きを付しながら、「130kg and three quarter compensation」という提案を新たにしましたが、これは改善になるとはみなされずに、そのままとなりました。

 

結果、軽量なチームは、依然として、醜悪なバラストを購入するコストと取り付ける労力を払って、軽量で効率的という謳い文句のボートにこれらを積まなくてはならない状況が続きます。

 

フランクは、次のように述べています。

I make no apology for writing the “Full compensation” rule in 1972 now thirty years ago. At that time we were faced with a crisis in that the philosophical raison d’etre of the NS14 class was being threatened by a new situation in which adult helms and lighter, generally male adolescent forward hands were winning and displacing adult helms and adult, always heavier and generally female forward hands. I did what I could to stem the hemorrhage. I am proud that I did it. I am proud that it worked and that as a result the Tasar class is a haven for magnificent women.

 

テーザーセーラーがテーザーとそのソシアルイベントを楽しめるのは、テーザーが素晴らしいボートで、素晴らしい人達をひきつけているからであり、ルールによる小細工に満足しているわけではありません。

 

しかし、フランクは、テーザーを守るためにこのルールが必要だと考えていたのです。

その考えは終生変わることはありませんでした。それほどにNS14での出来事は、大きな影響があったのでしょう。

 

念のために言っておくと、フランク・ベスウェイトに対する尊敬は、この体重ルールの出来事があろうとフランクを知るすべてのテーザーセーラーの共通項であることは変わりません。テーザーは多くの人に非常に大事にされてきて、そのデザイナーであるフランクに対する感謝や尊敬は、変わることがありません。

この話題については、どうしても、フランクとの出来事を避けることができないので、少々誤解を危惧するところですが、フランクは体重ルールを守りたかったのではなく、テーザーを守りたかっただけなのです。

 

ただ、このNS14での出来事を起因とする迷信は、フランクだけのものではなく、オーストラリアの人たちにも多く信じられてきたものでもあります。

 

オーストラリアの中には、このルールがなくなると、食後のワインを止めなくてはならないと表現した人がいました。

そのワインの陰には、鉛のインゴットをいくつも持って海外旅行に行くことを強いられている人たちにいることを知って欲しいと思うのは当然のことです。この話は続けなくてはなりません。

 

オーストラリアを中心に普及してきたテーザーは、オーストラリアだけは地域ごとに各リージョンとしてそれぞれ投票権を持っています。公平性や安全性でいくら理論武装してみても、このルールはクラスの維持に必要なルールとして、多くのオーストラリアのリージョンの反対により撤廃が採決されることはありませんでした。

 

2005年のダーウィンワールドでは、この投票権を変えようという提案も日本から持ち込んでみました。

しかし、なかなかすぐに変更が認められるものではありませんでした。

 

このダーウィンワールドでは、レース後の再計測で体重が足らずに失格になったチームもいました。

先日の北京冬季オリンピックの男女混合スキージャンプ競技でもスーツの再計測での失格で大きな話題となりましたが、一度計測してパスしたものを体重が減って失格にするというのは大きな疑問となりました。

 

そういえば、プーケットワールドの際に、再計測の対象になって、レース後に再計測する前に計測員に「(レース後に)水を飲んだか?」と聞かれ、「飲んだよ」と答えたら、叱られた記憶があります。結局、再計測で問題となるような数値ではなかったので、何ともありませんでしたが…。海上運営ボートでも水を配っていたくらいなのに、「どこでレガッタ開催していると思ってんだろ?」と笑い話になりました。

 

ところで、日本人以外の人にこのルールに反対する人はいないのか?

…というと、実はそうでもなく、1996年のゴージワールドでは、ジェイ・レナハンを中心とするアメリカがワールドでこのルールを適用しないとしたことがあります。ただ、これには、フランクが猛反対し、レナハンとの間で随分やり取りされたようでしたが、結局、ルール変更はワールドでは容認されていないため、体重ルールは適用されました。

 

この後、日本以外からの体重ルール撤廃の動きは少し萎んでしまったかのように思います。

推察するに、アメリカの人たちはオーストラリアの人たちが変わらなくてはこの話は進まないことに早くから気付いていたように思えます。

 

日本からは依然として、体重ルール撤廃の提言をし続けていきます。

しかしながら、フランクは、「この議論に対して、統計学的なデータに基づく新たな議論以外は、もうこの議論は取り上げない」というような趣旨のコメントをしていましたし、ワールドカウンシルやメジャラー会議では日本からのその問題は少々うんざりされている印象もありました。

 

それでも、2007年のプーケットワールドでは、体重と艇のパフォーマンスの相関関係を学んで、それを日本国内のレガッタでデータをまとめてもう一度議題に挙げるという大変な労力をかけた方もいて、これに基づく撤廃提案も行われましたが、結局、データを提出しても進展することはありませんでした。

 

ここでちょっと話を変えて、日本国内でこの体重ルールを支持する人はいるのか?…というところにも触れておきたいと思います。実は、これはルールを支持しているという主張ではないのですが、「ルールがあるのになぜ適用しないのか?」「インターナショナルクラスなのだから、クラスルールを適用した状態でレガッタを行いたい」という意見は、以前からありました。

 

これ、日本国内での議論は主に安全性や公平性の観点でなされているのに、別のすれ違い議論なのです。

これを言うのであれば、体重ルールを適用しないのは、クラスルールの手続きによって行われているので、クラスルールの範囲内の話です。

 

そういえば、ワールドを目標とする人で、体重ルールが適用されなくても体重ルールを自艇には適用させて国内レガッタに出場した人もいました。

 

体重ルール適用をしようとする日本国内の意見は、「そのルールがあるのだから」という理由であまり有用な意見は少なく、仮に体重ルールがなかったら、体重ルールを作るだけの根拠を論理的に示している人はあまり記憶にありません。

 

唯一、体重ルールなんてものがあっていいのかと言った時に、ルールで競技性を高めるというのはあるという意見についてはなるほどと思うところはありました。他のセーリング競技でも体重に関するルールが設けられているものもあるような話でした。競技はルールがあるから面白いのであって、当然のことなんですけれども。

 

さて、こんな感じに、体重ルール撤廃の話は延々と続けられてきましたが、結局、撤廃に至るには、いろいろな論理や方法を検討して、提案してきても、撤廃には至りません。

 

前述のように、少し日本からのこの提案にはもう議論を尽くされたうんざり感さえあるよう気がしていました。

この話は、オーストラリアの中や海外からの働きかけが起こることが待ち望まれるような状況があったような気がします。

 

そして、2010年代に入り、少しずつそういった話が入るようになりました。

 

オーストラリアの中心的な人物でもあるアリステアは、「No-one would leave the class as a result of the change.  It would remain a great, high performance dinghy, ideally suited to two people in the 130-150kg weight range. 」と言いました。

 

そういえば、オーストラリアの方がWTCAのウェブサイトにルールチェンジ(C6削除)の記事(2014/01/15付)がアップされたこともありました。これは誤報ですぐに訂正されましたし、この話に本質的な関係はないかもしれませんけど、何かの原因はあったように思います。

 

アメリカは、以前から体重ルールには賛同していない立場です。

 

最近では、イギリスも体重ルール不要論が出てきている様子ですね。

 

ようやく待っていた状況になってきたのだと思います。

 

ここからどのようになるかは分かりませんが、個人的には、まずは体重ルールを削除するのが優先されるものの、オーストラリアの人たちの今までの立場も尊重して、軽風域でのレガッタ開催に関する基準作りなども配慮できるとより本来の目的に近づくのではないかと思います。

 

体重ルールをなくすことに囚われがちですが、元々はテーザーを楽しく存続することが目的なルールなのですから、これを撤廃というだけではなく、撤廃した上で新しいものを加えることができると理想的です。

 

 

 

前回の宿題として、再度、十二所側から侵入していきます。

今回も逗子から来ているので、鎌倉逗子ハイランドを越えて、十二所の入口に行きます。

建長寺方面には向かわず、覚園寺・鎌倉宮方面へ向かいます。

 

 

 

まずは、十二所から天園⇔瑞泉寺の途中に合流。

 

 

 

天園方面に向かいます。

 

 

 

 

 

 

前回はココまで戻って、左に行きましたが、通常のルートを目指して、右へ。

 

 

 

 

例の張り紙の案内は無視して、そのまま進みます。

 

 

 

 

貝吹地蔵さま。

 

 

 

 

正規ルートっぽい案内があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとY字路っぽい感じですが、案内の通りに右へ行きます。

 

 

 

横浜方面かな?

 

 

 

 

かなりの高さの谷です。

 

 

 

ここで、前回、獅子岩から上がったところに出ました。

これで宿題は完了。

 

 

 

 

そのまま進んで、天園・大平山を通過します。

 

この見晴らしの良い辺りで、来る途中で買ったオニギリを食べようと思いますが、今日は少し混んでいるようです。仕方なく、歩きながら食べてしまいます。ふたつ持参したのですが、ひとつ食べたところで、もうひとつが見当たりません。どうも落としたみたいです。

オニギリの中身だけならいいのですが、ビニル包装のものなので、どうもそのままにしておくのは許せません。ヘッドフォンしていて、落としたのに気付かなかっただけなので、おそらく最初のひとつを取り出した時だと思います。少し戻ってみますが、見当たりません。

 

半分諦めつつも、もう一度先に進みながら、探してみたところ、落としたことに気づいたあたりにありました。

なんにしても、ゴミを捨てずに済んでよかった。

 

 

 

 

覚園寺方面への分かれ道に到達。

 

 

 

覚園寺方面に行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのまま覚園寺にも立ち寄ります。

 

 

 

 

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 - NHKがやっていますし、鎌倉もまた人が増えているかというと、この辺はそれほどでもないかな? でも、御朱印帳をもった方がお一人様で来ていました。

 

鎌倉宮の方へ戻ります。

 

 

杉本寺方面へ向かいます。

 

 

 

橋を渡って川沿いに、衣張山を目指します。

 

 

 

 

 

衣張山の登り口。

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとつ目の見晴らしのがよいところ。

海がよく見えます。

 

衣張山には、2回、こういう海が一望のところがあって、映画の撮影などにも使われます。

「海街diary」で広瀬すずさんと綾瀬はるかさんが叫んでいたのも衣張山です。

撮影日知ってたのですが、狭いとこだし邪魔になるかなと見に行かなかったけど、見に行けばよかったかな?

 

 

名越の煙突も見えますね。

 

 

 

ふたつめの見晴らしポイント。

 

 

 

 

ここから衣張山を越えて、パノラマ台へ向かい、亀ヶ岡団地の方面に行きますが、ずいぶん昔に地元の人がサリーちゃんの家と勝手に呼んでいた洋館のところで下って、法性寺に向かいます。

 

 

 

 

 

法性寺の門に向かって、下っていきます。

逗子側からまず鎌倉逗子ハイランドの住宅地に上がると左側に古道の入口が見えてきます。

西武が鎌倉逗子ハイランドを開発した頃はここは緑地でしたが、後年、他の事業者に譲渡されて、新たに開発分譲された際、この古道の入口は位置が変更になっています。

真ん中の階段が古道の入口です。

 

 

少し行くと、鎌倉逗子ハイランドが見渡せます。

 

 

 

これを抜けるとパノラマ台に抜けて、そのまま行くと衣張山から杉本寺の方に行く道があります。岩殿寺と鎌倉方面を結ぶ巡礼ルートだったようです。

しかし、今日の目的地はこちらではないので、分譲地の裏の緑地を歩いて、十二所に向かいます。できるだけ舗装路を歩きたくないので、裏側を通っていきます。

 

十二所に降りて、朝比奈方面に行くと、「峰本」があるので、その手前を川沿いに入っていきます。

 

 

十二所側からの天園への入口があります。

鎌倉の観光協会によると、この十二所からのルートは管轄外とのことです。

ネットで調べると、十二所から入った方のコメントでは道に迷ってヒドイ目にあったと書いてありましたが、さてどんな感じか行ってみます。

 

 

「瑞泉寺・天園」と書いてあります。

 

天園から瑞泉寺へのルートは、数年前の台風の時に落雷が多く、倒木などがあって、通行止めとなっていますが、自己責任で通れますなどと独自の案内をしている方もいるようです。

環境協会としては、通行止めとのことでした。

 

 

住宅の裏にある細い道から山道に入ります。

 

 

川に沿って歩きます。割と道はハッキリと認識できます。

 

 

 

山が深くていい感じです。

この辺りは、たとえ道に迷ったとしても、降りていけばすぐに住宅地など人里に出れるので、崖から落ちるなどのケガさえしなければ、遭難するリスクはあまりないので、どんどん登っていきます。

 

 

辿ってきた小川はここでおしまいです。ここから湧き出ていて、これより上は川らしきものはなさそうです。

 

 

 

割と歩きやすく、道もはっきりしています。

迷いそうなところは見当たりません。

 

 

 

境界標がところどころにあります。

 

 

案内が見えてきました。

 

 

天園⇔瑞泉寺のルートの途中に合流したようです。…ということはここは通行止めのところということかもしれません。

十二所から上がる人はあまりいないような話がネットに書かれていましたが、割と分かりやすく、迷いそうな分かれ道も見当たりませんでした。

 

 

 

天園方面に向かいます。

道はより広く、より分かりやすく、他の方とも何組かすれ違います。

みなさん、天園方面から瑞泉寺へ向かうようで、逆方向に歩いています。

…といっても、すれ違う人ってそういうものですよね。

 

 

 

 

 

しばらく行ったところで、もしかすると分かれ道かなと思われるようなところがありますが、どう見てもメインルートはこっちとハッキリした感じなので、そのまま来ましたが、次のような表示が…。

 

 

この矢印からすると、「戻れ」という意味に理解できますが…。

矢印が「⇔」であれば、そのまま行くのですが、矢印は、来た方向を指しています。

先を見ても、道は続いていますが…。

 

 

 

どうも天園から瑞泉寺へ向かうルートでしか考えていない一方的なものの見方で示された案内のような予感はあるのですが、念のため、戻ってみることにしました。

 

そして、No.5の案内から分かれ道に見えないこともない方面に行ってみます。

方角的には、まあおかしくはないのですが…。道は細め…。

 

 

これを左に行きます。

 

 

道はあります。

 

 

 

 

倒木等ありますが、道はあります。

 

 

 

 

 

道はあります。

 

 

しかし、下り気味の道が多く、大分山を下りています。

 

 

鉄塔があります。

 

 

階段が作られています。

 

 

人里が見えてきました…。大分下りてしまっています。

もう引き返すのはかなり厳しいルートを通ってきました。

 

 

そして、川に出ましたが…。

♪一本橋にでこぼこ砂利道 くもの巣くぐって 下り道♪…。

いや、まだ、上りたかったのですが…。

 

 

さて、引き返すのはかなり無理があるので、これを渡るしか選択肢がありません。

高低差も結構あり、川の状況は石だらけで、落ちれば無事には済みません。

橋は、まさしく一本橋ですが、木が劣化して中心部が減ってえぐれています。

しかも、これ、公共のものとは限りません。

渡って破損した場合、自分がけがをして、尚かつ、損害賠償を要求されることもあり得ます。

まぁ、個人が置いたものだとすると、河川の占用許可を取っているかはかなり怪しいように見えますが…。

 

 

恐る恐る一人で渡ってみます。

横のロープはテンション弱めでかなり頼りないのですが、最悪の場合にはこれが頼りです。

ところが、3分の1くらいまでは、橋とロープの感覚に違和感なかったのですが、後半、ロープが少し遠い位置に…。

ロープをつかむと体が少し斜めになって、バランスとりにくいですが、今さらやめるわけにもいきません。

木は、なんとか大丈夫そうといえば、大丈夫…かな。

 

なんとか渡り切り、橋も特に問題なし。

渡った先には、シーホッパーがありました。

私有地なのか市有地なのかは、分かりません。

 

 

道路に出ると、こんな感じで、道があるのかは一見では分かりにくい。

 

 

さて、どうするか?

もう一度山へ向かってみます。

ここ、どこなんでしょ?

 

 

 

川は、二階堂川。

 

 

 

天園に向かう道があるので行ってみます。

 

 

No.7の看板。

 

 

 

 

 

なかなかいい感じのルートですが、途中で私道との分かれ道があるらしく、その私道には入らないように…との案内がありましたが、どこだかよく分かりません。

 

 

 

 

 

 

獅子岩。

 

 

 

 

 

獅子岩経由鎌倉宮の案内。

天園のハイキングコースに合流できました。

 

 

ここから瑞泉寺方面が通行止めみたいですが、ガムテープで通行止めを隠しちゃってますね。

いずれにしても、さっきの間違えた元になった案内表示をそのまま行っていれば、ここに来たのだと思います。

次回の宿題。

獅子岩からのルートを歩けたので、まぁよしとします。

 

 

 

 

 

天園の売店。

 

 

天園に到着。かなり歩いてきました。

名越のゴミ焼却場の煙突あたりを目安にすると、大体の歩いてきた距離が分かりますね。

 

 

 

 

海の方に見える山のくぼみにあるのが名越の煙突かな?

写真の中央付近。

 

 

 

 

 

しかし、天園に着くとすぐに鎌倉カントリークラブのゴルフ場が迫っています。

この辺は、少々ガッカリポイントです。

 

 

 

 

 

鎌倉カントリーを過ぎてすぐにある丘を登ると、鎌倉市の最高地点、大平山。

 

 

横浜方面も鎌倉市街地方面もよく見えます。

 

 

 

 

そのまま建長寺方面に向かいます。

 

 

 

今日は、覚園寺には行きません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今泉台の住宅地が見えます。ここも山の奥まで開発しています。

この辺の1970年前後に開発された分譲地は、大体、山を切り拓いたものですが…。

 

 

人工物をあまり間近に見ると、急に山から戻された気分になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

名越のゴミ処理場の煙突が遠い…。

 

 

ZOOM UP

 

 

 

 

 

さて、建長寺方面に降りると拝観料がかかるようです。

元々、目的地は天園でも建長寺でもないので、半僧坊の方面に行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

建長寺が見下ろせます。

 

 

 

 

今泉台4丁目に向かいます。

 

 

 

 

今泉台の分譲地に下りました。

さて、ここから道が分からないので、道行く人に尋ねながら、六国見山に向かいます。

 

六国見山、よく高校の頃に聞いたのですが、行ったことがありません。

何しろ、当時はまったく興味なかったので。

 

 

入口が見えてきました。

 

 

 

小さな案内があります。

 

 

頂上に到達。

 

 

 

 

少し下りると、かなりの見晴らし。

 

 

 

 

 

 

ここ、北鎌倉駅から歩ける円覚寺の裏の分譲地の高野台からはすぐ行けるところですが、今日はずっと徒歩でここまで来てみました。10時半に出て、15時半くらいだったかな。いい天気でした。

 

 

六国見山を下りると、高野台。

そして、大船高校があります。学校が見えてきました。

当時、将来は老人ホームにできるように作られた公立高校でしたが、なかなか人気があるようです。

 

 

 

 

 

 

大船高校の横を通り抜けます。

大船駅に向かい、そこからは電車で帰ります。

 

 

 

大船高校の体育館。1階は部室が並びます。

2階が剣道場・柔道場とその部室です。

 


そのまま大船市街・大船駅へ向かいます。

 

 

最近、亀屋万年堂大船店が火事で焼け、隣接する観音食堂も焼けてしまいました。

観音食堂はちょっと興味があったのですが、行ったことはありませんので、かなり残念です。

昔から長い間営業してきた趣のある建物でした。

 

この付近は、代々木ゼミナールの校舎が2つもあったり、本屋さんには参考書や赤本が山積みになっていた受験生の街でしたが、いまでは代ゼミもなくなり、すっかり変わっています。

 

かなりよく歩きました。

 

 

 

 

昨日、記憶も記録もないと思っていましたが、ちゃんと保存されていました。

 

 

鍋屋バイテック(NBK)という会社の製品です。

リンクも貼っておきます。

 

 

メーカーから直接買いましたが、モノタロウとかでも取り扱いあるみたいですね。

いざという時のために、買っておいた方がいい製品です。

 

 

頭の厚みは、1mmですね。

長さは、袋の表示を見ると12mmかな。

10mmでもいけそうな気がしたが…。

 

超低頭ネジじゃなくて、超極低頭ボルトと書いてある

特殊なレンチが必要と言っていたのは、特殊な穴の名前が覚えられなかったのと確か当時はこのヘクサロビュラ穴付きのものしかM5のサイズだとなかったような記憶があります。

しかし、今は、六角もあるみたいですね。こっちの方が押さえやすいと思うので、六角の方がいいんじゃないかな、多分。

 

購入するなら、ステンレス製に限ります。

なんと今ではチタン製も出ていますが、これ、多分破断します。

 

チタンネジは、びっくりするほど軽くて、チタン製ネジに変えれば軽量化できるんじゃないかと思うくらい軽い。

そして、腐食・錆にはめっぽう強い。さらに、異常に硬い。

ここまでくると完璧なネジに見えるのですが、破断に弱く、力がかかるところに使うと折れます。

 

どうもインチネジも出ているみたいだな。

 

お盆のとある日のこと

 

久々に出艇しようと概ねの艤装を終えて、ラダーヘッドのピンドルをガジョンに差し込んだ後、金属がコンクリートに落ちる音が…。

シャックルなどのピンを誤って落とした時よりももう少し質量がある感じの音です。

 

嫌な予感がしました。

一見、きちんとラダーが付いているように見えますが、下のピンドルのピンがありません。

 

 

 

折れて、落ちています。

前回のセーリングの帰るときも既に破断していたものと思われます。

今回、ガジョンに挿した時に辛うじて付いてたのが外れたのでしょう。

外観では分かりませんでした。触って確かめないとだめなんですね、これ。

艤装の際には目視に頼らずに注意しましょう。

 

他にもピンドルの破損事例があります。

 

 

 

こちらは折れていないのだけど、曲がっています。

 

どうも傾向としては下のピンドルの方が破損のケースが多いのかもしれません。

記憶にある限り、上のピンドルは交換したことがありません。

 

しかし、上のピンドルよりも下のピンドルの方が修理は厄介です。

ピン側のリベットは、スペーサーをうまく作るか適切なものが用意できればネジ・ナットに交換できるのですが、ピボットボルト側のリベットは、ネジ・ナットにするのには、特殊なネジが必要です。

 

…といっても、ネット通販で割と探せますが…。

「超低頭ネジ」M5を探せば、出てきます。多分。

当然ですが、生地は強度と腐食の問題でステンレスに限ります。

 

頭の厚さとか詳細なスペックは、購入したのが10年以上前なので、記録も記憶もありません。

ただ、M5の超低頭だと六角とかではなくて、特殊なレンチも一緒に購入する必要がありました。

 

上の写真のピンドルが曲がった方のは、昔なじみのオーストラリア製ラダーヘッドをネジ・ナットで組み直したものです。

スペーサーが微妙に完全にフィットするものがなくて困りました。特注で作ればいいんでしょうけど。

 

今回は、上の写真のラダーヘッドから上側のピンドルを外して、下の写真のラダーヘッドに取り付けちゃいます。

ホントは、交換しないといけませんが…。

 

 

まずは、曲がったピンドルを外します。

 

 

と言っても、このラダーヘッドのプレートの間にレンチを入れて固定するのは実は結構大変。

 

上の写真のように、ネジ頭にレンチの先を当てて、下にゴム板をかまして、押し付ける方向への力の補助とします。

この時にネジの頭にレンチを入れるのはレンチ側の操作で入れようとせずに、ネジの中心あたりにレンチを当てておいて、ナット側をスパナで回して嵌めます。

後は、レンチを指でしっかり押さえて、スパナを回して、外します。

 

このラダーヘッドは、すでにネジ・ナットに交換してあったので、このような作業になりますが、通常はリベットなので、リベットの頭をとばして、外します。

 

破損したピンドルを外したら、新たなピンドルを取り付けます。

 

 

ネジは、超低頭ネジのM5、ナットはセルフロッキングナットです。

普通のナットではすぐに緩みます。ワッシャーは、外側だけに入れます。

 

 

できれば、「トリノフン」を塗っておきます。

 

ピンドルをセットして、先にピンドル側のネジ・ナットをしっかり固定してしまいます。

次にピボットボルト側のネジを取り付けていきます。

 

 

超低頭ネジをラジオペンチで入れます。

 

手でワッシャーとセルフロッキングネットをセットしたら、外した時と同じようにゴム板などをかましながら、レンチをネジの頭に当てて、ナットを回しながら、しっかりと嵌めて押さえて、ゆっくりナットを締めこんでいきます。

 

両側ともに締めこめば、完成です。

このラダーヘッドは、25年は使用しているな、多分。

 

さて、実際に取り付けてみると…

 

 

微妙に当たっています。

下のガジョンの一部を少し削ってあげた方がよさそうですが、あんまりやると他のラダーヘッドに変えたりした時にガタが出るのも困ります。

 

 

ラダーヘッドを左に振ると入るんだよな…。

ほんのわずかにドリル当てて削るくらいのようです。

 

テーザーのガジョン、ピンドルの精度の悪さはお墨付きでよくあるパターンですね。

カナダ艇はレーザーのプラスチックガジョン使ってましたが…。